石愛づる姫君
お初にお目にかかります。
わたくし、岩石道裏千家の十代目、鈴石 砂織と申します。見ての通りの若輩者ではありますが、以後よろしくお見知りおきを……。
さて、このたびは岩石の道をよりいっそう皆様に知っていただくため、魔族や異国の方々を対象とした「岩石教室」を開かせていただく運びとなりました。
皆様、金色の御髪や紅色の瞳や、色とりどりの鉱物の花が咲いたようですね……。ふだん見慣れないものですから、黒い髪と瞳しか持たぬわたくし、美しさに少しめまいがいたします。
しかし皆様、世の美というのは、市場価値の高い輝く宝石や、鉱物にばかりあるものではありません。さっそく皆様のお手もとの、小さな岩石をごらんください。
これは向かって右から黒曜岩、真ん中はカンラン岩、おしまいにチャートという石でございます。
黒曜岩は皆様も、歴史の授業で見知った相手でございましょう。通称を「黒曜石」と言いまして、割るとその割れ口がガラス質に鋭いために、その昔石器として使われていた岩石です。余談ですが、わたくしはこの割れ口を見るとスプーンで崩したコーヒーゼリーを思い出し、ミルクシロップをかけたくなります。
真ん中のカンラン岩は、緑色の粒つぶがきらきら輝やいて、いかにも美しいでしょう。これはカンラン石という鉱物を多く含むためです。カンラン石は大粒で美しいものは、磨いて「ペリドット」という宝石になります。岩石愛好初心者の皆様にも親しみをもっていただけるよう、見た目に地味な石ばかりでなく、分かりやすく美しいものもご用意させていただきました。
三つめの石はチャートです。チャートという石は、大昔の海の生物の死骸が固まって出来ています。「放散虫」というプランクトンの化石が、深海の底に積もってできた「生物岩」です。わたくしはこの三つの石の中では、特にチャートがお気に入りです。生物も長い時間を経れば岩になる……。有機物と無機物の境を思い、もしや境はないのかと思うと、胸の奥からたぎるようにぞくぞくするものを感じるのです!
皆様、岩石道に細かい理屈は必要ありません! ただ一通りの知識を学び、石の歴史に思いをはせ、この地球のカケラをしみじみと愛でれば良いのです!
さあ! お手にとりつくづくと眺めてください! ああ、黒曜岩とチャートは割れ口が大変鋭利なので、手を切らぬようご注意を……! 厚手の布越しに触れても感じるでしょう、太古から続くこの星のたぐいまれなる素晴らしさ!
さあ味わってください、地球という星の成り立ち、それを教えてくれる星のカケラのもたらすロマンを!
* * *
うわあ、カンベンしてくれよ……!!
内心で冷や汗たらたらになりながら、魔族の血を引く青年は形ばかりに石を手にしてドン引きしていた。
小麦色の長髪をポニーテールに軽く結い上げ、すっと切れ長の紅色の瞳。名をシュタインというこの青年、実は一匹オオカミの盗賊である。たまたま訪れたこの「ひのもと」という国に「石愛づる姫君」がいると聞き、「岩石教室」の開催も耳にした。
それはさぞかし素晴らしい宝石や鉱物がお披露目されるに違いない、「石に興味のある生徒」のふりをして教室にまぎれ込み、そのお宝をぶんどってやろう!
……と、意気込んでここに来たのは良いものの、ガチで「岩石」を愛でる姫だとは思わなかった。これはたまらん、こんな石どこに持って行ってもたいした値なんかつかないだろう! やってられんな、どうにかしてこの狂愛の空間から逃げるすべはないものか……。
そう思っている青年の目は、知らず知らずのうちに「姫君」の瞳に魅きつけられていた。
好きなものを目にした人間の瞳はおのずと瞳孔が拡大し、自然きらきらと光を帯びる。岩石を愛でる姫の瞳は、いつか盗賊の心をとらえ、そのわずかの間に薄汚れていたシュタインの心を洗い清めて、この場から去りがたくしてしまったのだ。
何もかもを「金にすればいくらになるか」という視点でしか見ていなかったシュタインは、姫の瞳に最上の金剛石にも代えがたい輝きを見出してしまったのである。
青年は教室を抜け出せなかった。このひのもとから、もう二度と外へは出なかった。
およそ岩石にしか興味のないような砂織の心をがっちりつかみ、「魔族と異国の血を引く者」という大きなハードルを乗り越えて、この二人が結ばれたのは三年後のことだった。二人のあいだにはやがて三人の娘が出来て、三人とも美しい鉱物にちなんだ名をつけられた。
そうして今や、砂織とシュタイン夫婦の努力によって、どちらかといえば傍流だった岩石道はひのもとの無形文化財となっている。
シュタインのプロポーズに応えた「姫君」の言葉は、半世紀経った今でも石好きのあいだの語り草になっている。
「わたくしもあなたのことを好いております。あなたのその素晴らしく赤い紅簾石片岩のような瞳、一生のあいだおそばで見ていたく思います!」(了)