第九十二話 飛び火で火だるま想定問答
「……はぁ」
サッキが感嘆とも呆れとも戸惑いとも取れるような、そんな、なんとも微妙なため息を吐いた。
その視線の先にいるのはレナさんだ。
彼女は赤い髪を高く編み上げ、上品なすまし顔で目を閉じている。
事前にマグダレナさんが手配してあった衣装は、髪色に合わせてあつらえたかのような真っ赤なイブニングドレス。それを纏った今の姿は、まさに貴族のご令嬢と言った華やかな雰囲気を醸し出していた。
ただし――
「……人間、やれば出来るものなんですねぇ」
「うるせぇ、こっち見んな。ぶっ殺すぞ」
――口を開かなければ……という前提がつくのだけれど。
僕らは現在、西クロイデル王国内を北へと続く街道、そこを走る高級馬車のキャビンで揺られている。
僕らが西クロイデルの南辺、スウォート村に到着すると、すでに迎えの馬車が待ち受けていた。
四頭立ての大型の高級馬車と、僕らの荷物を運ぶための荷馬車の二台。
お家蟲をスウォート村の外れに待機させ、僕らは御者に案内されるままに、その馬車へと乗り換えたのだ。
その際、マグダレナさんは、レナさんに件の紅いドレスへと着替えさせた。
マグダレナさん曰く……
「意外性というのは大事ですからね。まあ、先制攻撃と言ったところです」
確かにこれまでのレナさんのことを知る者なら、きっと目を丸くすることだろう。
意外と強烈なパンチ。そう言えるかもしれない。
僕はサッキを威嚇するレナさんに苦笑しながら、窓の外へと目を向ける。
車窓の向こう側を流れていく風景は、中央と比べてもあまり違いはない。
長閑な農村風景だ。建築様式にも違いは見当たらない。
あえて違いを挙げるとすれば、山岳地で勾配の多い中央に比べると平地が多く農地としては、ずっと適しているように思えることぐらいだろうか。
「レナ殿……言葉遣いが壊滅的なのはまあ良いとして、我が王とアナタが互いに愛し合っているのだというところを、過剰なぐらいに見せつけねばならないのはお忘れではありませんよね?」
「あったりめぇだろ。だから、こうしてんじゃねぇか」
マグダレナさんが釘を刺すと、レナさんは僕と繋いだままの手を持ち上げる。
レナさんが剣士であり続けるために、僕は出来る限りの協力を約束したし、彼女は彼女で覚悟を決める、そう言っていた。
二人で語り合ったあの夜以来、僕らは可能な限りずっと手を繋いだままでいる。
「反復練習。剣の世界でもそうだけどよ。慣れってのが大事なンだよ」
そんな彼女の提案に従ってのことだけれど、まあ確かに効果はあった。
多少接触しても、ドギマギすることはなくなったからだ。
「手を繋ぐぐらいのことは、幼子でもしていることです」
「じゃあ、これならどうよ」
そう言って、彼女は照れる様子もなく、僕の頬をチュッと啄む。
これも練習の成果だ。ここ数日の間、練習と称して彼女は毎朝、右頬に十回、左頬に十回とこれを繰り返してきた。
「素振りは基礎中の基礎だからな!」とは、彼女の弁。これは素振りらしい。
「その程度ですか?」
「なんだと? じゃあ、これでどうだ。ここまでやっても、もうなんともねぇぜ」
マグダレナさんの煽りを真に受けて、彼女は僕の首に両腕を回すとぎゅっ! と、しがみついてきた。
これもまた、練習の成果である。
「組み合っての乱取りは必須だからな!」とは、これもまた彼女の弁。
だが、今日は香水かなにかをふっているのか、微かにいい香りが鼻腔をくすぐって、僕は思わず咳払いをした。
「ははっ! リンツのやつ赤くなってやがらぁ」
くっ……レナさんのくせに。
「まあ、確かに随分マシになったと思いますけれど、不安要素はレナ殿だけではありませんからねぇ……」
「「確かに」」
マグダレナさんが僕の方へジトリとした視線を向けて、サッキとレナさんがうんうんと頷く。
「……大丈夫ですってば」
これでも僕だって随分、女の子との接触には慣れたと思う。素振りや乱取りに加えて寝技の練習と称しての添い寝だってこなしてきたのだ。
もはや、女の子など、その辺に生えてる草や木と同じようなもの……とは流石に言いすぎだろうか。
「そもそも我が王が殿方らしくリードしてくださればなにも問題はないのです。結局、我々がこんなに苦労しているのは、我が王がどうしようもないヘタレ野郎だということ。それが最大の原因なのですよ」
「言い方! マグダレナさん! 言い方!」
それは確かにそうなんだろうけど、流石にヘタレ野郎は酷くない?
「では、時間もあることですし、想定問答のおさらいをしておきましょうか」
「おう任せとけ」
マグダレナさんのその言葉に、レナさんがドンと胸を叩く。
だーかーら、そういう挙動が女らしくないとあれほど……。
「それと、新たにありうる質問を追加しております。ここに回答案を用意していますので、とりあえずはこれを見て答えてください」
「おう、わかったぜ」
マグダレナさんから羊皮紙の巻物を受け取ると、レナさんは余裕綽々といった雰囲気で「にひひ」と笑った。
だーかーら、そういう笑い方も女らしくないとあれほど……。
思わずため息を吐く僕をよそに、マグダレナさんがコホンと咳ばらいをして、想定問答を開始した。しわがれた声まねは、レナさんのお祖父さんのつもりなのだろう。
「レナーダよ、お前は本当にこの男を愛しているというのか!」
「はい! お祖父さま、私は生涯この方に添い遂げたいとそう願っております」
「ふっ、疑わしいな。口では何とでもいえよう」
「そんなことはありません。ご覧ください。このように頬に口づけることすら戸惑いもございません」
「ふむ……こんな男のどこが良いというのだ!」
「お祖父さまにはお分かりになりませんか。お顔立ちは可愛らしく、新興とはいえ一国の王へと昇りつめた実力の持ち主です。なによりオレ……わ、私を大事にしてくださるところです」
「では、剣の道は諦めるのだな」
「いいえ、リンツさまは結婚しても、剣は続けても良いと仰ってくださっております」
「それでは子はどうする。そんなことでは妻としての務めは果たせぬだろう」
おっと、この質問は初めてだな。
レナさんは手渡された羊皮紙に目を落として、そこに書いてある内容を読み上げる。
「そんなことはございません。私は二刀流も得意でございます。剣とリンツさまのり、りっ、立派な、そ、その……」
だが、彼女はそこで真っ赤になって口ごもった。そして――
「言えるかっ、ボケェエエエエ!」
そう絶叫した。
「せっかく考えたのですから、ちゃんと言っていただかないと!」
マグダレナさんはものすごくニマニマしながら、レナさんに顔を突きつける。
もう、ただのスケベ親父みたいなそんな顔だ。
ほんとにこの人は……。
まあ、レナさんをからかっている分には僕に被害はないから良いのだけど。
僕がそんなことを考えていると、
「っていうか、身内相手に何言わせる気だ、てめぇ!」
「いや、その辺はほら、インパクトって大事ですから……あ、『立派』の部分が問題ですか?」
「そこを問題にしないで!?」
途端に僕の方へと飛び火した。