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釣殿計画~アナタだったら池に何を放つ?

 日本史の教科書に、平安時代から中世にかけての貴族階級の住居として『寝殿造しんでんづくり』という建築様式が出てきますよね。


 母屋の南に大きな池を掘って、池の東と西にそれぞれ『釣殿つりどの』という離れがあるヤツです。


 貴族はこの池にコイやフナを泳がせて、釣殿で酒宴を行ない、ときに魚採りをして楽しんだという。


「釣り堀の親仁おやじかよっ!」とうらやましく思った記憶があります。

「母屋は掘っ立て小屋でよいから、釣殿のある生活してェ」ともね。


 ところがこの寝殿造、どうも母屋は本当に柱と屋根しかない建物だったようで。

 壁は無く、しとみと呼ばれるわらあしで編んだすだれがかかっているだけ。プラス御簾みすという布製パーティションくらい。


 壁があるだけ掘っ立て小屋のほうがマシか。寝殿造、なんだか寒そうです。弥生時代の竪穴住居の方が居住性が良いんじゃない?


 しかし鎌倉末期の自由人でエッセイストの吉田兼好は『徒然草つれづれぐさ』の中で

「家選びなら、暑い夏を涼しく過ごせるかがポイントですよ。冬は何のかんの言っても、寒さってしのげますし」

なんて、涼しい建物推しですけどね。


 一方で奈良時代初期の貴族で歌人の山上憶良やまのうえのおくらは『貧窮問答歌ひんきゅうもんどうか』の中で

「こんな雪の夜は、オレたち貴族は粗塩をさかなに熱い甘酒を飲んで、有るだけの着物を重ね着して麻布団を引っ被っているのに寒いよね。貧乏人はどうやって過ごしているのかな?」

みたいな事を書いています。


 あ~二人のスタンス、だいぶ違う。


 ちなみに吉田兼好は京都で『徒然草』を書き、山上憶良の『貧窮問答歌』は福岡赴任中の出来事とされているようです。

 福岡の冬は京都の冬より寒いの? というギモンが湧きますが、二人の生きていた時代が異なります。

 奈良時代vs鎌倉時代なんですよ。

 はい! ここがポイント。


 つまり寝殿造が普及した理由って、地球がめっちゃ暑くなってしまったからなんですよ。

 だから南の島の水上家屋みたいに、風通し第一主義みたいな家になっちゃった。

 台風に弱かろう、なんて言っていられない。竪穴住居なんて暑くて死ぬわ! って気分だったんでしょうか。


 奈良時代初期の山上憶良が生きていた時代(8世紀初頭)、地球はたいへん寒く平均海面は今より1m下がっていたとされてます。つまり寒波で極地に氷が増し、海の水が減っていたわけだ。


 これが10世紀の初めごろ――清少納言が『枕草子まくらのそうし』を書き終えたのが10世紀末(と言うか11世紀のアタマ)の1001年くらい――には、現在と±0mくらいにまで海面上昇しています。

 地球は暑くなったんです。

 だから清少納言は「夏は夜がいいのよ。ホタル飛んでるし」とか「金属製のオシャレな容器にカキ氷を入れて、甘いシロップを掛けたら最高!」みたいな事を書いていますね。

 冬のことも「冬の朝はイイ。雪サイコー! だけど昼頃になって暖かくなってくると(炭の追加もしないから)火鉢が灰ばかりになってるのはどうなのよ!?」みたいなカンジで、寒さが和らいでいることが窺えます。


 更に12世紀頭(平安時代末期)には、今より50㎝上。めちゃめちゃ暑かったんですな。

 この平安時代の海水面の上昇を『平安海進へいあんかいしん』と言ったりします。


 海水面が今より50㎝上昇するっていったら、現在盛んに議論されている『地球沸騰化』の挙句あげくに起こる破局カタストロフィーですからね。

 これから先は北欧の意識高い系の人たちも煉瓦レンガの家に固執せず、木と紙の寝殿造に住んだらエエんちゃいます? 風通しも良く湿気も溜まりにくいから、気密気密って発狂せんでも快適でっせ?


(まぁた今年も環境NGOが、日本に化石賞を押し付けてきたのにちょっと腹を立てています。今年の受賞国は日本・ニュージーランド・アメリカの三か国。石炭火力を復活させたドイツや、バンバン石炭・石油燃やしまくりの中国にはお咎めナシ。石油輸出で儲けている産油国や戦争しまくりのロシアにも何も言ってないのにね。アンモニア混燃の新技術先行が、よほど悔しいらしい)


 ちょっと落ち着きましょう。深呼吸、深呼吸。

 ええっと、寝殿造の時代・釣殿の時代は暑かった、という流れでした。


 ゆえに高水温に強いコイやフナをチョイスするのは理に適っています。

 ヤマメなんか泳いでいたら素敵ですけど、水温が20℃を超えたらアウトですからね。


 水槽でヤマメやアマゴを飼育するなら水槽用クーラーをつけ、水温は15℃以下に保つのが良いとされているくらいです。

 だから平安末期にヤマメを泳がせようと思ったら、鞍馬の山奥とかに住むしかなかったでしょう。

 貴族にとっては『ほぼセルフ流刑るけい状態』という事になります。

 幕末になってからですら岩倉具視いわくらともみが蟄居流刑させられたのが、洛北の実相院じっそういん付近なのですから。

 もっともコレは、洛中(御所近く)で蟄居していると、土佐勤皇隊から暗殺者を送り込まれる可能性が高かったから、とも言われていますけどね。


 それはさておき、比較的御所近い場所にある大きな池といいますと、今なら平安神宮の池が代表格かな?

 平安神宮が出来たのは平安時代ではなく、明治時代(明治28年 1895年)ですけどね。


 そして平安神宮のデカい池、琵琶湖疎水から水を引いているいるせいで溜まり水ではないんです。

 いわば大きなワンド。

 だから住んでいる魚も面白い。


 コイやマブナがいるのは勿論、鮒ずしの原料になるニゴロブナが住んでます。

 他にも琵琶湖名物ホンモロコ(焼いて醤油をかけると美味い)や希少タナゴのイチモンジタナゴなど。

 外周付近の導水路で巨大スッポンをみかけた事もあります。はじめ「変な所に飛び石が置いてあるな」とか目を疑いました。生きたスッポンだとは思わないからねェ。


 そんな具合に「オレの考える最強の釣殿」を妄想する場合、取っ掛かりは平安神宮の池スタートが無難でしょうか。


 拙の場合、絶対に”我が池”で飼いたい魚は『オヤニラミ』であります。

 一度しか釣った事はありませんし、大きくはならない(最大でも12㎝)ですが、カッコイイのよ。

 カワメバルという地方名を持つように、外観が海の怪物クエそっくりなのさ。いや絶対にメバルよりクエに似ている。

 水族館の淡水魚展示コーナーにオヤニラミがいると、「ほ~」とか言って動けなくなってしまいます。ちっちゃい魚なのにね。


 日本の純淡水魚としては、拙はこのオヤニラミがアユやヤマメを差し置いて堂々の一位です。


 しかし妄想の翼を広げるのは自由ですから、別に洛中に限る必要はありません。

 土佐に流された土御門上皇の立場だったら、汽水域から水を引いて、土佐の怪魚アカメを飼うなぁ、とか。


 釣殿計画の夢は無限なのです。

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