ドラゴンは可食部が少ない
「う……うぅ……」
ポツポツと雨粒が頬を叩く感触が、夢の中にだんだん染み出してくる。
あれ、この雨だけ夢じゃないな……。
ん、ってことは俺、寝てるのか?
えーと、どんな夢だったっけ……あっ、……だめだ。
夢の内容……忘れちゃった。
目を開けると、寝心地最悪の石ころマットに、体温を奪いまくる河川の水流を毛布代わりにした、天国直行ベッドのなかだった。
起き上がろうとすると、冷え切った体がギシギシと悲鳴を上げる。
剣を抱えていた腕なんかそのまま凍りついたみたいになってて、指を一本一本つまんでやっと引き離すことができた。
「ぐっ……ヤバい!」
体を動かすと、途端にガチガチと歯の根が噛み合わないほどの強烈な震えが全身を襲った。
外側からどんどん視界がぼやけてくる。
早く体を温めないと、命に関わりそうだ。
グゥ〜……。
空きっ腹のまま全力疾走をしてしまったので、胃袋も悲鳴を上げる。
お腹すいた……。最後の配給から……四日か。全然マトモなもの食ってねえもんな。
えーと、昨日は豆を三粒食べられたんだけど……。
一昨日は、具がないスープと、そのへんに生えてた黄色いお花だったし。
一昨々日は、木の根っこをトントン叩いてほぐして食ったらお腹を壊したんだっけ。
なんか……なんか食べ物! このままじゃ死ぬ!
血走った目で周囲を見回す。
あたりは一面石ころばっかりだ。
川辺の石だからコロコロっと丸く削られていて……あっ、なんか丸っこいし、がんばれば卵に見えなくもないかも!
わあ〜、卵がいっぱいだ〜。
すげぇ〜っ、これ、全部食べていいの!?
えへへ……こんなに食べたら太っちゃうぜ。へへ……。
師匠にも持って帰ったら喜ぶぞぉ〜。
今日は国民総出で、卵パーティーだ〜!
――はっ!
気がつけば石を手にとって歯を立てようとしているところで。
歯に当たった硬い感触に驚いて正気に戻った。
あ……あぶね〜っ、危うく人間の尊厳を失うところだったぜ。
両手をお椀のようにして、口に運びかけていたその石を見下ろす。
いやぁ、極限状態の審美眼って恐ろしいな。この石、すっごく卵っぽい。
角が綺麗に取れてまんまるになっている。コロコロしてて、ちょっと先っぽがとんがってて、ずっしりと手のひらにのしかかる重みが完全に卵っぽい。
色は白くないけど……ツヤッとした真っ黒な色はむしろ、燻製卵っぽくて美味しそうかも。
まあ、鶏の卵にしてはちょっとでかすぎ――、あれ?
「あれ……こ、これ、卵だ!」
ゴシゴシと目をこすって、もう一回まじまじと見つめる。
最初に手にとっていた黒いのは、足元にズラッと並ぶ石の中で明らかに異質だった。
どの角度から見ても綺麗なしずく型の球体。サラサラとした触感。
卵だ!
やった、本当に卵だ!
これでなんとか生き延びられる〜!
「あぁ……神さま、お恵みをありがとうございます!」
ぎゅっと卵を胸に抱いて、さっそく俺は祈りを捧げた。
これから生まれてくる命には大変申し訳ないけど!
このままじゃ俺、死んじゃうから!
俺の血肉となって元気に生き続けて貰うから!
ピシッ。
全身全霊で感謝の祈りを捧げていると、突然、持っていたその卵にヒビが入って、俺は目を開けた。
あれっ、生まれる?
いやいや、こんな土砂降りの中で? 温めるどころか、よ〜く冷えた卵が?
すげーな生命の神秘。
な〜んだ、生まれちゃうのかあ。
まあヒナなら骨も柔らかいだろうし、生でも食えるかな? 何が出てくるんだろ? 爬虫類じゃないといいなあ〜。
そんな事を考えながらアホ面でボケッと見守っていると、卵の殻が中からパキパキと押し割られていった。
にゅっと飛び出してくる、黒くて細長い首。
パチッと開いた瞳は、朝焼けのような紫がかったピンク色。
「ピャーッ!」
そのヒナは、するどい牙がズラッと生えた口をガバッとひらき、甲高い鳴き声を上げた。
同時に、ボォーッと真っ赤な炎のブレスが吐き出される。
「うわぁ!」
間一髪。
思わずのけぞった俺の前髪を焦がし、炎はそのまま扇形に広がった。遠く離れた背後の木を一本丸焦げにした挙げ句、ゴウゴウと周囲の森を燃やし始める。
わぁ……あったかぁ〜い!
……じゃねえ!
え、なんだこれ? 何が生まれたんだ!?
改めてまじまじと手のひらの上のヒナを見つめると、そいつはすっかり卵の殻を割り終えて、クルンと丸めていた手足を伸ばした。
真っ黒な鱗で覆われたかっこいいボディ。
長い首、長い尾っぽをクネクネと自由に踊らせて。
しまいには畳んでいた黒い翼を、バサッと広げる。
……まあ、手のひらサイズだから、「バサッ」というより「パタッ」って感じだったけど。
「トカゲ……?」
「ピャァア!!」
「うわうわ! 火を吹くな! えっと……ドラゴン?」
「ピュイ〜!」
俺のつぶやきに『ドラゴン?』は満足そうに目を細めた。
手のひらの上でゴロンとくつろぎ始め、鱗のトゲトゲに引っかかった卵の殻をしっぽや口先で丁寧に掃除し始める。
フンフンと俺の手のひらの匂いを嗅いで、クシュンッとくしゃみを一つ。
しばらくピンクの瞳をパチパチしていたが、やがて全てを忘れたようにまた熱心に毛づくろい……じゃなくて鱗づくろいを再開する。
「なぁんだ〜、ドラゴンかよぉ……」
対して俺はがっくりと肩を落とした。
はぁ〜、鳥ならよかったのになぁ!
いや、せめてトカゲなら丸焼きにして、まるごと食べられそうだったのに!
こんな細っこい体にトゲトゲした鱗が生えてたら、可食部が少ないじゃん。あーあ、一番おいしそうな頭の部分にツノなんか生やしちゃって。しかも二本も。
あっでも、ワンチャン、翼は焼いたらおせんべいみたいにパリパリ美味しく食べられる?
あれぇ、でも魔物って食べて大丈夫かな、毒とかありそう……。
――えっ、魔物!?
「ま、魔物だ……!」
俺はビックリしてドラゴンを投げ捨て、どたばたと後ずさって剣を手にとった。
びっくりしたのはドラゴンの方も同じで。
放り出されて落っこちる直前に、ちっちゃな翼をパタパタさせてなんとかホバリングし、ずしゃーっと雨が降りしきる石ころの中に胴体着陸する。
「ピュィ?!」
しばらく長い首をうろうろとさまよわせ、「ピュ〜、ピュィイ〜……」と悲しそうに泣き続けるその様子に、ズキッと胸が罪悪感に締め付けられる。
「え、……ご、ごめ……?」
……いや、ドラゴンは、魔物だ。
災厄を呼び、瘴気を撒き散らす邪悪な存在。
なんでこんなところにいるのかわからないけど、大きくなる前に退治しないと。
それに、こんなちっちゃくっても魔物である以上、血も肉も、骨も皮も貴重な資源になる!
こいつをやっつけて持って帰れば、剣を取り上げられずに済むかもしれない。
逡巡しているうちに、ドラゴンは剣を構えた俺を見つけてしまった。
「ピュゥ! ピュイィ〜!」
ドラゴンはカパッと口を大きく開けて、まるでこちらの気を引くようにボッとちっちゃな火を吐いた。
パタパタ羽を動かして飛び上がろうとして――、まだうまく飛べないようで、ペタンッと墜落してしまう。
しまいにはヨチヨチ這いつくばりながら、あっちにフラフラこっちにフラフラ。一生懸命手足を動かしながら俺を目指して歩いてきた。
「う……っ」
めちゃめちゃやりにくい!!
剣先がグラッと下りてしまいそうになるのを、歯を食いしばってなんとかギュッと踏みとどまる。
どうしよう……できねえよぉ!
いやでも絶対まずいよなこのままじゃ……、なんかこう、昔懐かしスイカ割りみたいに目をつぶって振り下ろせば……いけるか?!
いや……鳴くよなぁ、殺したら。さっきみたいな悲しそうな悲鳴を上げるよなあ?
じゃあ、耳も塞いで目も塞いで……。
……それで、どうやって剣を振り回すんだ俺は?
全身がガチッと石のように固まってしまった俺に、ヨチヨチとドラゴンが這い寄ってくる。
「うわ〜、く、来るな! 来るなぁ〜! 俺が悪かったぁ、もうしないから、許してください!」
自分でも何に謝っているのかよくわからないまま、ぶんぶんめちゃくちゃに剣を振っていると……。
「だめーっ!」
パッと眼の前に躍り出た人を斬りつけそうになってしまって、剣を取り落した。
――一瞬だけ見えた、朝焼けのような紫がかったピンク色の瞳。
その人は、全身をぶかっとした煙色のローブで包んでいた。
頭もしっかりばっちりすっぽりとフードを目深にかぶって、口元なんかは妙な紋様が刻まれた布がかかっていた。ああいうのなんていうんだ……ヴェール? ヴェールだっけ。占い師さんとかがつけてるやつ。
そんな感じで性別はおろか、人相すらよくわからない。
ただわかるのは、全身を覆うローブの切れ目から、鮮やかな強い瞳がこちらを睨みつけていることだけ。
ガシャンッと剣が落ちて、重たい金属音が足元に響く。
「だめ、この子を殺しちゃだめ……! せっかく、初めて生まれてきたのに……殺さないで!」
ローブの人が裾をバサッと払って叫ぶ。
すると、足元にうずくまるドラゴンがピンク色に輝く不気味な炎に包まれた。
ドラゴンは、炎に包まれたまま長い鎌首をもたげ、ググッと手足に力をこめると全身の鱗を逆立て――、
バサァッ!
またたく間に空を覆い尽くすような羽を広げ、巨大化した!
あっけにとられた俺が見守る中、そいつは大空に向かって飛び上がっていく。
「逃げて! できるだけ遠くへ……」
悲鳴とも言えるほどの苦しげな声を絞り出すローブの人。
巨大なドラゴンはためらうように上空を旋回していたが、やがてひときわ大きく羽ばたいた。
はるか遠くで羽ばたいただけなのに、すごい風だ!
周囲の雨雲を一つ残らず吹き飛ばしながら、黒い影はあっという間に山の向こうへと飛び去ってしまったのだった。
ぽかんと大口を開けたまま取り残された俺の視界には、一面、雨上がりの大空。
「な、……何なん、――あいてっ!」
そのど真ん中に、強風で枝から落ちてきたリンゴが迫ってきて、額をポカンと直撃した。