初めての子作り
「うぅ――ん……」
「ララさん、なにやってるんですかそんなところでイキんで。おトイレならよそで済ませてくれません?」
俺は、焚き火のなかにカランと薪を追加しつつ、家の中でうんうんうなっているララさんに声をかけた。
振り返ったはずみで長い金髪が一瞬ふわっと広がって、黒いベルベットのジャケットの肩にさらりとかかる。
そうそう、ちゃんと服は着てもらいました。清流でざっと洗ってきて木陰に干しただけだけど、夜までに乾いてよかった〜。雨上がりの天気の良さパねぇ。
あ、興味ないと思うけど俺もちゃんと服は乾かしたぜ。
「おトイレじゃないもん。魔物が生まれないんだよぉ〜」
ララさんはべそっと半泣きの情けない声でポツリと漏らすと、ててっとこっちに歩み寄ってきて、ちょこんと座り込んだ。
あああ〜そんなことしたら、あったかウールのキュロットが土で汚れる……!
「アラセこそ、さぼんないでよ! 何してるの?」
「魚を捕まえてきたんで、焼いて食べるんです」
俺は焚き火でこんがり直火焼きになった魚をひょいと取り上げて、一つを自分の口の中に、一つをララさんのほうへ差し出した。
「リンゴ一個半分こしただけじゃ全然足りないでしょう? 炭も作っとかないと夜は冷えるし……。ほんとは干物なんかにして保存食にできたらよかったんですけど……ここにどっしり腰を落ち着けて長居するわけにもいかないですからね。不法侵入だし」
ふと目をやると、ララさんは魚の丸焼きを持ったままぼんやりこちらを見上げていた。
俺はララさんに目線を合わせて、首をかしげる。
あれ、どうしたんだろ。
神さまとはいえ食事はするんだよな? さっきリンゴ食べてたし。
あっ、もしかして……食べられないものとかあるのかな!? 植物は大丈夫でも生き物を殺して食べるのは駄目とか……?
「お魚、食べられないですか?」
「ううん。ちがくて……アラセ、忙しいなら……お祈りは明日にする?」
しょんぼりと長いまつげを伏せて、お魚のヒレの部分をチマチマ食べ始めた。
「んっ? いやまあ、……明日の準備が終わったら、寝る前にでもお手伝いしますよ。……俺にできるかどうかわかんないっすけど……」
「ほんとっ!? 寝る前にお祈りしてくれる?」
俺が手伝うといった途端、ララさんは急にご機嫌になった。
朝焼けのようなピンクの瞳をキラキラさせて、豪快に魚を枝まで噛みちぎり、バリバリもくもくごっくんと元気に食べてしまった。そして、「ふんふんふ〜ん、お〜いの〜りっお〜いの〜りっ♪ あ〜らせ〜のお〜いの〜りっ♪」と『お祈りが楽しみな歌』を口ずさみ始める。
そ、そんなに楽しみにされると照れるぜ。
でも、ちょっと自信がないなあ。
だって魔物がいっぱい生まれますようにってお祈りしなきゃいけないんだろ?
確かにその血肉は、国中が渇望している貴重な資源でもあるんだけど……魔物は人間を襲う危険な存在だ。
俺が祈りを捧げて生まれた魔物に、誰かが殺されてしまったら……?
その躊躇もあって、お祈りとやらを先延ばしにしていた。
炭を枝先でツンツンしながら考え込んでいると、ララさんは周りをうろちょろしながら「準備おわった? おわった?」などと急かしてきた。
「あー、……ララさんは魔物を生むのに忙しいんじゃないんですか?」
「たぶん無理だと思うんだよね。俺、才能ないもん。魔物の卵孵せたの、さっきのドラゴンが初めてだし!」
「ええっ!」
びっくりして思わず大きな声を出してしまって、すぐに後悔する。
ララさんは明るく言って平気なふりをしていたが、「きゅっ」と震える唇を噛み締め、涙がこぼれないように盛んにまばたきをしていた。
「先代の魔神は、……俺のパパはすごい神さまだったんだ。世界中が瘴気で真っ暗になってね、色んな種類の魔物を次々に発明したの。赤いのとか、青いのとか、丸いのとかトゲトゲなのとか……人間そっくりに化けられる魔物も!」
「いましたねー」
「そだよね、今はもう存在しない……。俺に交代してから、全然魔物が生まれなくなっちゃってさぁ。人間に倒されたらほんとは生んで補充しないとなんだけどね。どんどん倒されるばっかりで……みんないなくなっちゃった。今って魔物、全然いないでしょ? ちょ〜平和になっちゃってるでしょ? ……それってね、俺のせいなんだ……」
……ん?
魔物がいなくなったのって、魔王が倒されたからのはずでは?
ララさんに交代したから魔物が生まれなくなった?
あれあれ〜、なんかこんがらがってきたぜ!
魔王と魔神ってもしかして一緒の存在? 呼び方が違うだけ?
じゃあ倒された魔王はどこにいるんだ? ララさんのパパさんこそが魔王なのか? ってことは師匠に倒されて、今はお亡くなりになってる?
「えーと、ちょっと待って下さい、俺はししょ……王様から『魔王を倒したから魔物がいなくなった』って聞いてます。すんごく聞きづらいことなんですけど、もしかしてその倒されたのが、お父さん……ですか?」
「なにそれ? パパが人間ごときに殺されるわけないじゃ〜ん。元気だよ。だんだん力が衰えてきたからって、俺に交代しただけ。最近は天空大陸の別荘で家庭菜園にハマっちゃって、バロメッツの毛並みを金色に品種改良するって燃えてる」
そうなのか……よかった。
ンでも、んん〜? そうすると、俺の知ってる話と違うなあ。
「魔物をいくら倒しても、いなくなったりなんかしないよ。理屈としては、瘴気が結露したみたいに集まって、氷みたいにカチーンて固まると魔物になって、倒されると瘴気が死骸から抜けてまた周囲に漂って、また固まると魔物になるっていう繰り返しで、循環してるの」
「へぇ〜」
「その固まった瘴気の量が多いと強くなって、少ないと弱くなって……、すごーいたくさんの瘴気をギュッてすると、魔王くらいの強さのやつができるんだよ」
「そうだったんですか……。魔王は魔物の一種なんですね」
「うん。……魔物が生まれなくなったのは、単純に俺の力不足だと思う。もしかしたら、世界に存在する瘴気の絶対量は、魔神の体の大きさに比例するのかも……ね」
「あっ……」
うつろな笑いを浮かべた頬に、ツツーッと涙が一筋たれていく。
わ、わ〜!
泣かせちゃった! 泣かせちゃった!
あぁ〜どどどうしよう!
「で、でもそれは『思う』だけなんですよね? そのとおりだとは限らないじゃないですか!」
「でも違うとも限らないし……」
「らららララさんは神さまなんですから、神さまが『絶対そう』って思わないものは『違う』んじゃないかなぁ〜きっと、いやきっとそうです! ほ、ほら……ドラゴン! ドラゴンなんていうすっごい魔物を生み出せたわけでしょ!? あの子超でっかかったじゃないですか!? さすがララさんっす!」
がしっと両手を掴んで、ぎゅーっと握り込む。
「……」
ララさんのほうけたような視線が、ぽとんと落ちて自分の手を見た。
もぞっと細い指先が手の中で動いて、皮膚同士がこすれる柔らかな感触にドキッと心臓が跳ね上がった。
「へ? ……あっ、ご、ごめんなさいっ!」
さっと血の気が引いて、弾かれたように手を離す。
ララさんは戸惑ったような表情をして俺と自分の手を見比べていたが、やがて、 涙で潤んだ瞳をこちらに向けて、ふんわりと微笑んだ。
「ううん、ありがと……」
え!?
ドキンッと心臓が跳ね上がって、そんな自分に更に驚いて、カッと顔に血が上る。
え……ぇえ〜!
ちょっ、……ウッソ!?
や、やべ、やべぇよ……やべえって……いやまじ……。
何? びっくりした……なん、……なんなん、もぉ〜……、ちょ、マジかよ~!
超……いや、駄目だ……いや駄目じゃねえ……なんていうか……その……どの?
……すっげえ……好みのタイプ……!!
あ、いいいいやいやいやいや、違うから!
人間性!
……あっそうか人間じゃないんだっけ……。
とにかく、恋愛感情とかそういうのとはアレじゃないから!
そんなまさか……ねえ? 出会ったその日に好きになるわけねえじゃん? まだろくに話したこともないのに? ていうか男でも女でもないし? いや、必ずしもどっちかじゃないとだめとかじゃないけど? そもそもその概念が存在しないし?
あっ、そうそうそうそうそう、存在しないし!
そう、……そうだよ。
ハァ〜、なんか落ち着いてきた。そうだ……ないない。存在しない! だってララさんは神さまなんだから。二分の一じゃないよな。実質百%ない。物理的に不可能! よかった〜。さすがに人間じゃないならどんなに好きでも不可能だもんな!
ララさんは神さま! 数多の魔物の頂点に君臨する神さまです!
よかった〜。
はぁ〜……。
はぁ。
……初恋……だったのに。
「あ、アラセ、……これ……」
俺が脳内でお花畑を営んだり奈落に落ちたり忙しくしていると、ララさんが胸元で握りしめていた手のひらをゆっくりと解いた。
「えっ!?」
そこに乗っていたのは、卵だった。
大きさは、俺の握りこぶしくらいかな。だから、ララさんの手のひらの中からはちょっとあふれるくらい。
ツヤッとした光沢のある黒い色をしていて、白い一本線で模様がついている。
あれ? ……これ、見覚えがあるぞ?
ドラゴンが出てきた卵じゃね?
いやでもなんか、柄が違うなあ?
「これ魔物の卵じゃないですか!?」
「わ、わぁ〜、どうしよう、どうしよう!」
ララさんはなぜか大慌てで、オロオロと卵を載せた手のひらをあっちへフラフラこっちへフラフラ彷徨わせる。
うわ、落ちる!
俺はあわててその手のひらを下から掬い上げるようにして、ぎゅっと握り込んだ。
「だめっす! 落としちゃいますよ。しっかり持って!」
「は、はい!」
わちゃわちゃしているうちに、またしても卵にパキンッとヒビが入った。
ええ〜、生まれる!? ララさん、生まれそうですよ!?
待って待って!
何が出てくるんだ? 怖い!
でもドラゴンも最初はミニチュアサイズだったし……、大丈夫だよな?
とか甘いことを考えているうちに、卵がパカンと真っ二つに割れ、中からぶわっと真っ黒な煙のようなものが吹き出してきた。
あれよあれよと言う間に周囲が真っ黒に染まり、何も見えなくなる。
黒い霧、なんて見たこと無いけど、ホントそんな感じ。そんな不思議なもやもやで、なんにも見えなくなってしまったんだ。
「うわ〜、な、なんだこれ!」
「ひゃあ〜!?」
どの方向に注意すればいいのかわからないけど、とりあえず足元に転がしっぱなしだった剣を蹴り上げて拾うと、片手で構える。
もう片方の手はララさんの手をつかみ、しっかりとはぐれないように引き寄せた。
「無礼者っ!」
――ビュッ!
霧のなかから突如放たれた剣先の鋭さに、周囲の霧が真っ二つに割れる。
反応……できなかった。
ヒヤリと首筋に突きつけられた感触。
その剣身をたどって視線を上げると、そこには、巨大な黒馬にまたがった、首のない鎧騎士の姿。
「デュラハン!?」
「軽々しく我が名を呼ぶでなぁい!」
金属の中で反響しているような声にビシッと怒鳴られてしまい、二人で抱き合いながらすくみあがった。
「こ、こ、怖いよぉ〜、アラセぇ!」
「お、お、俺もです〜、ララさん!」
「……」
デュラハンさんは俺らが、いや――正確にはたぶん、俺らじゃなくて「ララさんが」怖がっているのを見ると、俺に突きつけていた剣をおさめ、鞘の中に仕舞った。
そして、重たそうな鎧を着込んでいるというのに音一つたてず馬から降りる。
「我らが主よ、その人間は眷属なのですね。そうとは知らず刃を向けてしまい、大変な無礼を働きました」
「……」
すんっ、と洟をすするような仕草のあと、ララさんは大きな瞳にたっぷんたぷんに涙を溜めて、デュラハンさんを見上げた。
さすがのララさんもさすがにめちゃめちゃ怖かったらしく、自分が魔物の神さまであることも忘れ、俺の後ろにずっとしがみついていた。
そりゃあもうがっしりと背中に腕を巻き付けて、ギュウギュウ抱きついてきた。あの細い腕のどこからあんな力が出てくるのかと思うくらい。ちょっと痛かったぜ。
「……うん。苦しゅうない」
「ご寛大なお言葉、ありがとうございます」
ララさんがこっくりうなずくと、デュラハンさんはかっこよく闇色のマントをバッサァ〜ッとやって、その場に膝をついた。
よかったぁ〜。
……っていうか、マジで魔物、生まれちゃったよ……。
よくねぇ〜。
次話明日お昼投稿予定。