第九十三話 フルハウス
大変、お待たせしました!
「なんだ……何者かと思えば、マグダレナさまに言い寄った、変態クズ男じゃありませんか」
警戒するように目を細めていた兵士が、俺の姿を見るなりそう吐き捨てた。
よりによってソコかい……。
俺は思わず苦笑する。
一応、リンちゃんの親友にして城砦の危機を救った大恩人なのだ、俺は。
兵士たちからはそれなりに尊敬されていると、そう思っていたのだが、中にはこういうのもいるらしい。
確かに棘のある物言いではあったが、敵視というほどのこともない。
実際、その兵士は剣を抜くわけでもなく、警戒を解いて御者台から降りてきた。
見た目には、二十歳を過ぎたぐらいだろうか。
その兵士は、くすんだ金髪のそれなりに見目の整った美男子だった。まあ、もちろん俺ほどではないけれど。
「ティモだ」
俺がにこやかに手を差し伸べると、そいつは仏頂面のまま俺の手を握り返す。
「知ってます」
「悪いけど、俺の方は覚えてないんだよね」
「……ジョルジュです。なんどか言葉も交わしたはずなんですけどね」
「キミが女の子だったら、絶対忘れないんだけどね」
ジョルジュくんの口元が一瞬、ひくっと脈打った。
青臭いねぇ。これぐらいで怒るようじゃダメだぜ。
実際、こいつのことは全く覚えちゃいないけれど、城砦に到着してすぐに、俺があの黒子のお姉さんに言い寄ったことを知っているってことは、たぶん彼は、最初から城砦にいた兵士たちの一人ということなのだろう。
最初からいた連中は、あの黒子のお姉さんをやたらに崇拝してる印象だったが、ジョルジュくんもご多分に漏れずということか。
「で、そちらの女性を口説き落としたのですか?」
ジョルジュくんは俺の背後にいる車椅子の少女――ヴィオレッテをちらりと見やってそう口にする。途端にヴィオレッテが、ペッと地面に唾を吐き捨てる。
「誰がこんなのに口説かれるってのよ」
「おいおい、ジョルジュくん失礼じゃないか、俺に。こんなお子ちゃまを口説くような趣味はないぜ?」
「だ、だれが、お子ちゃまよ!!」
ぷんすかぷん! と、憤慨するヴィオレッテを放置して、俺はジョルジュくんへと問いかける。
「で、リンちゃんたちは、元気にやってるかい?」
だが、リンちゃんの名前が出た途端、また口元がひくっと脈打った。
「ま、お元気だとはおもいますけど……ね」
あれあれ? なんだなんだ?
たしかに敵視している訳ではなさそうだけれど、彼は、あまりリンちゃんのことは好きではないらしい。
……ま、いいか。
俺もあんまり好かれてはいないみたいだし。
「それにしても……キミらは、こんなところまで何しに来たんだい? なんだか、あまり大手を振って言えるような雰囲気じゃなさそうだけどさ」
俺はそう口にしながら、荷台の上で拘束されているご婦人の方へと目を向ける。
「重罪人の護送ですよ」
「は? なんだいそりゃ? 重罪人?」
重罪人というのは、どう考えてもこのご婦人のことなのだろうけれれど、わざわざ東クロイデルに運んでくる理由がわからない。
「追放ってことかい? そんなの荒野の真ん中にでも放り出しときゃいい話じゃないのかい?」
「……利用できるものは徹底的に利用するのが、あのお方のやり方ですから」
「あのお方……って、ああ、黒子のお姉さんか」
「その呼び方はおやめ下さい。私もマグダレナさまのことを侮辱されて黙っていられるほど、我慢強い人間ではありませんので」
ジョルジュのこめかみあたりで、今度は血管がピクピクと痙攣しはじめる。
見た目には、それほど気が短そうにも見えないのだけれど、なるほど……どうやら、こいつはあの黒子のお姉さんの信奉者ってわけだ。
つまり、お姉さんが絡むと冷静でいられなくなるってことなのだろう。
ってことは……あーわかっちまった。
リンちゃんのことが、あんまり好きでなさそうなのは、あれだ、ジェラシーだ。黒子のお姉さんが、リンちゃんをかまうもんだからおもしろくないってことだな。
そう見切ってしまえば、さほど警戒することもないだろう。
「黒子のお姉さんってのは、褒めてるつもりなんだけどなぁ。俺はあの黒子は、最高に魅力的だと思ってるんだけど? アンタはそうじゃないのかい?」
「ふっ……愚かな」
愚かって、おまえ……。
「いいですか。マグダレナさまは完成された存在なのです。それを黒子などという、極わめて小さな部分で賞賛しようというのが、もう侮辱以外の何者でもありません」
訂正。信奉者って言ったな、あれはウソだ。
こいつ……狂信者だわ。
あんまり相手にしたく無くなった俺は、改めて荷台の上のご婦人へと目を向ける。
黒子のお姉さんは、このご婦人になんらかの利用価値を見出しているということらしいが……。
両手を後ろ手に拘束されたそのご婦人は、静かに目を閉じたまま座っている。
歳は二十代半ばを越えているようにも見えるが、それほどでもないようにも思える。十代と言われれば、それはそれで納得してしまいそうな気もする。
けばけばしいドレスに身を包んではいるが、荒野を旅する間は身づくろいもさせてもらえなかったのだろう。
砂に塗れて、全体的に薄汚れている。
倉庫の中で埃をかぶった陶器人形みたいな感じ。そう見えた。
なにをやらかしたのかは知らないが、かわいい女の子をこういう目に遭わせるのは、俺的にはいただけない。
女の子ってのは大事に、大事に愛でるものだ。
それがたとえ、重罪人だったとしてもだ。
それから俺は、とりあえずこんなところじゃなんだからと、二人を廃屋の方へと案内することにした。
流石に、ご婦人を荷台の上に置き去りにするわけにもいかない。
「さっさとおりてください」
ジョルジュくんはご婦人を追い立てて荷台から降ろすと、身を拘束する縄はそのままに、剣を突きつけながら前を歩かせる。
うん、全く容赦がない。
ちょっと俺は、彼と仲良くできる自信がなくなってきた。
日中でも薄暗い廃屋の中、灯したカンテラの灯りの下。
俺はジョルジュくんに、俺たちが旅立った後の城砦の様子について尋ねてみる。
彼の話によると、クラウリとかいう中央の元貴族が、城砦の人間関係をひっかきまわして、国を乗っ取られそうになったらしい。
話を聞いている限りでは、そんな怪しいヤツをなんで引き入れちまうかねぇとも思うけれど、一方ではお人好しのリンちゃんらしいね。まあ、そうなるよねと、俺は変な納得の仕方をしてしまった。
で、そこで後ろ手に縛られているご婦人が、そのクラウリとかいうヤツの奥方……いやクラウリってのは死んだらしいから、未亡人ってことらしい。
はっきり言っておくけどさ。
……好みのタイプです。未亡人ってのがまた良い。
気が強そうだけど、陰があって、ジョルジュくんに虐げられてきたせいだと思うけれど、そこはかとなく淫靡な色気みたいなのが滲み出ている。
「しっかし、悪いのはそのクラウリってヤツなんだろ? その奥方が重罪人ってのは変じゃねぇの?」
俺がそう口にした途端、ジョルジュくんはハタとなにかに気付いたみたいに顔を上げたかと思うと、後ろ手に縛られたままのご婦人の方へと歩み寄って、冷たい目で彼女を見下ろした。
「荒野を旅している間はオマエと僕、二人だけだったから『恩寵』を警戒する必要もなかったけど、今はそういう訳にはいかないね」
「使いませんわよ……今更」
ご婦人が虫の泣くような声でそう呟くと、ジョルジュくんは彼女の髪を掴んで顔を上げさせる。そして、顔を突きつけてこう言った。
「オマエが『恩寵』を使ったんじゃないか、そう思ったら問答無用でぶん殴る。実際使ったかどうかなんて関係ないからな。苛立ったら、とりあえず力いっぱいぶん殴る」
「……好きになさいな」
その話を脇で聞いていて、俺は思わず眉を顰める。
いや俺だけじゃない。ヴィオレッテも同じように眉を顰めている。
プロの暗殺者に眉を顰めさせるとは、こいつ本当に無茶苦茶だ。
「えーと……ジョルジュくん、それはちょっとやりすぎじゃないかな?」
「いいえ、クラウリ子爵が引き起こした一連の騒動の元凶はこの女なんです。この女の『恩寵』は人間関係を著しく悪化させる力があります。気を許したら、僕とアナタが殺し合ってるなんてことにもなりかねません」
――人間関係を悪化させる『恩寵』だって?
「ジョルジュ君。この後、このご婦人をどうするつもりなんだい?」
「マグダレナさまのご指示通り、商人に金を掴ませて、どこかの貴族に亡命貴族として保護させます。あとは好き勝手にやらせるだけですね。ただで転ぶような女じゃありません。この女が東クロイデルでのし上がろうと思えば、『恩寵』を使って謀を巡らせるしかないでしょうから……」
「なるほど。ある意味で言やぁ、人間爆弾って訳だ」
「ええ、そういうことです」
俺は、にやけそうになるのを必死で堪える。
なんだこれ、ほんとに呆れるしかない。
ツいている、ツキすぎている。
たぶん、このツキは俺のツキじゃない。
俺は、そのあたりは絶対に過信しない。
以前、リンちゃんを絶対に勝つ手札だと評したことがあるけれど、これが誰の強運かといえば、たぶんリンちゃんのなんだろうさ。
笑いをこらえて肩を震わせた俺を、ジョルジュくんはおかしなものでも見つけたかのような目で眺めながら「どうしたんです?」とそう問いかけてきた。
どうしたも、こうしたも……。
「いやぁ……ごめん、ごめん。ところでジョルジュくん、カードはやるかい?」
「カード? 賭けですか? ……まあ人並には」
「そうかい。じゃあ分かるだろ。手元にワンペア。ああこりゃ勝てないな。でも、勝負は投げられないしな。って、そんな場面を想像してごらんよ」
「はあ?」
ジョルジュくんは眉根を寄せて首を傾げる。
「ワンペアを残して、三枚カードを捨て、新たに三枚ひく……ツキがなけりゃワンペアのまま。だけどさ、本当にツキがあるやつがめくれば、フルハウスになるなんてこともある」
「何の話ですか?」
「……東クロイデルは今、軍勢を整えて、ノイシュバイン城砦攻めの準備の真っ最中だ」
「なっ……!?」
これにはジョルジュくんも驚いたようだ。彼は大きく目を見開いた。
「で、俺はなんとか妨害できないかって、そう考えてたんだが……」
「あなた方だけでですか? 無理ですよ、そんなの!」
「ああ、そうだね。無理だ。言ってみりゃ俺とヴィオレッテのワンペアで、勝負をかけようとしてた訳なんだけど……」
「あんたとペアなんて、冗談は顔だけにして欲しいわね」
ヴィオレッテが茶々を入れる。
うるせーよ、黙ってろ。
「こほん」
俺は軽く咳払いをして、ジョルジュくんに向き直る。
「なぁ、ジョルジュくん、そのご婦人を俺に預けてみないかい?」
「預ける?」
「ああそうだ」
そして、俺はとびっきりの笑顔を作って、言ってやった。
「そのご婦人で、俺の手札はフルハウスさ」