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 丁寧に整えられた庭に置かれたガーデンテーブルと三つのチェア。コージャイサンとイザンバがそれぞれのチェアに腰掛けて他愛無い話をしていると、モーリスが若夫婦の元にやってきた。

 待ち人が到着したのかと思えば、しかし彼はこんなことを言う。


「奥様がお客様を画廊(ギャラリー)へご案内されました」


 二人が顔を見合わせたのは、セレスティアからそんな話を聞いていなかったから。

 急いでそちらへと向かうと、開いた扉の向こうから上品な笑い声が聞こえてくるではないか。

 中を覗けば早くも追加されている結婚式の写真の前に待ち人はいた。

 何やら楽しそうに会話をしているようだが、ひとまずコージャイサンが扉を軽くノックして二人の訪れを知らせれば、彼女たちの注目が向いた。


「あら、二人とも来たのね」


「コージャイサン様、イザンバ様、ご機嫌よう」


 セレスティアは特に驚くでもなくご機嫌な様子である。

 そして、若夫婦の客人、ナチトーノ・イスゴ公爵令嬢。友愛の籠った微笑みを浮かべた後、彼女は淑女の鑑と言わしめる完璧な礼を見せた。


「ナチトーノ様、ご機嫌よう」


「ようこそおいでくださいました。それで……母上は何をしているんですか?」


「なにかしら、その言い方。ちょっとお礼をしていただけよ」


 予定外の動きをする母に呆れを隠さない息子の言い方だが、セレスティアに悪びれる様子はない。

 ナチトーノに目を向けると、その手には本よりも小さいサイズの深い赤の装丁の冊子がある。


「オンヘイ公爵夫人、素晴らしいものをありがとう存じます」


「いいのよ。あちらの許可も得ているしあなたの支えとなるでしょう。これからも励みなさい」


「より一層努めて参ります」


 ガーネットにその意思を乗せて。

 何を渡したのかはさておき、まるで宝物のように大切に抱える姿にコージャイサンはそれ以上の追求をしない事にした。

 セレスティアは息子が引き下がった事を察して満足そうだ。そのまま堂々とした美しい笑みがナチトーノに向けられた。


「せっかく来たのだから画廊(ギャラリー)もゆっくり見ていきなさい」


「なんで母上が仕切るんですか」


「見せないという選択肢がないからよ。ね、ザナ」


 ここで同意を求めないでいただきたい、と言えるほどイザンバは剛の者ではない。

 とはいえ全く言えない間柄でもないわけで。小さく微笑みながらも少しだけ目線を下げて自分の気持ちを義母に伝えた。


「私はこうやって皆様に見られるのは……まだ恥ずかしいです」


「知っているわ。でも慣れるしかないわね。写真も見せる機会も増える事はあっても減らないから」


「はい」


 イザンバの羞恥心ごときお見通しのセレスティアがそれを聞いたからと言って止めるはずもない。そもそも最初からこの母は見せびらかす気しかないのだから。

 諦めの表情を見せるイザンバの肩にコージャイサンが慰めるようにポンと手を置いた。ドンマイ、と。


「それじゃあ私は失礼するわ」


「そうしてください」


「まぁ、可愛くないわ。そんなんじゃザナに愛想を尽かされるわよ」


「尽かされません」


「そう」


 しっかりと想い合っているからこそのふてぶてしい息子の態度にセレスティアは軽く肩を竦めるばかり。

 彼女が去ってから、改めて三人は顔を合わせた。


「お二人ともご結婚おめでとうございます」


「ありがとうございます」


「本当はあの日直接言いたかったんですけど王族の方もいらしていたでしょう? だからパーティーは遠慮させてもらったんだけど、公爵夫人がその時の写真もあるからとご案内くださって」


 王の誕生日を祝う宴の後、国内での社交から遠ざかっていた彼女だが、結婚式には参列していた。

 しかし式には王族も招待されており、当然その中に彼女の元婚約者であるケヤンマヌもいる。

 婚約破棄騒動のメンバー同士がなるべく顔を合わせないように挙式の席や会場入りの時間を工夫したが、パーティーともなれば避け続ける事は難しい。

 それなのに、結婚式のお祝いムードに乗じて赦しを強制される雰囲気にでもなったら招待した側としても台無しである。

 ——人前で涙を見せなくなったからといって

 ——悲しみや嘆きを口にしないからといって

 心の傷が癒えたのだとなぜ第三者が言えるのだろうか。それは本人(ナチトーノ)にしか分からない事なのに。

 再教育を経た王子からの手紙に対しては……返事を出せていないことが彼女の答え。

 それを事前に聞いた為、日を改めて会う約束をしていたのだ。

 新婚夫婦を見つめ、ナチトーノは朗らかに微笑んだ。


「やっと二人にお祝いが言えて嬉しいですわ。それに噂の画廊(ギャラリー)も見せていただいて。どれも素敵な写真ばかりですね」


「ナチトーノ様。訓練公開日とか防衛局の皆様のパフォーマンスのカッコいい写真もありますよ。そちらを見ませんか?」


「ふふ、それも魅力的だけどイザンバ様の可愛い写真も見たいです」


 瞳を輝かせる美女の懇願に誰が抗えようか。結局、ナチトーノは時系列順にゆっくりと見て行った。

 友人にいちゃついている写真を見られ、その時の心境を聞かれるというまたもや訪れた修行タイムにイザンバの精神がゴリゴリと削られるのはご愛嬌。


「ここからは火の天使だわ! イザンバ様ったらすっかり有名になられて」


「いえ、不可抗力です」


「結婚式の日の小さな火の天使も?」


「それは私がやりました」


「ふふ、どちらの火の天使も素敵でしたよ」


 結婚式の高揚感にのまれてうっかりと。そんなイザンバにナチトーノは麗しい微笑みと共に素直な賛辞を送る。


「あの時の光景、今でも鮮明に思い出せます。わたくしもあの火の天使に救われましたから」


「お茶会で他のご令嬢も呪いを受けていたと聞いたんですがナチトーノ様も?」


「そうですね、後からアレが呪いだったと気付いたんですけど……」


「なんですか⁉︎ もしかして黒子から毛が一本生え続けたとか⁉︎」


「まぁ。そんな呪いがあるんですか?」


 冗談だと思ったのかナチトーノは上品にクスクスと笑う。だが、その様子に彼女があの呪いを受けていないとイザンバは安堵した。


「夢を見たんです」


「夢、ですか」


 それを聞いてコージャイサンとイザンバは顔を見合わせた。


「ええ。わたくしが破滅する夢」


 始まりは婚約破棄騒動の場面だった。それ故に単に夢見が悪いのかと思っていたが、火の天使が現れた後に見なくなった事で呪いだったと知った。


 夢の内容は王子たちが婚約破棄を宣言するまでは同じだが、その後が散々であった。

 修道院に行くなんて可愛いもの。歳の離れた貴族の後妻になったり、身分剥奪後に家族に見捨てられて娼館に売られたかと思えば、家族を巻き込んでの奴隷落ち。牢獄で生涯幽閉、国外追放に果ては処刑宣告まで。

 語られた内容にイザンバはすっかり青褪めてしまった。


「はわわわ……そんなありとあらゆるパターンを網羅するなんて……よくぞ心がご無事で」


「どれも決定的な場面に移る前に目が覚めていましたから」


 全てが宣告で止まり、擬似体験にも至らなかったからナチトーノの心は壊れていない。

 それは何よりであるが、イザンバよりもナチトーノと類似する体験をしたコージャイサンが尋ねた。


「その夢、誰か他に出てきませんでしたか? どこかしらで願い主が干渉しているはずです」


「わたくしが破滅する直前にいつも同じ方が『私があなたをお救いします』と声を掛けてきていました。やはりその人が……?」


「おそらく」


 それを聞いてイザンバが顎先を指でトントンとしながら考える。


「呪いで擬似的に窮地を作り出して、そこから救い出す事で吊り橋効果を狙った。悪夢で精神を削り味方だと思い込ませる事で現実のナチトーノ様を、イスゴ公爵家を操ろうとした。心を先に壊して結果的に心中を図ろうとした」


「成り変わりのパターンもあるしな。あなたも面倒な相手に好かれましたね」


「だからってやり方が酷いと思います」


 願い主がナチトーノを手に入れる事を目的としたとしても、婚約破棄騒動を起因とさせるなんて傷口を抉るばかりかその後の展開については新たに傷を増やしにきたのだ。

 友人を思い怒りの感情を見せるイザンバにコージャイサンも厳しい声を出す。


「その願い主に罰を望みますか?」


 願い主が誰なのか、彼らが調べればすぐに分かるだろう。けれども、ナチトーノはゆったりと微笑んで首を横に張った。


「いいえ。火の天使がわたくしを救い出し、願い主に罰を与えてくれましたから」


 改めてあなたたちの手を煩わせる必要はない、と彼女は言う。


「わたくしは夢の事を家族に話しました。そこに誰が居たのかも。今はその方自身も関係者もお見かけしないようですからコージャイサン様に何かしていただく必要はありませんわ」


 烙印持ちが忌避される現在の社交界。たとえ自身が動かずとも誰かが「ここだけの話」と声を潜めたものが、そこで止まっているかは人次第。

 つまりナチトーノはもうやり返したと言ったのだ。


「わぁー、ナチトーノ様お強い!」


「ふふ、強かでないと公爵令嬢なんてしていられませんもの。イザンバ様はこんなわたくしはお嫌いですか?」


「大好きです!」


 迷いない言葉に友人は嬉しいと花が綻ぶような笑みを見せる。

 その淑女の仮面とはまた違う微笑みにイザンバは魅入られた。願い主への怒りなぞすっかり脳内から消え去るほどに。

 すると、コージャイサンが一つため息をつき、イザンバの視界を手のひらで遮った。


「何ですか、これは?」


「阻止」


「端的に言い過ぎじゃないですか⁉︎」


 見覚えのある二人のやり取りをナチトーノはにこやかに眺めていた。

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