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後編

 気まずくてもきちんと会って話をしなくては。そう思っていたはずだった。誕生日の約束が無視され、連絡もなく一人放って置かれても。

 しかし、カミラがロバートの代わりに謝りに来たあの時から「会わなければ」という意思は薄くなり、気づけばもう彼とは一ヶ月も会っていない。

 なんの連絡も無く一ヶ月間関わりを絶つというのは、人によっては自然消滅したと捉えてもおかしくない状況だろう。けれど、オリビアはこれで関係が終わってしまうならそれでやむなしと考えていた。あのまま何事もなかったかのように過ごすことだけはできなかった。


 誕生日の一件でオリビアが痛いほど理解したのは、「オリビアはロバートの一番にはなれない」という事実だ。それまでは、いつか自分のことを好きになってもらいたいと、大切に思ってもらえるように努力しようと、そう考えて行動していた。けれどそれが不可能だとわかった今、オリビアには別に考えるべきことがあった。

 つまり、これからも常に自分よりも幼馴染を優先する恋人と、それでも一緒にいるかどうかだ。

 これまではいつか自分を一番にしてもらえると思えばこそ、どんなにないがしろにされても頑張れた。しかし、一生報われないとわかってなお、共にあるために努力をし続けられるか。オリビアには自信がなかった。だからこそ、これからどうするべきか、決断をするための時間が必要だったのだ。


「でもなんか、もういいかなって気がしてきちゃったな……」


 ベッドに寝そべりながら、つぶやいた。

 そもそも一ヶ月恋人が会いに来ないとなれば、普通は自分から会いに行くはずだろう。関係を続ける意志があれば。けれどロバートからは連絡を取ろうというそぶりさえないのだから、彼ももう別れたつもりでいるのではないか? だとしたら、わざわざ話をするまでもないのでは?

 そんなことを考えながら、だらだらと過ごしていた休日の午後。

 オリビアのとりとめのない思考は、階下から聞こえてきた母親の「お客さん来てるよー!」という呼びかけによってかき消された。


「お客さん……?」


 特に思い当たる人はいない。

 まさかカミラがまた何か言いに来たのかとも一瞬思ったが、オリビアの家は知らないはずだ。とりあえず玄関の扉を開けると、


「……久しぶりだな」


 そこに立っていたのは、不機嫌そうに顔をしかめた、オリビアの恋人だった。最後に会った時に比べて、なんだか顔色が悪く不健康そうに見える。

 予想していなかった人物に驚いて目を大きく開く。二人は無言のまま、しばらく見つめ合っていた。




「……それで、どうしてうちまでいらっしゃったんですか?」


 我に返ったオリビアはとりあえず話を聞くことにしたものの、玄関で話し込むわけにもいかない。どこかに場所を変えることを提案し、二人は近くの喫茶店に来ていた。


「どうしてって、君が会いに来ないからだろ。むしろこっちが聞きたい。どうして急に会いに来なくなった?」


 不機嫌そうなロバートの態度を見て、オリビアは不思議に思った。

 急に会いに行かなくなったことは確かだけれど、それは一ヶ月前からのことだ。問いただすにしても、どうして今なのか。

 ただ、これ以上質問に質問で返しても話が進まないと思い、素直に答えた。


「ちょっと、考えていたんです。私たちの今後について。本当にこのまま付き合ってていいのかなって」

「なっ……」


 ロバートは愕然として言葉を失っているようだった。今日会った時から顔色が悪いとは思っていたが、さらに血の気が引いて蒼白になっている。

 こちらから別れ話を切り出されるというのは予想外だったのだろうか。彼の反応を意外に思いながら、オリビアは続けた。


「だって私たち、二人きりのデートもほとんどしたことないですし……恋人らしいこと、何もしてないですよね? いつもカミラさんのことを優先してばかりで。このまま付き合っていくのは厳しいし、意味もないんじゃないかと思ったんです。正直言うと、今日来てくれたのも意外でした。もう別れたつもりでいるのかと思っていたので」

「別れてない! そんなわけないだろ、勝手に決めないでくれ」

「勝手に思い込んでいたのはごめんなさい。あの、それじゃあ改めて言うんですけど、私たち、別れませんか……」


 とうとうはっきり言ってしまった。反応が怖くて顔を伏せていたけれど、ちらりと視線を上げて相手の反応を窺う。

 ロバートは血色をなくしたまま、怖いくらい険しい顔でオリビアを見据えていた。まるで睨んでいるかのように強い視線を向けられ、オリビアは再び視線を下げた。


「別れないぞ、俺は。……どうしてそんなことを言い出す? 俺に飽きたか。他に好きなやつでもできたのか。だとしても関係ない、別れるなんて許さない」


 語気を荒くするロバートにオリビアはビクリと肩を震わせる。

 このような怒りを向けられたことは今までなかった。というより、強い感情を向けられること自体がなかったように思う。彼が別れをあっさり受け入れると思っていたオリビアにとって、このような反応は予想外だった。


「そんな……どうして、そんな風に言うんですか。私たちこれまでだって恋人らしいことなんてしてこなかったし、そもそも……あなたは私のことなんか好きじゃなかったでしょう」


 自分でそう口にしておいて、胸がぎゅっと握りつぶされたような痛みを覚えた。

 こんなこと、言いたくなかった。それも本人の前で言葉にするなんて、惨めで仕方ない。

 ロバートの方を見れば、何か呆然としたような様子で、小さく呟いた。


「なんで……」


 オリビアは眉をひそめた。

 なんで、って。まさかロバートがオリビアを好きじゃないってことが、オリビアに知られていないとでも思っていたんだろうか。さすがに、オリビアはそこまで鈍感な人間ではない。ぞんざいに扱われればそれと感じ取る程度はできるつもりだ。


「わかりますよ、そんなの。むしろ、あんな風に露骨な態度をとられてわからない方がおかしいです」


 苦笑して、付き合ってきた半年の間にあった出来事を並べてみせた。

「私も仲良くしたい」と言ってカミラが付いてきた初デートから始まり、カミラの都合でデートが中止になったり、カミラがついてきたりで二人きりで出かけたことはほとんどない。二人で演劇を見に行こうと話していたのにその演目はつまらなかったとカミラが口を出し、結局なぜかロバートとカミラが二人で別の劇を見に行ったという摩訶不思議な一件もあった。極め付けは、楽しみにしてくれと言われ浮かれていたら一日待ちぼうけを食らわされた、オリビアの誕生日だ。


 ここまで露骨に態度に表されてるのに、自分が好かれてるなんてうぬぼれることはさすがに無理です。そう言ってオリビアは悲しげに笑った。

 オリビアに自分自身がしてきた仕打ちを並べ立てられたロバートはうなだれた。


「違う……俺は、決してそんなつもりじゃなかった」

「……どういう意味ですか?」

「……好きだった。多分、最初に声をかけられた時から」


 え、と思わず口からこぼれた。うまく頭で言葉を処理できず、何度かまばたきをした。

 ロバートは暗い表情のままで、話を続けた。


「付き合い始めたからって浮かれてかまい過ぎると、すぐに飽きられてしまうだろうと思ったんだ。君は美人だから、俺はたまたまちょっと興味を持たれただけだと、すぐに冷めてしまうだろうと言われた。だからあえてそっけなくしたほうがいいって……」

「ちょっと待ってください」


 先程の発言で衝撃を受けてしまって、ロバートの話はすんなりと頭に入ってきたとは言い難かったが、それでも聞いていてふと引っかかりを覚えた。彼の言葉を止める。


「言われた、って一体誰にですか?」


 そう聞きながらも、どこかで答えを確信していた。そして、彼の答えはオリビアが予想していた通りのものだった。


「……カミラに」


 ──やっぱり。

 知らず、オリビアは涙を流していた。目から流れ落ちてくるものを拭うこともせず、オリビアはかすれたか細い声で聞いた。


「本当、ですか……私のこと、好きだったって」

「好きだ。初めて会った時から好きだった」

「そう、なんですね……」


 嬉しい。嬉しいはずなのに、オリビアの目からはとめどなく涙が零れ落ちていって、止まらなかった。


「ロバートさんのこと、好きでした。今も好きです。あなたも私のことを好きでいてくれたって知って、すごく嬉しい。だけどそれでも、やっぱりこのまま付き合っていくことはできません……」

「お互いに、想っていても?」

「……でもあなたは、私がどれだけ好意を伝えても信じないで、カミラさんの話をずっと鵜呑みにしていたんですよね。『あえてそっけなくする』とは別の次元で、あなたの中で私の言葉は幼馴染のものよりも圧倒的に軽く扱われていた」


 それに、とオリビアは続けた。


「ロバートさんに会わないこの一ヶ月は寂しかったけど、すごく心穏やかに過ごせたんです。約束をなかったことにされたり、カミラさんとの仲の良さを見せつけられたりがなくなったことの方が、自分の中で大きかった。会える嬉しさよりもストレスの方が勝ってしまっている時点で、もうダメなんじゃないでしょうか」

「そんな……これまで散々君を傷つけて、嫌な思いをさせたこと、本当に悪かったと思ってる。君が別れたいと言うのも無理ないと思った。でも、このまま終わりたくないんだ。これからは君のことを大事にするし、蔑ろにされてるなんて絶対思わせないから、だから……」


 必死で言い募る恋人を前に、オリビアは無言で俯いた。

 ロバートがそこまで言ってくれるなんて、そこまで自分のことを思ってくれるなんて思わなかった。それは本当に、すごく嬉しい。オリビアの思いは一方通行じゃなかった、彼の気持ちは自分にあったのだと思うと、いっそ胸が苦しくなるほどの喜びが込み上げてくる。


 ──それでもオリビアは彼を、多分信用できない。


 ごめんなさい。そう謝りながら、さらにオリビアは激しく泣き出し、しゃくり上げた。

 止めようと思ってもどうしても涙は止まらず、泣き続けるオリビアをロバートは心配そうな、焦ったような表情で、しかし何も言えずに見つめていた。

 ようやく落ち着いてくると、オリビアは目元を拭った。


「あなたのこと、信じられないんです。これまで散々約束を破られて、この前の誕生日のデートだって、私すごく楽しみにしていて……でも来なかったじゃないですか。無理なんです、もう……」


 気持ちが昂って、恨み言を吐いてしまった。やっと涙が止まったはずだったのに、再び目がうるんでくる。ロバートに鬱陶しいと思われたくなかったから、これまで彼のどんな振る舞いにも文句を言わないようにしていたし、泣きもしなかったのに。今まで積み重ねてきた我慢がどんどん崩れてくるようだった。

 そんなオリビアの様子を沈痛な面持ちで見つめていたロバートは、やがてゆっくりと口を開いた。


「……君が俺を信用できないのはわかったよ。その気持ちはもっともだと思う。でも……それでもやっぱり、これで関係が切れてしまうなんて嫌なんだ」


 オリビアの涙に濡れた瞳がロバートの静かな眼差しを捉え、視線がかち合った。


「チャンスが欲しい。このまま恋人でいたいなんて都合のいいことは言わないから、俺が君の信用を得るため勝手に努力することは許してくれないか。……そして君には、できればその姿を見ていてほしい」


 ロバートの決意、もしくは必死の懇願を聞かされたオリビアはちょっと困って眉尻を下げ、視線を彷徨わせた後、小さく頷いた。

 自分が勝手に努力することを認めてくれ、なんて、そんなふうに言われては断れないだろう。それも、別れを切り出したとはいえまだ気持ちを十分に残している自分の恋人に。多分それをわかってそんな風に言ってくる彼は少し卑怯だなと思う。


「……わかりました。それなら、いいです。でも私があなたをまた信じられる時が来るとは、正直なところ思えません。もし来たとして、それがいつになるかもわからないんですよ?」

「いいよ、チャンスがもらえただけで十分だ。ありがとう」


 そう言って、彼は嬉しそうに、少し歯を見せて笑った。オリビアが恋をしたあの日の笑みを思い出させる、けれど格段に甘い表情。ああ、彼のこの笑顔は今、オリビアだけのものなのだ。そう感じた。

 残念ながらそれを素直に喜べる状況には、今はないのだけれど。




 あれから数ヶ月、オリビアは相変わらず食堂で働いていた。別れ話をする一ヶ月前から恋人に会いに行くことは無くなっていたので、別れる前後で大きく変化したことなどは特にない。しいて言うなら、恋人と別れたと広まってから男性客に声をかけられることは増えただろうか。けれど、まだ新しい恋人を見つけるには至っていない。


「お疲れ様でしたー」


 食堂での勤務を終えて、従業員用の出入り口から外に出る。

 すると、横から「お疲れ様」と声をかけられた。視線を向ければ、そこに立っていたのはオリビアの元恋人、ロバートだった。

 別れてからオリビアからロバートに会いに行くことはなくなったけれど、顔を合わすことがなくなったのかといえばそんなことはなかった。オリビアがロバートの元に出向くことがない分、彼の方が昼休みごとに食堂に来るようになったのだ。今ではすっかり常連である。また、時間が合う時は仕事帰りのオリビアを家まで送ってくれるようにもなっていた。

 一度は断ったものの、「俺が君と一緒にいたいんだよ」と押し切られてしまった。なので、現在は何なら恋人だった時より一緒にいる時間が長いかもしれない。

 二人並んで歩いていると、ロバートがぽつりとこぼした。


「……今日も、客に声をかけられていたな」

「揶揄われているだけですよ」

「そんなことはないだろう」


 ロバートは否定するが、オリビアに言い寄るようなそぶりを見せる男の大半は面白がったりからかったりしているだけだろうと、彼女は思っていた。中には本気でオリビアに好意を寄せるものもいるだろうが、少数派だろう。

 そうオリビアが言っても、ロバートは納得できないような顔をしている。


「ふふ、やきもちですか」

「……そうだ」


 ちょっとした軽口のつもりがあっさりと肯定されてしまい、驚いて思わず彼のほうに視線を向けた。

 真顔でオリビアを見つめる彼と目が合う。


「いつも不安で仕方ないよ、君はとても魅力的だから。他の男のものになってしまうんじゃないかと、付き合っている時から気が気じゃなかった」


 ストレートな言葉に、オリビアは顔を赤くする。気まずいというか気恥ずかしいというか、どういう返答をすればいいのかわからない。付き合っている時は甘いセリフなんてまるで吐かなかったくせに。

 視線を逸らし、空気を変えるように「そういえば」と全く別の話題を持ち出した。


「ロバートさん、寮に引っ越したんですよね、どうですか、寮での生活は」


 ロバートはずっと幼馴染の家と隣り合った実家で暮らしていたのだが、最近実家から出て、騎士団の寮に越したらしい。以前、彼から聞いたことだ。とりあえず幼馴染とはなるべく距離を取ろうと考えた結果のことらしいが、離れて気づいたことは色々とあったのだという。

 まず、家族同然に育ってきたこともあってあまりに距離が近すぎたということ。そして、深く考えずなんでも彼女の言うことを鵜呑みにしていた異常さ。彼女を全面的に信用した結果としてオリビアに対してどれだけ不誠実なことをしていたかにも改めて気づいた、と過去の行為について彼は謝ってきた。

 その時彼が言っていた「カミラも悪気はなかったんだと思う、彼女なりのアドバイスが的外れだと気づかずに実行していた俺が悪い」という言葉には賛同できなかったものの、曖昧に頷いておいた。あの幼馴染に悪気がなかったとは到底思えない。彼女が何を考えていたのかを知る機会は、もうないだろうけど。


「寮は、まあ意外と悪くない。実家と違って自分でやらなきゃいけないことが多いけど、そろそろ慣れてきたかな」

「へえ……それならよかったです」

「同室の奴とも最近打ち解けてきたんだ。この前も一緒に飲みに行ったし」


 たわいのない会話を交わしながら、二人で夜道を歩く。

 このような穏やかな時間は、恋人だった頃にあっただろうか。そんなふうに考えて、クスリと笑みをこぼした。それに気づいたロバートが不思議そうな顔をする。


「どうかしたか?」

「いいえ」


 正直なところ、彼の不誠実なふるまいを水に流せたというわけでもないし、彼をこれから信用できるようになる気もあまりしない。

 けれどオリビアがロバートをはっきりと拒絶しないのは、まだ恋心を残しているから、というだけではない。最近、よく思うのだ。


 ──追いかけられるっていうのも、案外悪くないかもね。なんて。


 そう、今の状態は居心地が悪くない。すぐにやめなくてもいいかなと感じる程度には。

 オリビアに新しい恋人ができるのが先か、彼が面倒になって離れていくのが先か。少なくとも、いつの日か終わりはくるだろう。

 それでも、とオリビアは思う。

 もう少しだけ、このままで。もう少しだけは。

次はカミラ視点になります

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