非暴力不服従
大学の文科系サークルが会議室に集まって、ディスカッション的なものを開いていた。
テーマは戦争。
ほら、昨今、色々と物騒だから、「自分達には関係ない」などとは思わず、真剣に考えてみるのも有意義ではないかと誰からともなく話が持ち上がったのだ。ただ、それは討論というよりは雑談に近かった。銘々が言いたい事を言っていたけれど、別に誰かを反駁してやろうだとかいった雰囲気はなく、ただただそれぞれの意見に皆が耳を傾けて軽く感想を言い合うような流れで和やかにその会議は進んでいた。
私はそんな出席者の中で鈴谷さんという民俗文化研究会に所属している女生徒に注目をしていた。“頭が切れる”と噂だったからだ。ただ拍子抜けと言うか何と言うか、彼女は会議が始まってからほとんど口を開いていなかった。もっと次と次と相手を論破していくような性格を想像していたから少々意外だった。
そんな彼女を挑発的に眺めながら、坂田君という男生徒が口を開いた。
彼もきっと鈴谷さんの噂を知っているのだろう。それで論戦を挑むつもりなのだ。不敵に笑いながら彼は言った。
「“非暴力不服従”なんてのは、やっぱり単なる綺麗事なんだな。こーいう戦争みたいな事件が起こるとよく分かるよ。何の力も発揮しないじゃないか」
何となく斜に構えたような態度、周囲を小馬鹿にしたような印象が少し不快だった。
自分が挑発されている事に気付いたのか、それとも彼の主張が気に食わなかったのか、鈴谷さんは口を開いた。多分、この会議で彼女が自分から積極的に言葉を発するのはこれが初めてだ。
「それは“非暴力不服従”運動の効果を否定するってこと? 少なくともインド独立の原動力にはなっていると思うけど」
坂田君は肩を竦めた。
「それは国が良かっただけだよ。“非暴力不服従”の効果とは言えないと思うな」
私は鈴谷さんがそれになんと返すのか興味を持った。反論するのかと思ったのだけど、彼女は「“国が良かった”というのは、確かにあるわね」とそれを認めてしまったのだ。しかし、それからこう続ける。
「ただ、“非暴力不服従”に効果がなかったとは言えないわ。その“環境”の中で有効な方略を見出して実践するというのは、基本中の基本だしね」
「環境?」と、それに他の誰か。鈴谷さんは頷く。
「そう、環境。一つはインド文化圏だった点、もう一つはインドを支配していたのがイギリスという法治国家であった点」
なんだか私のイメージ通りの鈴谷さんになって来た。また他の誰かが言った。
「インド文化圏だとどうして“非暴力不服従”に効果が出るんだよ?」
鈴谷さんは淀みなく答えた。
「知っての通り、“非暴力不服従”を主導したのは、マハトマ・ガンディー。だけど、非暴力の思想は、彼独自のものではないわ。古代インドのジャイナ教の思想。インドって事で直ぐに連想できると思うけど、その思想は仏教にも影響を与えている。
どれだけカリスマ性の高いリーダーがいたとしても、何の文化的土壌もない地域でいきなり“非暴力不服従”なんて運動に多くの人が従うはずがない。つまり、“非暴力不服従”を実践できたのは、古代から根付いて来たインド思想があったからこそ、と考えるのが普通だわ」
坂田君はその彼女の説明に、
「なるほど。“非暴力不服従”の由来は分かったよ。でも、それが単なる綺麗事だって点は同じだろう?」
とやはり小馬鹿にした感じで言った。
「断っておくけど、“非暴力不服従”は決して無抵抗を意味しないわよ? 実際、ガンディーには過激な一面もあった。更に言うと、イギリスには、“非暴力不服従”という対抗手段はとても有効でもあった。
非合理的で、理想論だけを語る人間に革命を主導する事なんてできるはずがないわ」
鈴谷さんの反論に坂田君は顔をしかめた。
「“非暴力不服従”の何がどう合理的なんだよ?」
その反論に対し、彼女は、
「――ガンディーは、弁護士でもあった」
そう淡と告げるように言った。
「弁護士? それがどうしたんだよ?」
「分からない? 当時、既にイギリスは法治国家よ。暴力を振るわないで抵抗する人間に対し、重い刑罰を科す事はできないわ。そして軽罪を犯す人間が膨大な数になれば、自ずから刑務所はキャパシティを越えてしまう。
つまり、“非暴力不服従”はイギリス統治に対して着実にダメージを与えられる極めて有効な手段だったのよ。
もちろん、ガンディーはインド思想を知っていたのでしょう。だけど、弁護士で法律を知っていたからこそ、法治国家に対して“非暴力不服従”が有効だと合理的に判断できたのじゃないかしら?
勝手に戦争を始めて、自国の反体制派の人間を大した理由もなく逮捕してしまうような国では無理かもしれないけどね。
どう? これでも“非暴力不服従”が合理的じゃないって言える? 少なくとも、単なる綺麗事ではないと思うけど……」
その鈴谷さんの言葉に坂田君は何も反論ができなかった。
簡単に坂田君を論破してしまった鈴谷さんを見て、私は“なるほど、噂通りだ”などと思ったりした。