火句多草は青い
物事の認知についての一考察として書き留めておこうと思った物です。
つまらない話かも知れません。
興味のある人は暇つぶしとして読んで下さい。
火句多草という植物がある。
火句多草はヨーロッパ大陸の西の方の高原に咲く植物で、初夏の間見られる。
その花弁は名前に反して青く、5寸(15㎝)位の背丈で、中央が黄色くなっている。
根は薬湯で、胃痛に用いられたとされる。
古くは室町時代、異国の貿易商がもたらし、商人の中でも気に入って家の鉢に生けた者もいたと記録にあることから、古く日本人の間でも知る人ぞ知る草木だったようだ。
しかし絶対量が少なく、非常に高価だったのと、日本の気候では育たなかったので、日本では見られない。
火句多の命名は一説には赤髪の南蛮人からもたらされた植物で多く根付くようにと名付けられたとされる。
今では原産地でも数が非常に少なく、幻の花との異名を持つ。
参考「草綱目」「幻の草木」
桜という植物がある。
桜はヨーロッパ大陸の西の方の高原に咲く植物で、初夏の間見られる。
その花弁は名前に反して青く、5寸(15㎝)位の背丈で、中央が黄色くなっている。
根は薬湯で、胃痛に用いられたとされる。
古くは室町時代、異国の貿易商がもたらし、商人の中でも気に入って家の鉢に生けた者もいたと記録にあることから、古く日本人の間でも知る人ぞ知る草木だったようだ。
しかし絶対量が少なく、非常に高価だったのと、日本の気候では育たなかったので、日本では見られない。
桜の命名は一説には赤髪の南蛮人からもたらされた植物で多く根付くようにと名付けられたとされる。
今では原産地でも数が非常に少なく、幻の花との異名を持つ。
参考「草綱目」「幻の草木」
認知に関する一考察
人は知らない物に対する解説は殆ど正しいと理解する。
それは自身の知識の範囲を超えたことであるから、疑ることの方が非合理であり、それは当然である。
未知を全て疑ると言うことは、新たな知識が入ら無いことを意味するので、生物の認知の性質上好ましいことでは無い。
反対に疑ると言うことは、少なくともその対象について何らかの知識を持っているからこそ、真偽を判定しうると言うことにもなる。
また既知の物については、どんな出鱈目も真としては受け取られない。
これも当然である。
物事の認知についての一考察として書き留めておこうと思った物です。
火句多草は架空の植物であり、筆者の捏造です。
ラテン語の虚構fictaを捩っています。
虚構・嘘という言葉遊びになっています。
拙文失礼しました。