第九十一話 詐欺師だって人の子なわけで。
第六章スタートです!
東クロイデル王国の南辺。
荒野を臨む小高い丘の上に、棲む者の途絶えた廃村がある。
腰の高さほどもある雑草の生い茂る野原の只中に、数軒の朽ちた小屋が残っているだけの寂しい廃墟。晴れ渡る青空を背景にしながらも、その一角にはどこか寒々しい風景が広がっていた。
俺たち二人は、東クロイデルの王都クラニチャルを脱出し、どうにかそこへと辿り着いていた。
「で……いつになったら出発するのかしら?」
破れた壁板の隙間から荒野の方を覗き見ながら、少女が感情の無い声で問いかけてくる。
長い黒髪。陶器人形のような、冷ややかな美しさを纏った車椅子の少女である。
黒地に紫の差し色の入ったドレスが、周囲の荒んだ風景とは全く調和しておらず、場違い感がすさまじい。
「慌てる乞食は貰いが少ないっつうだろ? なんにしても、ちゃーんと情報を集めてからさ、動くのは」
「そんなことを言って……ここに辿り着いてから、もう二日もダラダラしてるだけじゃありませんの」
そう言って、あくまで暫定的、且つ不本意ながらも相棒となった暗殺者の少女――ヴィオレッテ嬢が俺の方をちらりと見やって、不満げに唇を尖らせた。
俺は壁にもたれかかったまま、肩を竦める。
まあ、焦れる気持ちは分からなくもないが、今は待つしかない。
俺はここへと到る道すがら、通信機で情報屋たちに情報を集めるように依頼したのだ。
このままノイシュバイン城砦へ戻ってもいいんだが、手ぶらで戻るよりは、なにか決定的な情報を掴んでおいた方が、城砦での俺の立場も良くなるってもんだ。
女王陛下は荒野の果て、ノイシュバイン城砦に向けて、軍旅を差し向けようとしている。
『どうして』という情報は必要ない。理由ははっきりしている。虎の子の魔導甲冑部隊を壊滅させられた東クロイデルにとって、ノイシュバイン城砦に巣食う連中は紛れもない脅威だからだ。
問題は『どうやって』だ。年間の戦費の八割がたを使いつくしたと聞いてた割には、東クロイデルの動きは早すぎる。
情報の内容によっちゃあ、王都に戻って多少工作しておいた方が良いってケースもあるかもしれないし、荒野に出るのはひとしきりの状況が掴めてから……俺はそう決めていた。
「まあそう言うんじゃないよ。果報は寝て待てって言葉も……って、噂をすりゃなんとやらだ。お嬢ちゃん、ちょっとの間、静かにしててくれ」
耳に嵌めたままにしておいた通信機にノイズが走って、オレはあわただしく指先でつまみを回す。ノイズの中に混じっていた男の声が、次第にはっきりとした言葉へと変わっていった。
「……んな、旦那、ティモの旦那、聞こえてやすかい?」
「はいよ、聞こえてる。その声は……タルボかい?」
「へえ」
通信機から聞こえてきたのはひいきにしている情報屋の声。
双子の兄の方だ。
兄弟そろって見てくれが悪いのと、金に意地汚いのが珠に瑕だが、腕の方は確かだ。弟の方は中央クロイデルを縄張りにしているので、今回は声をかけていない。
「で、何か分ったのかい?」
「へえ、大体のところは。今回の遠征についちゃぁ、正規の軍は動かさないみてぇです。貴族どもは手弁当で、テメェの私兵引きつれて南へ向かうみたいですぜ」
「はぁ? なんだそりゃ? そんなもの好きなヤツいんのかよ……」
「それがねぇ、目の前にこれだけ旨そうな餌ぶら下げられちゃ……まあ行くでしょうね。応じたのはメフメト伯とダブネス伯だそうで」
「どっちも大物じゃねぇか! 一体、どんな餌ぶら下げたっつうんだい?」
「へぇ、女王陛下が約束したそうですぜ、先にその南のなんとかいう城砦を陥落させた方、その子息とクレジュ姫との婚約を許すって」
「そりゃまた、なんとも……」
クレジュ姫というのは現女王陛下の一人娘……ただし、まだ六歳やそこらの子供だったはずだ。
だが、それの意味するところは次の女王陛下の婿――王配の地位を約束するということだ。
そりゃぁ、その二大貴族だって必死にもなるだろう
「おかげで両貴族は、それぞれ影響下にある貴族連中を掻き集めて軍備を整えてやがるんで、結構な規模の軍旅になりそうです」
「……まて? ダブネス伯って言ったよな? もしかしてターキス家は参加すんのか?」
「ターキス? ちょっと待ってくださいよ。えーと……」
ペラペラと紙をめくる音が耳元で響く。
「あった。ターキス家は参加することになってますね。次男のキルヒってのと、長女のリズマールってのが、それぞれ百ずつ私兵を連れて参じてるみたいです。小貴族だけに、あんまりいい扱いじゃないみたいで、先鋒部隊に配属されてまさぁ」
「……ありがとよ、また何か分ったら頼む」
「あ、ちょ、ちょっと旦……」
俺はそこで一方的に通信を終わらせた。そして通信が切れた途端――
「あんの、クソおやじ!」
オレは足もとに転がっていた木桶を力いっぱい蹴り上げた。ビクリと身を固くするヴィオレッテ。壁にぶつかった木桶がくわんくわんと軽い音を立てながら転がっていく。
最悪だ。先鋒部隊だって? そんなところにいたら、真っ先にメイド嬢の雷撃の餌食じゃねぇか
俺は少女の方へ向き直ってこう言った。
「……お嬢ちゃん。悪いが俺は王都に戻る。このまま荒野をまっすぐ進みゃあ、運が良けりゃ城砦にたどり着けるだろうよ」
「それはあまりにも無責任じゃありませんの?」
「俺にだって、見捨てられないものぐらいあるってことさ。今回の遠征に巻き込まれそうな身内がいるんでね」
俺がそう口にすると、彼女はなぜか腑に落ちたとでもいうような顔をした。
「うふふ、お可愛いことですわね。詐欺師だなんだといっても、やはり人の子。弟や妹のことは見捨てられませんか?」
「なっ、てめぇ……」
俺は思わず目を見開く。
そういやぁ、コイツは鷹の宿に尋ねてきた時に、俺の素性を調べ上げたとそう言っていたな。ならば、もう取り繕う必要もない。
「ああ、そうだね。あのクソおやじがどうなろうと知ったこっちゃねぇが、キルヒはまだ成人もしてねぇガキだし、リズは気は強ぇが、心根の優しいヤツなんだ。親父が取り入るための道具にさせるわけにゃいかねぇ」
そう言って憤然と扉の方へ歩き始めると、彼女が背後で口を開いた。
「銀貨で百五十ぐらい……でしょうかね」
「何がだよ」
「出血大サービスで腕利きの暗殺者を雇える、滅多にない機会ですわよ?」
手伝ってやるってことか? だが、戦える手駒は必要だ。王都についてから伝手を伝って、戦力を集めるにゃあ、あまりにも時間がなさすぎる。
「……百だ。それ以上は出せねぇな」
彼女は不満げに唇を尖らせた後、小さく肩を竦めた。
「仕方ありませんわね……それに顎足実費で請求させてもらいますわよ」
顎足実費って……ここに至るまでの飯代や宿代も全部俺に出させておいて、まったくよく言うよ。
「じゃあ、とっとと出発するか」
「ちょっとお待ちくださいまし」
「なんだよ、まだ何かあんのかよ」
車椅子を押そうと手をかけた途端、彼女が俺の手を押さえた。
「あれは、あなたのお仲間じゃありませんの? あっちから来るなんて……そのノイシュバイン城砦から来たとしか」
「あん? 仲間だって?」
思わず片方の眉を跳ね上げて、俺は彼女の指さす先、割れた壁板の向こう側に目を凝らす。そこには、一両の馬車が荒野の向こうからこちらへと走ってくるのが見えた。
じっと、目を凝らしてみると御者台には兵士が独り。流石にここからでは顔まではわからない。そして、その背後の荷台にはドレス姿の女が一人乗っている。全く見覚えはない。
だが、
「あいつらに見覚えはねぇが……」
その馬車には見覚えがある。
俺たちがノイシュバイン城砦を目指して旅をした、あの馬車だ。