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35. 凶暴少女カルル登場 - 1

 機嫌が直ったラトスさんにお別れを言って自分の天幕に戻る。どうやら大変な大金を手に入れてしまった様だ。まあ、今のところは使う予定が無いから当分塩漬けだけどね。いつか町に行くことがあれば本を買うことにしよう。それとアトル先生の授業が無くなったから、その時間を使ってラナさんに読み書きを教えるのも良いかもしれない。ラナさんが希望すればだけどね。


 天幕の外に出ると、ラナさんが地面に座り込んで何かをしている。ちょうど良いので読み書きを習いたいか聞こうと近寄ると、一心不乱にハンカチに刺繍をしているところだった。集中しているのか私が近寄っても気付いていない。そうかヤラン兄さんにあげるハンカチだ。ラナさんは器用だから、刺繍はなかなかの腕になった。いよいよ、目標のハンカチへの刺繍を始めた様だ。今はお邪魔だね。と思って私は黙って通り過ぎた。


 夕飯の支度を手伝うまで少し時間があるので、ラダルの様子を見に行くことにする。私が馬達の入っている囲いに行くと、私の姿を見つけたラダルが走って来た。私の姿を見て遠乗りに行けると思った様だ。ラダルは走るのが大好きなのだ。「今日は遠乗りに行けないのごめんね。」と言うと悲しそうな様子で顔を擦りつけてくる。頭を撫でてやりながらラダルの目を覗き込む。綺麗な目だ。「明日はどこかへ行こうね」と言って身体を布で擦って汚れを落としてやる。その後は鞍を付けずにラダルに跨る。もちろん轡も手綱も付けていない。この状態でも私の意志に従って動けるように練習するのだ。合図は足でラダルの横腹を叩くだけ。両方の足で軽く横腹を叩くとスピードを上げろの合図。片方の足だけで叩くとその方向に曲がれ、両方の足で横腹を締め付けるとスピードを落とせの合図だ。これは馬上から弓を射るための重要な訓練なのだ。


 そんな訓練を1時間ほど続けていると、「イル」と声が掛かった。ヤラン兄さんだ。


「なあ、イル。女の子に贈り物をするとしたら、何がいいかな?」


と聞き捨てならないことを訪ねてくる。何だって、兄さんが女の子にプレゼント? 相手は誰? まさかラナさん以外の女性じゃないよね。


「それは誰に贈るかによるわよ。」


と私は勤めて感情を出さない様にして答える。どうかラナさんです様にと祈る。


「あー、いや、一般的に何が好まれるか知りたいだけだ。」


「そうなの、それじゃ答えようが無いわよ。相手が誰か分かったら絶対喜ぶ物を教えてあげられると思うんだけど。」


と我ながら嘘八百を並べる。ラナさん以外の人だったら、そんなの分かるわけがない。私がそう言うとヤラン兄さんは覚悟を決めたように言った。


「ラナさんだよ。もうすぐ行商のカマルさんが来る頃だから、この前、居住地を守ってくれたお礼に何か贈り物を買おうかと思ってね。」


私は心の中でガッツポーズをした。良し! やったねラナさん! 必死に無表情を取り繕うとするのだが、どうしてもにやけてくる。


「ラナさんなら、絶対指輪がいいと思う。」


「指輪か? でもカマルさんが持ってくる指輪なんて安物ばかりだぞ。」


「そんなの関係ないよ。絶対喜ぶから。」


「そうか...分かった。指輪にするよ。」


と言って兄さんは去って行った。アトル先生ありがとう! 先生から南の小国群の文化を教えてもらったお蔭です。遊牧民の間で、女性が意中の男性に刺繍の入ったハンカチを贈る様に、南の小国群では、男性が意中の女性に指輪を贈る習慣があるのだ。受け取った女性が、その指輪を目の前で指に嵌めてくれたら、求婚を受け入れたという意思表示になるらしい。まあ、そういうことならラナさんに文字や魔法の勉強がしたいか確認するのは少し待とう。今聞いたとしても、兄さんから求婚されれば状況が変わって来るかもしれないものね。


 兄さんがカマルさんから買った指輪をラナさんに贈る光景を想像すると、思わず顔がにやけるが、肝心のカマルさんがなかなかやって来ない。兄さんに指輪の話をしてからもう数か月になる。毎年初夏に私達の居住地にやって来ていたのに何かあったのだろうか、もう秋の気配が漂い出した。そろそろ次の放牧地に移動する時期だ。


 そんなある日、私と母さんが天幕の前で昼食後の片付けをしていると、女の子が駆けてきた。なんと人間族の女の子だ。赤毛のショートカットに緑の瞳、歳はアトル先生と同じくらいだろうか。驚いたことに、彼女は私の前まで来ると、腰に差していた短剣を抜き放ち、私に突き付けた。


「あなたが魔女ね。すぐにアトル様に掛けた呪いを解きなさい!」


 驚きの余り動けない私の前に母さんが割って入る。「止めなさい!」と叫ぶ母さんに少女の持つ剣が触れそうになる。私は迷わず亜空間から杖を取り出し、母さんの前に防御結界を展開した。


 キン! と言う音と共に、防御結界に弾かれた剣が少女の手から飛び去る。少女は唖然と剣が無くなった自分の手を見詰めている。


「母さん、大丈夫? 怪我しなかった?」


と私は母さんに確かめた。


「ええ、大丈夫よ。剣を弾いたのもイルの魔法なの?」


「そうよ。だから私はあの程度では怪我しないから、安心してね。」


実際は驚いて防御結界を張るのが遅れたのだが、本当のことを母さんに言って心配させる必要もない。


少女は相変わらず茫然として立っている、飛んで行った剣を取りに行こうかどうか迷っている様だ。会話するなら今がチャンスだ。私は母さんの後から抜け出し、少女に話しかけた。


「あなたは誰? 私は魔女なんかじゃないわよ。」


兎に角、この少女は誰なのか知る必要がある。


「私はカルル、アトル様の乳兄妹よ! さあ、分かったらとっととアトル様に掛けた呪いを解くのよ! さもないとただでは済まさないんだから。」


「私はアトル先生に呪いなんて掛けてないわ。」


「お黙りなさい! アトル様を獣人の姿に変えたくせに! 」


と言いつつ、少女はポケットから小さなナイフを取り出し手に持つ。危ない人だな。でも、既に防御結界を張っているから脅威ではない。さて、危険だからナイフも手放してもらおうかと考えたとき、少女の後から走ってきた誰かが少女を羽交い絞めにした。アトル先生だ。

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