episode 85
「ジェインさん」
「困らせてるとは思う……けど」
「…………」
「一緒にいたいだけなんだ」
長い沈黙があった。けれど、悪い雰囲気ではない。それはジェインも感じていた。ただ、やんわりな拒否の空気も感じるのも確かだ。
あまり無理難題を押し付けて、良かったはずの空気をぶち壊したくなかった。もうそろそろ自分が引かねばなるまい、そう思っていた矢先。
壱花が手で顔を覆いながら、「わ、かりました」と蚊の鳴くような声で言った。
もちろんその小さな声を聞き逃してはいない。やばい。マジで?
「ほんと? やった!」
心の中でガッツポーズ。
「じゃあ、一応用意はしてあるけど、足りないもの、なにを買えばいいかかわからないだろうから、まずは俺の部屋に行こうか」
「……はい」
(やば、マジで嬉しぃ)
天を仰ぐ。
まさか成功するとは思っていなかった。
壱花と一緒に夜を過ごすことができる。もちろん邪な考えは封印してある。だからこそ、信頼してもらっている、それが嬉しかった。
ただ、自分も男だ。欲はある。
あのフィッティングルームで、後ろからワンピースを当てた時、実のところ壱花の、あの細い首筋にキスがしたかった。そして、頬へと唇をそっと押しつけていきたかった。それをぐっと我慢した。
だから。
(もちろん我慢だ。ここで信頼をなくすなんてバカなことはしたくない)
ここでやらかしたら、すべてがおじゃんだ。
自分のなかにある鋼鉄の意思を改めて確認し、ジェインはレストランを後にした。




