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春に溶けた彼女

作者: 夢刻 綴

 寒さに勝って珍しく外に出た雪の日、これまた珍しく立ち寄ったいつもなら通り過ぎる公園で、僕は出会った。


 ありふれた公園の、ありふれた遊具の上で、ありふれた白一色の空を見ている彼女は、そこだけ世界が違うかのような輪郭のない空気を纏っていた。

 それは一瞬幻覚だったのではないかと思うほど儚く、それでいて現実だと再確認する程の存在感で、その美しさは僕の視界をあっという間にひとり占めしてしまった。

 久しくすることの無い人生だったが、これをきっと一目惚れというんだろう。


 気付くと僕は彼女へと近付いていて、その時にはもう声をかけようと口を開いていた。


「君は、いや……君の、名前を教えてくれないか。」


 初対面の相手に僕は何をきいているんだろうか、と言ってしまってから内心慌てている僕を尻目に、一瞬不思議そうな顔をしてから、ふっと微笑んだ彼女は自分を「ふゆのこ」だと言った。

 由来は教えてくれなかったからどうしてそう呼ぶのかは分からなかったが、確かにその呼び名がしっくりきたのを憶えている。


 変だよな。その子は僕と同じ人間の筈なのに、どうしてかそんな呼び名で納得してしまった自分がいたんだ。


「君の名前も教えてよ。私も名前、呼びたいな。」


 彼女の纏う神秘的な空気に浮き足立つ僕に、「ふゆのこ」はそう訊き返す。


 そういえば僕は名乗っていなかったな。名前を訊ねる前に自分から名乗るべきだった。


「僕は静夜。静寂の夜と書いて、静夜。」


 焦りから少し早口になっている僕を見ながら彼女は、


「そっか、いい名前じゃん。よろしく静夜。」


 そう言って微笑んだ。


 その笑顔を見ただけで、先程まで抱えていた焦りは霧のように掻き消えた。



 そうして名乗りを済ませた僕は、普段なら大して動かさない口を忙しなく動かし彼女に沢山話しかけた。

 初対面の男がそんなにも話しかけているというのに彼女は嫌な顔一つせず、ずっと笑って話を聞いてくれた。

 その優しさ、心の広さに甘えて、僕は外にいて寒いと思っていたことも忘れて話し込んだ。

 きっとこの時の僕の心は何歳か幼くなっていただろう。

 それくらい彼女と過ごす時間を純粋に楽しいと感じ、ほんの僅かさえ無駄にしたくないと思っていた。



 時を告げるチャイムが鳴り、ふとそこで数時間も話をしていたことに気付く。

 それと同時、僕は現実を初めて認識し、急に寒さを感じてブルッと身体を震わせた。

 そしてそれは彼女も同じではないかということにも思考が到達し、ハッとして彼女の方を見る。

 だが彼女は僕の予想に反して特に気にした様子もなく響き渡るチャイムの音に耳を傾けていた。

 寒くないのだろうか、そんな疑問が浮かんだが、今は大して重要なことではないため頭の隅に追いやった。

 そして僕は再び口を開き言葉を吐き出す。


「そろそろ、帰ろうか。ふゆのこはこの付近に住んでるのか?遠くから来ていたとしたら、こんな時間まで引き止めてごめん。」


 それは正直な謝罪だった。

 外に長時間留まらせた申し訳無さと、年甲斐もなく話し過ぎてしまった恥ずかしさとが入り混じった、許しを請い自分を守るための勝手な謝罪。

 我ながら内心カッコ悪いなと思ってしまった。


「そうだね、この後はもっと寒くなる。帰って暖かくしたほうがいいね。私はこの通り大丈夫だけど君が風邪を引いても困る。あと私の家は……そんなに遠くじゃないから大丈夫。ここで解散して、また会えたら続きを話そう。しばらくの間はここにいると思うから気が向いたらまたおいでよ。」


 僕の心の靄など知らない彼女は変わらない明るさでそう言った。

 謝罪と思っていながら、そんな彼女を期待してしまった自分はやっぱりカッコ悪いと思った。



 彼女と別れた帰り道、頭の中はやはり彼女のことでいっぱいだった。

 それはそうだろう。彼女は幻想的なまでに綺麗で、そのうえあんなにもよく笑う、明るく気さくな少女なのだ。

 好きになってしまわない方がおかしいとさえ思う。

 こんなにも他人に関心を持ったことが久しぶりなこともあって、より一層彼女のことが頭から離れなかった。

 家に着いてからもふとした時に彼女のことを思い出した。

 その日は結局寝るその時まで殆ど彼女のことしか考えていなかった。




 あの日から僕は何度もあの公園に通った。

 大学の帰り、買い物に行くとき、その他用事が無くても時間のある時は立ち寄った。

 そのうちの何度かは彼女に会うことが出来て、そのたびに長く話し込んだ。

 大学のこと、趣味のこと、それこそ話題に出来るものならなんでも話した。

 そんな日々は楽しくて、何度そうしたとしても色褪せることは無かった。




 そうして気付くと三ヶ月が経っていた。あっという間にもう春を迎える時期になった。


 その日も僕はいつもと変わらず公園に向かった。

 いつもと変わらず彼女はそこにいた。

 それからいつもと同じように他愛ない会話をして、いつもと変わらない別れをするはずだった。


「もうすぐ私はここを離れるから、こうやって話せるのは今日までかな。」

「えっ……」


 突然の彼女の言葉に僕は全身が凍り付くような錯覚を覚えた。

 何度も会って話すのを繰り返すうちに、僕は勝手にこの時間がずっと続いて行くのだと思っていたんだ。

 だがよく考えると彼女はそんなこと一言も言っていない。むしろ「しばらくの間はここにいる」と言っていたではないか。

 それはいずれこうやって話せなくなる日が来ることを暗に言っていたのと同じことじゃないか。

 いや、どこかそんな気はしていた。それなのに僕はそんな可能性から目を逸らし、ずっとずっと逃げ回っていただけだ。

 もうこれで、逃げることは叶わなくなった。

 大人しくこれを受け入れるのが大人ってもんだろ。

 逃げてはいけない、困らせてはいけないんだよ。

 ……けど、


「離れたくないな……」


 抑えきれず、僕は飲み込むべき言葉をこぼしてしまった。


「この時間が、何よりも楽しかった。この時間が、僕の生きる毎日を色付けてくれた。こんなにも心が躍るような冬は初めてだったんだよ。」

「そっか……」

「どうしても、終わりなのか?もう話すことは出来ないのか?もう君のその顔を見ることは叶わないのか?もう……」


 困らせると分かっているのに、一度溢れた言葉は止められなかった。

 こんな幼稚な行動は遥か昔にしなくなった筈なのに。

 この子との日々を過ごすうちに、あの頃の揺れ動いてやまない感情が、僕に知らせず戻って来ていたのか。

 大人になろうと捨てたつもりでいたのに、本当は捨てきれてなどいなかったのか。

 そうだな、捨ててなんかないさ。捨てられるわけないだろう。

 僕という人間はその感情を感じた時にだけ生きている自分を確認することが出来る人間なんだから。

 本当に捨てていたとしたら、僕はきっとここにいない。こうして彼女と出会っていない。

 もう受け入れよう。

 僕はもう感情を止められない。勝手に流れる涙もそうだ。そしてこの別れだって、僕には止めることは出来ない。


「ごめんね。でも私はここに居続けることは出来ないんだ。戻ってこれるかも、分からない。」


 彼女は初めて心底困ったような顔をして申し訳無さそうにそう言う。


「いや、いいんだ。むしろこんな姿でごめん。……僕さ、ふゆのこが好きだったんだよ。初めて会ったあの日に一目惚れした。それからずっと好きだった。今も好きだ。だからもう会えないと言われて、自分でもどうしようもできなくなった。ごめん。こうやって泣くのも、急に変なこと言うのも、ごめん。」


 やっぱりカッコ悪いな僕は。最後の最後まで本当にダメな奴だ。

 好きな子の前でこんな子供みたいに泣きじゃくって、どうしようもないな。

 ああどうしよう。取り繕う術が見つからない。


「…………あのね。」

「あ、え……」


 ずっと困った顔をしていた彼女が覚悟を決めたように声を出した。

 それに反射的に意識を向ける。

 こんな状態でも彼女の言葉を聞きたいなんて、どれだけお前は好きなんだよ。


「あのね、もしかしたらだけど、絶対とは言い切れないんだけど、またこうして会えるかもしれない……」

「本当か!」

「う、うん。可能性はあんまり高くないけど、また会える。」

「僕はどうしたらいい?」


 突然の希望に僕は縋り付く。


 この結末を変えられるのか?


「私はふゆのこだって言ったでしょ?それは事情があって冬の間しかここにいられないからそう言ったんだよ。それにきっとこの冬が終わったら会うことはないと思ってたし。でも、私が思っていた以上に私のこと好きになってくれて、私も君と過ごす時間が楽しかった。好き、はよく分からないけど、もっと一緒に話したいと思った。だから無いと思っていた可能性にかけてみようと思う。」


 彼女の顔はいつになく真剣で、その表情に時も考えずドキッとしてしまった僕がいた。

 慌てて心臓の高鳴りを鎮めて聞き返す。


「その可能性って、なんなんだ?」


 彼女が僕を真っ直ぐ見つめて言葉を紡ぐ。


「私はふゆのこ。冬の間だけここにいる存在。春が来たらいなくなって、また冬になると現れる。その時記憶はどうなるか分からないけど、もしかしたら覚えていられるかもしれない。だから来年、またここに来て欲しい。来年の私は君を覚えていないかもしれないけど、もしかしたら、可能性は僅かかもしれないけど、君に気付けるかもしれない。だからもう一度私を見つけて。またあの日みたいに私に話しかけて。」


 彼女の言うことは現実的じゃない話だった。

 この話が本当だとすれば、彼女は人間じゃないことになる。

 普通の人ならこんな時に馬鹿げた話を、と思うんだろう。けど、僕はそうは思わない。

 あの日僕が見た彼女は、そして今僕を見る彼女は、やっぱり何処か人間離れしている。

 その美しさも、声も、触れた手の温度だって、少し考えれば分かるよ。むしろそう言われて納得してる自分がいる。

 こんな少女が現実にいたら、きっとこんな僕のところになんていないだろう。

 そんなどこまでも神秘的で、そのくせ中身は人間らしい、どこまでも大好きな彼女のことを信じよう。信じてまた会いに行こう。

 たとえ僕を覚えていなくても、何度だって話しかけて何度だって好きになろう。僕は今そう決めた。


「分かった。また必ず君を見つけて声をかける。覚えてても、覚えてなくても、また必ず君と話すと約束する。」


 いつの間にか涙は止まっていた。流れた痕は残っているけれど、もう心に悲しさは残っていない。

 代わりに絶対に消さない約束を刻み込んだ。

 僕は泣き腫らしたみっともない顔で大きく笑って最後の言葉を口にする。


「それじゃあまたね、ふゆのこ。」


 彼女もそれに言葉を返す。


「またね、静夜。次の冬で、待ってるから。」


 涙が止まった僕の向かいでいつの間にか涙を流していた彼女は、最後に今まで見た笑顔よりも数段綺麗なとびきりの笑顔を咲かせた。


 その瞬間強く風が吹き、僕は思わず顔を覆った。

 風がやんで顔を上げるとそこにはさらさらとした雪だけが儚く舞っていた。




 あれから季節は過ぎ、僕は社会人として日々を生きている。

 大学の時に住んでいた街を離れ、今は都会でやっと慣れてきたばかりの仕事に追われながらなんとかやっている毎日だ。

 そんな日常に大した楽しみも無いのだが、一つだけ楽しみなことがある。

 それはあの日の約束を果たすこと。

 叶うかどうかは分からない。

 でも僕は彼女を信じてまたあの街のあの公園に会いに行く。

 どうしてかって?それはもちろん、あの子のことが好きだからだよ。

 約束したっていうのもあるけど、それと同じくらいどうしようもなくあの子が好きなんだ。

 僕は人間で、彼女は多分冬にまつわる妖精か何かだ。

 普通の人みたいに付き合ったり、その先に進むことは出来ないだろうけど、今はそんなこと忘れてただ彼女に会って話したい。彼女の顔を見たい、声が聞きたい。

 今はただ、それだけでいい。それ以外はその時になったら考えるさ。



 今は11月の終わり。もうすぐ彼女の季節()がやってくる。





春に溶けた彼女(キミ)  完

初ショートストーリーでした。

普段はファンタジー作品ばかりなのであまり上手く書けなかった部分もありましたが、もしよろしければ感想などいただけると励みになります。

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