52. ラナさんのお母さん救出作戦 - 1
トワール王国から帰還してから数か月が経過した。ラトスさんからの魔道具を用いた長距離念話での情報では、アトル先生はトワール王国の新しい王として順調なスタートを切った様だ。王妃や宰相もアトル先生に恭順を示し、アトル先生がそれを受け入れ、制裁を与えなかったことで、アトル先生に従うかどうか迷っていた貴族や軍団も次々にアトル先生に恭順を誓っているらしい。何と、私が作った城壁を使って新しいトワール王国の王都を作る計画があると言う。なんでも、あの城壁は神々が新王を守る為に作ったありがたい物であり、そこに王都を構えればきっと神のご加護があると信じられているらしい。どうしよう!? 今すぐ城壁を壊しに行きたくてうずうずする。ちなみに、カルルは無事アトル先生のお妃候補になったらしい。大丈夫だろうか? もちろん、カルルではなくアトル先生への心配である。
この間、私の周りは平和であった。ラナさんは最近誕生日を迎えて15歳になった。ヤラン兄さんは13歳だから年上女房になるわけだけど、ヤラン兄さんは身体も大きくて大人びているからふたりが並ぶと似合いのカップルだ。ラナさんはヤラン兄さんの妻として恥ずかしくない一人前の働き手に成ろうと頑張っている。もちろん、ラナさんに仕事を教えているのは兄さんだ。ふたりで一緒に作業をしているときのラナさんは幸せそうで、なかなか他人が入り込む隙がない。もちろん、仕事だけでなく、乗馬や弓の練習もしているし、母さんの指導の元、花嫁衣裳の準備も着々と進んでいる。余りに忙しそうなので、魔法の修行や読み書きの勉強のことはまだ話せていない。結婚式が終わってからにしようと思っている。もっとも結婚して子供ができたら、それはそれで忙しくなりそうであるが...。
私と言えば、魂が成長してしまったため、魂のコントロールの練習のやり直しだ。思い通りにコントロールできる様になるまでは、魔力遮断結界と収納魔法を除いて魔法は封印である。魔力遮断結界は私が魔法使いであることがバレない様に、収納魔法は地竜の女王の魔晶石を売却した分け前の大金を収納しておくのにどうしても必要なのだ。もっとも慣れない内は、魔力遮断結界は超強力な結界に、収納魔法は無駄にとんでもなく容量の大きな亜空間を保持するものになってしまったが、徐々に正常になってきた。これも魂のコントロールの訓練になっていると言える。魂の成長のことは家族には内緒にしている。話すのは良いが、そうなると、どのようにして魂が成長することに成ったかについても話さなければならない。私のしたことを言えばすごく怒られるに決まっているからね。でも正直、私の魂はかなりやばい様だ。自分では自覚出来ないので、少しの間だけ魔力遮断結界を解いて、ラナさんに見てもらったことがあるのだ。驚いたことに、私の魂を見たラナさんは 「ヒッ!」と短い悲鳴を上げて座り込んでしまった。あわてて魔力遮断結界を張り直して駆け寄ったのだが、身体中がガタガタ震えていた。その後は一生懸命謝ったよ。相当怖い思いをさせてしまった様だからね。その日は、居住地にいた人のほとんどが何か恐ろしい物の気配を感じ、放牧中だったヤギルの群が驚いて逃げ出した様で、居住地では何日もその話でもちきりだった。幸いヤギルはすぐに連れ戻されて事無きを得たのだが、その話を夕食時に聞いた私はラナさんと目配せしながら、気を付けなければと肝に命じたのであった。
それから更に一月ほど経つと、大きくなった魂の操作にもだいぶ慣れ、強力な魔法でなければ不安なく使える様になった。今日は兄さんが居住地入り口の見張りの当番なので、私とラナさんのふたりでラクダルの世話をすることになっている。ふたりで飼葉と水を運び、ラクダルの糞を集めて回る。糞は天日に干して煮炊きの燃料とするのだ。もっとも私は身体が小さいから、まだまだ大した戦力に成らない。申し訳ないが、ほとんどラナさんの仕事と言っても良い。いつもなら兄さんとふたりで行っている作業だ。
「大して手伝えなくて御免ね。」
と私が言うと、「とんでもない!」と返って来る。
「イル様、私、毎日が楽しくて仕方が無いんです。確かに仕事はきついですけど、頑張ったら頑張っただけ自分に返ってきますからね。こんな楽しい日々がやって来るなんて、ご主人様に命令されるままに、いやいや働いていた奴隷の時には思っても見ませんでした。」
と言うラナさんは、本当に楽しそうだ。兄さんとの結婚が控えていることもあるんだろうけど、ここでは奴隷じゃなく、ひとりの人として周りから尊重してもらえるのもあると思う。実際、この前の盗賊退治の時から、ラナさんは一族の一員として居住地の人達に受け入れられつつある。もうすぐ兄さんのお嫁さんになるというのも好印象を持たれている一因だ。
「ラナさん、また様付になってるよ。もうすぐ私はラナさんの義妹に成るんだから呼び捨てで十分よ。ねっ、ラナお義姉さん。」
「えっ、いえ、そう言われましても、直ぐには...」
と、もごもご言い始めたが、兄さんと結婚したら慣れてくれるだろう。結婚式まであとひと月なのだ。ラナさんの結婚衣装も最後の仕上げを残すのみ、順調だ。一方の兄さんは一族の仕来りどおり、新しい天幕の制作に忙しい、これが花婿の仕事だ。ラナさんと結婚したら住む天幕だ。今の天幕の直ぐ横に立てる予定である。兄さんとラナさんが今の天幕から出て行くのは少しさみしいが、新婚夫婦の夜の営みを考えたら仕方ないよね。もちろん、天幕は別になっても食事は一緒に取る予定だ。部屋がもうひとつ出来るだけと考えれば良いのかもしれない。 ちなみに、ラナさんにハンカチを男性に贈る意味を教えた時に戸惑っていたのは、奴隷の自分から求婚するなんて非礼にも程があると考えたかららしく、主人である兄さんから求婚されて、それを受けるのは問題ないらしい。まったく乙女心というものは複雑怪奇である。
ラクダルの世話が終わると、母さんの指導の元、私は裁縫の練習、ラナさんは花嫁衣裳の仕上げである。ラナさんの花嫁衣裳はラナさんの刺繍の腕の良さもあって、清楚な中にも雅さがある見事なものだ。姉さんの花嫁衣裳姿も綺麗だったけど、ラナさんもこれを着たらとても素敵だと思う。思わず、アマルと結婚する時の自分の花嫁姿を想像する。姉さんやラナさんみたいに美人じゃない分、花嫁衣裳には力を入れないと。アマルに恥を掻かせては大変だ。15歳で結婚するとして後9年、準備期間は十分にある。頑張るぞ! と気合を入れた。
「ラナさん、ここの仕上げはもう少し丸みを持たせた方が映えると思うわよ。」
「はい、奥様。」
「あら、いつまでも他人行儀な呼び方じゃなくて、お義母さんと呼んでちょうだい。」
「いえ、あの、その... お義母様」
「様はいらないわよ。」
「いえ、その...もったいなくて。」
「何言ってるの、これから家族に成るんだから、遠慮なんかしてちゃだめよ。」
と母さんも私と同じようなことを言っている。ラナさんは戸惑いながらも嬉しそうだ。だが、しばらく自分の手元にある花嫁衣裳を眺めていたラナさんの目から涙が零れた。
「あら、ラナさん、御免なさい。気に障ったかしら?」
と母さんが言う。
「いえ、とんでもありません。ただ、この花嫁衣裳を着た姿を、故郷の母さんに見せてあげたらきっと喜ぶだろうなと思ったら、つい涙が出てしまって...」




