第九十五話 マグダレナさんの掌
重苦しい沈黙が豪奢な広間に居座っていた。
会談が設けられたのは結局、翌日の午後になってから。
重厚な長テーブルを挟んだ向こう側。中央には、やたら威厳のある総白髪の老人の姿――恐らくこの人がレナさんの祖父ヒルフェン公なのだろう。
その左右には温厚そうな顔をした小柄な老人と、角ばった顔のレナさんのお兄さんが腰を下ろしている。
対してこちら側は、僕の両隣にレナさんとマグダレナさん。
サッキはなにやら火急の用事があるとかで、陽が昇るとすぐにアルニマ商会の西クロイデル支店へ出かけてしまった。
彼自身は貴族でも何でもない訳だし、もしかしたら遠慮したのかもしれない。
「リンツ君と言ったか……ともかく、まずは招待を受けてくれたこと、感謝している」
ヒルフェン公が重々しくそう口にした途端、マグダレナさんが眉を顰めた。
『君』呼ばわりの上から目線。
少なくとも王族に対する扱いではない。
マグダレナさんの表情を一瞥して、ヒルフェン公はさらりと言い放つ。
「そちらの女性はご不満のようだが…………我が国は、まだ神聖クロイデルと僭称する者どもを国とは認めておらぬ故、王族としては扱えぬ。まあ、ゆるされよ」
「お祖父さま! 僭称とは、あまりに失礼ではありま……」
思わず声を上げるレナさんを押しとどめて、僕はニコリと微笑みかける。そして、ヒルフェン公を見据えて口を開いた。
「結構です。ただし、それはそちらの立場。こちらはこちらの立場、王族として振舞わせていただきます」
途端にテーブルの向こう側に並んだ三つの顔、その表情が三者三様に変化した。
温厚そうな老人は「ほ」と短い笑い声を漏らし、お兄さんは「やりやがった」とばかりに頭を抱え、ヒルフェン公はヒルフェン公で、不愉快げに眉根を寄せる。
実は、このヒルフェン公の物言いに関しては、マグダレナさんの読み通りだった。
なんのことはない。これは話を有利に運ぶための罠なのだ。
事前に聞いていなければ、僕なら「はい、そうですか」と話を合わせてしまっていたと思う。
だが、この会談における僕らの立場は、「他の貴族より上の『王』がレナさんを娶るのだから、他の連中なんか話にならないだろ?」という大前提に立っているのだ。
向こうに合わせて「王族扱いじゃなくても良い」などと口にすれば、この前提が崩れてしまう。
だから、続いて僕はこう告げる。
できるだけ居丈高に。高圧的に。
「貴公の孫娘をわが妃として召し上げます。僕はレナーダを愛し、レナーダも僕を愛している。本人の意にそぐわないことならともかく、公爵とはいえ、たかが一貴族が王たる僕の行いを妨げることなど許されるはずもありません」
「愛している」の一言に、レナさんの顔が真っ赤にゆで上がる。
僕も恥ずかしくなっちゃうから。耐えてくださいってば!
だが、そんな孫娘と僕の間に視線を一往復させて、ヒルフェン公が低い声を漏らした。
「……それは宣戦布告と受け取ってもよいのかね?」
「へー、宣戦布告と受け取ってくれるんですか? 国と認めてもいないのに?」
途端に、ヒルフェン公の頬がピクリと引き攣る。
僕は余裕たっぷりに、テーブルの向こう側のヒルフェン公に微笑みかけた。
もちろん演技である。
胸の内では弱音を吐きまくっている。こんな風に。
(助けて! マグダレナさん! 僕、もういっぱいいっぱいですって! っていうか、なにレナさんのおじいちゃん。目ぢからありすぎでしょ! 超怖いんですけど!)
すると、穏やかな顔つきの老人が、唐突に話に割り込んでくる。
「ふぉっ、ふぉっ、これ、若いの。そんなに老人を挑発するものではない。血圧が上がって死んだら気まずかろうて」
「私はそんなに脆弱ではないぞ!」
「ヒルフェンの。お主もお主じゃ、頭ごなしに排除するつもりはない。そう言っておったではないか。プライドか何かは知らんが、そんな物言いをしては、誰だって反発するに決まっておるじゃろうが」
ヒルフェン公に対等の立場で説教じみた物言いをする老人。
この老人こそが、たぶんレナさんの師匠――剣聖ハイネマンなのだろう。
彼は再び僕の方へと向き直ると、諭すような声音で語り掛けてくる。
「若いの。このヒルフェンのジジイの立場を代弁するなら、お主らがいくら好きおうていようと、ハイそうですかという訳にはいかんのじゃよ。この西クロイデルという国ではのう」
「カストラート家を納得させられないと……そういうことですね?」
僕のその一言に、ヒルフェン公がわずかに驚いたというような表情を浮かべ片眉を跳ね上げる。ハイネマンは「ほ」と短い笑い声を零した。
「ま、そういうことじゃの。ヒルフェン家とカストラート家が相争えば、この国を二分する内乱となる。ただでさえ、中央に東の連中が入り込んで、虎視眈々とこちらの隙を窺っておるという状況じゃ。それだけは、どうあっても避けねばならぬ」
今度はマグダレナさんが、意外そうに眉根を寄せる。
この老人、ただ武骨なだけではなく、中央クロイデルをとりまく状況まで把握しているらしい。
しかも、僕たち以上に正確に。
「口約束とはいえ、ヒルフェンのジジイが、一度はカストラートにレナを嫁がせると言ったのじゃから。それを反故にしようと思えば、相応の理由が必要になるじゃろ?」
「理由……ですか?」
「そうじゃな、この国でしか通用せん理屈じゃが、『カストラートの子弟どもより断然、強い者に求婚された』とかじゃろうな」
ハイネマンは、ニヤッと口元に笑いを貼り付ける。
僕がちらりとレナさんのお兄さんに目を向けると、彼は無言のままにじっと僕を見ていた。
表情に出しはしないが、胸の内では「言わんこっちゃない」そう思っているのかもしれない。
「なるほど、強さを示せと……そういうことですか」
「そうじゃ、ワシが間に入れば、カストラートの連中も文句は言えなくなる。お主とカストラートの子弟たちとの剣闘試合を行い、見事、連中どもを倒せれば、この剣聖の名に懸けてお主らの婚姻を認めさせてみせる。じゃが、お主が敗れれば、そこのバカ弟子は問答無用で勝者に嫁がせる。これも剣聖の名にかけて絶対にじゃ」
「『恩寵』の使用は控えてもらうがな」
ハイネマンの言葉尻を喰うように、ヒルフェン公がそう吐き捨てると、今度はレナさんが食ってかかった。
「バカな! それでは弄り殺しではありませんか!」
「ならば、尻尾を巻いて逃げればよかろう。人間諦めが肝心という言葉もある」
(やっぱり……化け物じみてるよね)
僕は胸の内でそう呟く。
それはヒルフェン公のことでも、ハイネマンのことでもない。
ここまでは、全てマグダレナさんから事前に聞かされていた通りの展開。全ては彼女の掌の上の出来事なのだ。
『恩寵』の使用を禁じた上で、強さを示せ。そうくることは百も承知である。
僕はマグダレナさんに目配せする。すると彼女は一つ頷いて、おもむろに席から立ち上がった。
「おめでとうございます、我が王。これは吉報。この愚か者どもは自らの口で、剣では『恩寵』には勝てないとそう申しておるのです。もはや、こんな茶番に付き合う必要はございません。『恩寵』には手も足も出ないそうですし、この国ごと攻めとってしまう方が話が早いと言わざるを得ません」
マグダレナさんが芝居がかった調子で、挑発するように声を張り上げると、ヒルフェン公が席を蹴って立ち上がり、声を荒げた。
「無礼な! 剣が『恩寵』に勝てないなど一言も申してはおらんぞ! 爆炎や雷撃で施設や観客に被害を出されては割に合わんと、そう申しておるのだ!」
途端に、マグダレナさんの口元がいやらしく歪んだ。
「ふむふむ、なるほど、今のお言葉、しかと覚えましたよ、ヒルフェン公。ここにいる皆が証人ということでよろしいですね」
「な、なにがだ!」
「お気づきになりませんか? 施設や観客に被害を出さない『恩寵』であれば、何の問題もなく使用してもよいと、そう仰ったも同然ですが?」
「ぐっ!?」
思わず顔の真ん中に全てのパーツが集まりそうなほどに顔を顰めるヒルフェン公。その様子を眺めてハイネマンが愉快げに笑い声を上げた。
「ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ! なかなか面白い部下を持っておるようじゃの、若いの。では、剣闘試合は四日後。すべてはこのハイネマンが取り仕切らせてもらおう」
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