君を愛する事はない〜当主としても、夫としても、父としても素晴らしい方でした〜
思い付いたので、一気に書き上げました。
結婚式が終わった日の夜。夫婦として過す最初の夜。つまりは初夜。私は夫婦の寝室で夜着を纏い、少しの緊張感と共に夫を待っています。
「……どうぞ。」
暫くして、ドアがノックされたので、私はドアの向こうへ声を掛けました。ガチャリと言う音と共に予想通り夫が入室してきました。
「?」
私が首を傾げてしまったのは、夫は夜着ではなく、昼間に着用する様な普段着を身に纏っていたからです。
「済まない。」
そんな私に夫は、ドアを閉め、私が腰掛けている寝台に近付き、しかし寝台に上がる事はなく、立ったままで頭を下げました。嫌な予感が首を擡げます。
「私には、愛する女性が別に居る。従って君を愛する事はない。」
予感を裏打ちする言葉でした。まるで巷で流行っているクズ夫ザマアの小説の冒頭シーンの様でした。……頭をきちんと下げている分、まだ善良なのかもしれませんが。
「……私と貴方の婚姻理由はご存知ですよね?」
小説では「婚姻の重大な理由をクズが把握していなかった」等と言う展開が有りましたので、確認をしておく事にします。彼の立場を考えれば、私を蔑ろにしてはならないのですから。
……線が細く、身長も私とそう変わらず、可愛……、コホン、少し童顔だけど柔らかで端正な顔立ちをした夫と私は共に18才。彼は貴族家当主、私は当主夫人です。本来であれば、当主夫妻は彼の両親ーー私から見て義両親ーーなのですが、お2人共、お亡くなりになっており、彼は当主として若過ぎる年齢で家を継がねばなりませんでした。
爵位は高くとも未熟な当主では、海千山千の者達相手に苦労が耐えません。そちらを助力しているのが私の実家、私のお父様です。
お父様が彼の後ろ盾となった理由は省略しますが、義父の立場になられたお父様のお陰で様々なメリットをお受けになられているのは間違いありません。
この政略婚は、未来はともかく、現時点では彼の為のものなのです。
夫は私の質問に頷きます。
「勿論だ。とても感謝している。従って君を蔑ろにする気は無い。私の妻は君で、この館の女主人も君だ。愛人を連れ込む事は無いし、君が振るう、館内の采配に付いても理不尽な文句は言わないし、誰にも言わせない。」
愛人、ですか。小説ではこう言ったクズ夫は「愛する女性」を「愛人」等と言いませんし、それ処か妻から「愛人」と称されれば怒り狂うものでした。現実は見えているのでしょう、一応。
「公式の場に於いても、私は君の夫として、君の横に立つ者として、恥となる振る舞いはしないし、君にも妻としての振る舞いを希望する。」
妻としての権限と義務は奪わない。そう仰りたいのかもしれませんが、「私を愛さない」のであれば、その最大の権限と義務が果たせません。
「……跡継ぎはどうなさるおつもりですか?」
跡継ぎを生み育てる権限と義務が果たせないのです。
「それも説明する。まず前提として、私は君が愛人を持つ事も、君が愛人の子を生み育てる事も禁止しない。」
「はい?」
待って下さい。愛人を作るだけならまだしも、愛人との子を生み育てても構わないって……。
「君が生んだ子も、私が愛人に生ませた子も、この家に迎え入れ、私達2人で実の両親として育てて行きたいと考えている。勿論、私の子であれ、君の子であれ、君が拒むなら無理強いはしない。その場合は養子を迎える事になるが。」
「で、ですが、それでは……、私が男児を生んで、貴方のお相手が女児しか生まなかったらどうなされるのですか!?」
何とか絞り出した声は震えていました。何故ならば託卵に依るお家乗っ取りに成り兼ねないからです。
「跡継ぎは原則嫡男。道理の無い理由で曲げる積もりはない。彼女より先に君が男児を産めば、嫡男の立場になるのは、跡を継ぐのは君の子だ、当然だろう。」
「……………………。」
ゴクリ。気付けば私は唾を呑み込んでいました。確かに実子が家を継がないケースもあります。しかし貴族家は血筋を重きを於いています。ですから養子を取るにしても、その家と血筋で繋がっている者が選ばれるのです。
それなのに彼は、此度の婚姻まで繫がりが無かった、つまりは血筋で繋がっていない私の子を跡継ぎにしても構わないと言うのです。……確かに王家から重要視される様な貴族家が、跡継ぎがおらず、潰れるしかない状況になるなら、最早、血筋に拘らず、赤の他人に家を継がさせる事は有り得ますが、逆に言えばそれだけの事が無ければ起こり得ない事なのです。
「不誠実な真似をするのは私だ、これくらいは最低限の事だ。」
……正直、何か裏があるのではないか、とも思います。しかし此処で私が提案を断り、離縁を強行しようとすれば、彼との繋がりを重視するお父様が何と仰るか……。私に譲歩しているとも言える提案を聞けば、お父様は条件をお出しになるかもしれませんが、納得するかもしれません。そうなれば結局、労力の無駄になるだけです。
「……では! その内容で契約書を作成して下さい。反故される様であれば、即座に私も動きます。」
「既に作成済だ。」
彼の懐から取り出された契約書。私は隅々まで読んで、納得し、彼用、私用、保管用と複数枚にサインし、血判まで押してーー、私達の夫婦生活は始まったのです。
そして月日が経ちました。既に子供達は成人、跡継ぎの嫡男を残し、皆、とうの昔に巣立って行き、今ではそれぞれに孫が居ります。
……当主としての彼は非常に優秀で、亡きお父様が彼に目を掛けた理由も頷けると言うものでした。
旦那様は実家を継いだばかりだった頃のお兄様を、今度は「恩返しだ」と逆に助力して下さり、もう助力を必要としなくなってもお2人は良き親戚付き合いをなさっています。
勿論、私達が仮面夫婦である事は気付かれていません。彼は私を本当に大事にして下さるので当たり前と言えばそうです。私自身が彼に愛されていると錯覚する程に、夫としての彼は完璧です。
……彼は私に愛人の影を見せる事は有りません。私は彼の愛人がどんな方なのか、その姿さえ知りません。偽りの愛の相手である私にすら、夫として完璧なのです。彼の愛人はさぞかし大事にされているのでしょう。少し羨ましいくらいです。
只……、彼は彼女との子を連れては来ませんでした。妊娠されなかったのか、それとも我が子の母として振る舞えず、それ処か引き離されてしまう現実を拒否されたのか……、私には分かりません。デリケートですから確認もしていません。
そう……、跡継ぎの嫡男も、他の子供達も皆、私の子です。色々と考えたのですが、私は結局、愛人(男)を作りました。子供達は皆、その愛人(男)との子です。生んだ子は全てこの家で育てました。
旦那様は偽りなく、我が子として遇して下さいました。愛して下さいました。時に厳しく、時に優しく……、子供達に寂しい想いをさせたくないからと、仕事のスケジュールを変更される事も有りました。思い出すにあの頃、どうやって愛人(女)とのお時間を捻出されていたのか疑問に思う程に父親業をされておりました。本当に良き父親でありました。子供達と旦那様のお姿は似ている訳ではありませんが、誰も疑う事が無い程に、私達は夫婦で家族でした。
彼が愛人(女)とどうなされているかは存じませんが、私は末子を生んでから数年後には、愛人(男)と別れました。年齢が行くと、結婚も出来ず、我が子と引き離されるだけの私相手に、彼ー愛人ーが嫌気を覚える様になったからです。互いに引き際を見定めておりましたので、揉める事はありませんでした。手切れ金を渡そうとしましたが、受け取って貰えなかった事、くらいだったでしょうか、問題は。そして再会する事もなく、今まで来ています。
「美味しいわ。」
「御口に合って嬉しく思います、お義母様。」
彼女は跡継ぎである嫡男の嫁に来た、私の義娘です。既に旦那様から当主の座を譲られた息子を支え、跡継ぎを育てている立派な女性です。
彼女が知人から贈られた珍しい茶葉を使って注いでくれた紅茶を皆で頂いております。和気あいあいと会話を楽しんでいた時でした。
「う、」
くぐもった声を捉えました。
「旦那さ、旦那様!?」
旦那様に目を向けた私の視界に映ったのは胸を押さえ、苦しむ姿。そのまま椅子から転げ落ち、倒れ伏してしまったのです。
「父上!」
「お義父様!」
慌てて、使用人を呼び、旦那様を寝台へと連れて行って貰い、医者を呼ぶ手配を致しました。
掛かり付けの医師がやって来ました。実は何気に旦那様が診察されるのは始めてだったりします。どう言う訳か医師嫌いなのです。理由は存じません。伺っても教えて下さいませんでしたから(使用人も旦那様の幼少期から勤めてる者が居らず、皆、首を捻っておりました)。
……もしかしたら介助されるかもしれない事がお嫌なのかもしれません。貴族としては変わっていますが、入浴も着替えも誰かに手伝って貰わず済ませてしまうので。
……この様などうでも良い事が浮かぶのは不安で混乱しているからでしょうか。医師の手付きが何時もよりも遅く見えてしまいます。医師の指がボタンを外し、旦那様の胸を開いてーー、
ーーえ。
思考が停止しました。
「はあ!?」
医師が叫んで飛び退きます。そして私達へと視線を向けました。しかし答えられる者は居りません、誰一人として。
「な、な、何で……、父上の胸に乳房が!?」
あるのは疑問のみ。医師は息子の言葉に直ぐ様下半身も確かめました。そして。
「……女性、、の様ですが。」
「「「「「はああああああああっ!!!????」」」」」
後にも先にも貴族として、こんな端ない叫び声を上げた事はありません。それだけ衝撃だったのです。
「……それと御臨終です。」
最早、死亡へのインパクトよりも旦那様が女性だった事実の方が余程大きいインパクトを遺してしまった状態でした。
後に私達は旦那様の手記を見付けました。幼少期から付けられていた、何冊もの手記です。そこには嫡男と偽られた女性の声無き悲鳴がありました。
彼女ー旦那様ーの父は5人の女性と婚姻し、4人と離縁しています。理由は不妊。婚姻と離縁を繰り返した舅は流石に原因が自分に有るとは思っていたのでしょう。しかし、それでも、5人目の妻が不貞相手との子を身籠っていると知りながら、その子を自身の子として育てる事を決めたのです。
そこにどんな葛藤があったかは存じません。しかし種無しを理由に当主を追われる訳には行かないとは思っておられたのでしょう。生まれた跡を継げない娘を、跡継ぎの嫡男と偽るくらいなのですから。
……5人目の妻は産後の肥立ちが悪く、亡くなったとされていますが、真相は闇の中ですわね。
嫡男とされた娘ー旦那様ーが事情を理解出来る様になると、古株の使用人達を全て追い出し、事情を知らぬ新たな使用人を舅は雇いました。彼は娘の性別がバレない様に、全ての身支度を自身で行える様に躾ながら(ドレスでなかったので、何とか出来たのでしょう)、跡継ぎとして厳しく遇しました。もしかしたら憎しみだってあったのかもしれません。
そして完全に嫡男として育てられた彼女が成人を迎える頃に急死した様でした。
淡々と自身の置かれた状況の事実と推測を書き連ねておりますが、だからこそ、潰されてしまった声を私は聞いている様な気がします。
彼女ー旦那様ーが次代へと家を継承する為に、考えた「君を愛する事はない」。そうまでして家を遺そうとした理由は父親からの呪縛であり、父親を慕う愛情でもあったのかもしれません。
家を遺す。血筋等はどうでも良い。
そう思いながら、彼女ー旦那様ーは生きて来たのではないでしょうか。
「……あ、」
読み進めて行くと事実と推測を論理的に述べていた過去とは違い、感情が漸く見えて来ました。
ーー子供って可愛い。愛しい。生んでくれてありがとう。君と結婚して良かった。君を妻に迎え入れられて幸せだ。済まない。
そんな内容が繰り返し語られる。子供達を愛し、私に感謝し、幸せだと感じている。だからこそ、私と当たり前の夫婦関係を築けなかった事に罪悪感を持っている。
「……どうして踏み込まなかったの……。」
どうして彼女ー旦那様ーと向き合わなかったのか。理由は確かにあったけれど、「そんな事どうでも良かった、只の言い訳だった」と思うくらいの後悔が襲う。
ーー近親婚姻のリスクが実証された。もう血筋に拘る婚姻の時代は終わる。近親婚姻のリスクが次代に受け継がさせない為に、跡継ぎから外される嫡男も出て来た。……今ならば真実を明らかに出来るか? 好奇の視線に晒されない様に配慮する必要は有るが……。
これは……、確かあの子達が結婚した頃の……、迷っていた時期があったの? 全く気付かなかった……、ずっと一緒に居たのに……。
ーーやっぱり駄目だ、あの子達から父親を奪ってしまう。そんな事は出来ない。元とは言えば全ては私の問題、家族を巻き込む訳には行かない……。
ああ……、ああっ、ああっ!!!!
こんなにも想われていた……。大事にされていた……。今更ながら涙が止まりません。私も子供達も。
……それから私達は家族会議を行いました。真相を知った子供達と私は少しギクシャクは致しましたが、きっと私達が諍う事を旦那様は望まないでしょう。そんな意識が互いに有ったので、話し合いは冷静に、スムーズに進みました。
私達は真実をーー………。
「君を愛する事はない」と言われた夫人の手記には亡き夫に付いて、こう記されている。
ーー旦那様は当主としても、夫としても、父としても素晴らしい方でした。
と。
お読み頂きありがとうございます。大感謝です!
評価、ブグマ、イイネ、大変嬉しく思います。重ね重ねありがとうございます。
追記しておきます。
昔、性別を偽って活躍したミュージシャン(確かサックス奏者)が実際におられまして、戸籍関係をどうされてたかは知りませんが、その方は子連れの女性と結婚し、女性にも子共達にも男性である、父親であると振る舞い、真実を生涯隠し続けたそうです。真相が分かったのはその方が倒れ、救急隊員が衣類を開き、胸元が露になった時で、その方はそのまま亡くなられたとか……。この話はその方の幾つかあるエピソードを参考にしながらコネコネしました。
時代は女性サックス奏者が認められない時期で、彼女は性別を偽る事を決めて、プロになりました。売れっ子になった彼女は疑われない為に幾度か結婚と離婚を繰り返した様です。そして最後、連れ子がいる女性と再婚。相手の女性曰く、生活に於いて様々なルールがあったそうです。理由は納得が行く様なものを用意されたそうで、まさか女性である事を隠す為のルールとは思わなかったとか。
その後、時代は流れ、活躍する女性サックス奏者も現れた頃、更年期障害に襲われ、それを機に真実を明らかにしようかと迷った彼女でしたが、自分を父親と慕う子供達を傷つけたくないと思い、断念。サックス奏者を引退したそうです。
因みにその方は奥様に「夜も大満足でした」と言われていたので、相当涙ぐましい努力をしていたと思います。
しかしこの作品では「君を愛する事はない」から始まるので、そう言った事を一切しない形にしまして、生活ルールも作らなくても大丈夫に致しました。
貴族ルール的に犯罪になりかねない面もあるので、万一にも気付かれてはならないし、此方が自然かなあとも思いましたし。
また凄い度胸で挑んだとしても子供は出来ませんから、無意味とも言えます。しかも不妊理由なんて分からないので、離婚再婚を繰り返さないと旦那不妊を誰も疑いません。妻の責任になります。
どっちにしても性別を偽る不誠実は妻を傷付けるでしょう。更にリスクを避けないと生活負担も大きくなるばかり……、となれば楽な側に流れるんじゃないかとも思いました。