みくらが補習を受けた理由
テスト結果が散々だったので、補習を受けることになりました。
教室に居残って待っていると、隣の席の古畑みくらもじっと座っているのが不思議でした。
「みくら、帰らないの」
「補習あるんだよ」
「みくらが? そんなわけないでしょクラス一位だったじゃん」
「今回調子悪くてねー。三科目も引っかかったんだよ」
浮かない顔のみくらも一緒だと思うと、すこしだけ憂鬱な気分が晴れた気がしました。
「体調悪かったの?」
「ううん、そうじゃないの。ありがと」
そこで先生が入ってきたので、みくらは小声であとでね、と言って前を向きました。
古風な名前に人形みたいな顔立ち、きれいな黒い髪、それに成績もいい。そんなみくらが、私の隣で同じ補習を受けている。なんだかどきどきしたまま、補習を受けました。
「さやか、一緒に帰ろっか」
半分上の空で補習を終えて、みくらに声をかけられてもぼんやりしていて、苦笑するみくらもきれいでした。
「私の話、聞いてくれる?」
並んで歩く帰り道、もちろん補習の理由を聞くことにしました。
※ ※ ※
みくらの話
いつも通り、六時八分の電車で帰っていたんだけど。
混んでる時間帯だけど、運良く座れたの。テストも近いし、英語のコーパス帳開いて見てた。そのまま十ページくらい見てて、ふっと周りがうす暗くなった。
ああ山間に入ったんだ、ってことは木目駅過ぎたのかここから長いんだよな、と思ってたら車内アナウンスがかかった。
「次は、ヒラキ、ヒラキ駅ですー」
いや、木目の次は樫原駅だし。
駅員さん別の路線と間違えたな。まあもう少しかかるし、訂正入るでしょ。目の休憩がてら、いったんコーパス閉じて、外の景色を見ることにした。
山の間、谷みたいな所をずっと走る区間だから、緑一色なんだ。十五分くらいはそのまま山の中。樫原までだけでも五、六分ある。
なのに、一分もしないうちに次の駅に停まった。
「ヒラキ、ヒラキ。お出口は一両目前側です。」
なにもないはずの所に、小さい駅があって。
それ見た瞬間、猛烈に気持ち悪くなって。頭はぐらぐらするし、吐き気もし出して。気持ち悪くて気持ち悪くて、これ以上座っていられないって思って、必死でホームに下りたの。
無人改札抜けて、トイレに駆け込んで、吐いたの。髪結ぶ暇もなかったから髪にも飛び散って、手洗い場の水で洗って。
うがいしてたら落ち着いてきて、冷静に考えられるようになってきた。ここどこ?って。
小さい無人駅だけど、白いコンクリートで出来てるし、トイレもきれいだったっし、ウォシュレット付きだったし。毎日掃除されてるみたいに床もぴかぴかだし、自販機も灯りがついてた。ホームに戻って駅名を確かめたら、「開駅」ってあった。
あれかな、利用者が少なすぎて、週に何回かしか停まらない駅なのかな。実はこの奥にも村か集落かあったのかも。そう思いついて、スマホで検索してみた。
開駅なんてなかった。
こんな山奥からどうやって帰ろう、次の電車はたしか四十分後だけど、通り過ぎられたらどうしよう。
妙にきれいな所に私一人だし、周りは山だし、検索にはなにも出ないし、混乱してきて、ともかく時刻表を探した。ふつう、ホームに時刻表置いてあるよね。でもどこにもなくって。駅の中に戻って探したけど、やっぱりなくって。路線図だけあった。
開駅、閂駅、閤駅、闥駅、廟駅って書いてあった。
なにそれ知らない、って混乱してるうちに、電車が来た。もうこれ逃したら夜になっちゃうし、気味悪いところに一人なんて絶対嫌だし、停まったその電車に飛び乗った。
中はそこそこ混んでて、セーラー服の子もスーツのおじさんもいたから、ああよかったって開いてる席に腰かけて、ぼーっとしてた。
十五分待ってれば、街に戻れるんだ。
夕飯は普通に食べて平気かな。
そんなかんじで。
ふっとスマホ見たら、七時過ぎてた。
もう三十分越えてるのに、まだ山間を抜けてない。
やっと停まったと思ったら、閤駅って書いてある。アナウンスもあったはずだけど、よく聞き取れなかった。
さっきと同じ、白くて四角い駅。
おかしい、おかしいけど降りる訳にもいかないし。
座ってるしかなかった。
ずーっと座ってたら、また白い小さな駅があって、またずーっと座ってて、やっと景色が変わって、屋根とか鉄塔とか田んぼとか見えるようになった。
「次は、ゴビョウ、ゴビョウ、終点です。お忘れ物のなきようご注意願います。終点、ゴビョウ」
もうコンビニの灯りとか見えるし、見慣れた大きさの駅だし、キオスクで買い物してる人もいるし、ともかく人がたくさんいる所に戻れてあーよかったーとぞろぞろ降りる人たちに着いて降りた。
ちゃんと改札にも駅員さんが立ってて、定期券見せたら、止められた。
「あー……君、ちょっと待っててくれるかな」
背の高い駅員さんがそんなこと言って、どこかに電話かけてた。
「君は悪くないから、安心して」
そう言って、改札横のドアを開けて中に通された。
事務所みたいな部屋に、駅長さんだっていう、若い男の人がいて、パイプ椅子出してくれた。
「いやーごめんね、早く帰りたいのにね」
何度も、ごめんね、ごめんねって繰り返されて。
「どの駅から乗ったか、覚えてるかな?」
「ヒラキ、ってアナウンスがあったと」
「そっか、うーーん」
駅長さんは、うんうん言いながらどこかに電話かけて。
もうなんでもいいからお腹すいた、パン買って帰ろっかな、疲れたからもう眠い、なんてぼんやり待ってたら。
「ええ、はい。……ですけども、切り替えはそちらが」
「人数不足って、それはそちらの、いいえ、縁には該当しません、……しかし、……応じかねます」
「ともかく、事故として処理しますので。いいえ、不足とは関係ありません。失礼いたします」
駅長さんは長々話してた電話を切って、笑顔で私の顔を見た。
「こちらの不手際で、迷惑をかけたね。本当に申し訳ない」
「あっ、はい」
「もうひとつ申し訳ないことに、ここまでの運賃を請求しないわけにはいかないんだよ。帰りの分は僕が補填できるけど、半分は君に支払ってもらわなくちゃならない」
「ああ、わかりました」
もう、お腹は空いてるし、ずっと緊張してたからか身体は重いし、眠いし、はやく帰りたくて。
駅長さんに、半額支払って、事務所を出て、
「おーい、大丈夫?」
「えっ」
「ここは松ヶ原駅だよ、覚えてる?」
そこは、私の家の最寄り駅だった。私はベンチに座ったまま寝てたみたい。駅員のお姉さんに起こしてもらって、その日は帰ったんだ。
気味悪いよね、無人駅に一人だわ山は途切れないわ。あんまり気味悪くって、吐いた時の気持ち悪さとか、夢とも思えなくって、色々調べてた。
図書館で、あの変な駅名とか、廟ってあったから昔の事件とか、街の歴史の本とか、古地図とか、漁ってた。おかげでテストは散々だった訳。
※ ※ ※
そんな話をみくらから聞きました。
「なんだか、きさらぎ駅? だっけ? ほんとにあるんだね」
「もー怖かったんだからー」
「そしたら、なにか見つかったの? 事件があったとか」
「なかった」
「え、なにも?」
「なんにも見つからなかったよ。江戸時代までさかのぼって古地図見たけど、昔から松ヶ原だし。祠とか神社もなかったし」
「逆に怖いじゃん」
「ま、ちゃんと運賃払ってきたんだし、もう大丈夫って思ってるけど。払った記憶ないんだけどね」
みくらは、肩できれいに揃った黒髪を風になびかせて、人形みたいにきれいな、黒髪を。
「……みくら」
「うん?」
「いつ髪切ったの? せっかく伸ばしてたのに」
「えっ」
「えっ」
「伸ばしてたの? 私が?」
みくらはきょとんとして私を見ました。
「さやかはきれいに伸ばしてるよね」
そう、がんばって伸ばした髪。
みくらのきれいなロングヘアに憧れて、伸ばし始めた私の髪。
なのに、目の前のみくらはショートで、不思議そうに私を見ていました。
「これで半額なんだ」
思わず口にしてしまった私の言葉は、幸いみくらには聞こえていないようでした。