episode 89
ごそりとふとんが浮いて、誰かが入ってきた。
いや、この部屋には自分の他には壱花しかいないのだから、これはもちろん壱花なのだろう。体温が近づいてきて、ふとんの中の温度が一気に上がった。
(んーー……こ、これは壱花ちゃん、完全にベッド間違えてるな)
バスルームのドアの音で、壱花がトイレに起きたことはわかっていた。けれど、寝ぼけてベッドを間違えるなんて、思ってもみなかった。
ベッドを決めるとき、あちらとこちら、迷っていたからか。いや、寝しまに酔わせすぎたのかもしれない。
ふわりとシャンプーの匂い。自分の胸の辺りに壱花の頭がある。ごそごそと近づいてきて、ジェインはそのまま天を仰ぎたい気持ちになった。
「壱花ちゃん、ベッド間違えてるよ」
小声で囁いてみた。
「ん、んーむ、むう」
眉間にしわを寄せて唸っただけで起きそうもない。
その可愛さに身悶えする。
(やっぱあんま飲ませるんじゃなかったなあ)
シャンパンはもとより、買ってあったお菓子をベッドの上に広げた。
もちろんカリカリ梅は必須アイテム。他に、デパ地下で購入したチョコレートボックス、マカロン、クッキー缶に加え、ポッキーやらポテトチップスやらコンビニ菓子も。
「わ! こんなにたくさん! 食べちゃっていいんですか?」
ジェインはその笑顔を見て、とても満足だった。仕事で思い通りに契約が取れたときの、高揚した気分に匹敵していると言っていいほどだ。冷蔵庫から冷えたシャンパンを取り出した。
「壱花ちゃんはいつもお酒はなにを飲むの?」
「わ、私はビール一択です」
「若いのに渋いね。でもビールってのは、間違いなくうまいからなあ」
「ジェインさんはなにを飲まれるんですか? やっぱりシャンパンですか?」
グラスの中、淡いゴールドの液体、ゆらゆらと揺れては登っていく、炭酸の泡をじっと見つめながら、壱花が訊いた。目が釘付けだ。その美しさにか、黒い瞳が真ん中に寄りそうな勢いだ。
「壱花ちゃん、どうした? 飲む前からもう酔ってるの?」
ジェインは笑いながらも楽しくなり、シャンパンをぐうっと飲み、グラスを空けた。壱花が、空いたグラスへとシャンパンを注ぐ。
「ありがとう。俺はねぇ、まあシャンパンも飲むけど、ワイン派かな。もちろんビールも飲むし。なんでも。ただ日本酒だけが飲めないかな」
ちびりと飲んでから、ゴクゴクと壱花が飲んだ。
「私もです。焼酎も苦手で。香りがだめなんです」
「わかるー、香りね。あれ独特だもんね。すうっと鼻にくるよね」
「あれが良い匂いだと思うことができれば、飲めるようになるのかな……」
「そうかもね」
いつもより、自分も壱花も饒舌なような気がしていた。やはりアルコールの力はすごい。
「息を止めてなら飲めるかも」
「卒倒しちゃうよ! そこまでしなくても! お酒は美味しく飲まなきゃ。ね?」
ジェインが腕を伸ばす。頬に触れると、いつもならぴゃっと仰け反りそうなものなのに、今回は反応が鈍い。やはり、酔っているようだった。
子ネコをあやすように、喉元をかりかりころころしたい! そんな衝動に駆られる。
「大丈夫かい?」




