その4 ロザリンデ・ジズムントの追憶 後編
本編の前日譚その3です。
一部書籍版 準拠の設定があります。ご容赦いただければありがたいです。
意外に思われるかもしれませんが、コゼットと私はすぐに打ち解けました。
『不愛想』と『無表情』の似たもの同士だから?
いえ、そうではありません。彼女もやはりメイドなのです。同じメイド道を歩む者同士、魂が共鳴したとでもいうべきでしょう。
確信しました。
人類全てがメイドであれば、きっと争いは無くなるに違いありません。
「ふぅーん、なるほどね。納得がいったわ……屋敷に着いた時、奥さま、ドン引きしてたわよ。何を話しかけても、アンタが『いいえ、それはメイドです』としか返さなくなったって」
「それは……あ、あとでお詫びしておきます」
調理場で引継ぎを受けている最中のこと。
問われるままに、この屋敷へきた経緯と帰るべき家を失ったことを話すと、彼女はぶっきらぼうながらも少し同情するような素振りを見せました。
「ま、店を移転しただけなんじゃないの? もしかしたら商売がうまくいって、もっと店を大きくしたのかもしれないわよ」
「……いけませんね。悪い方にばかり考えていました」
彼女のいう通りです。なにも、悪い可能性しかない訳ではありません。私が思わず顔を見つめると、彼女はサッと目を逸らしました。
「その子を探すのだって、手伝ってあげたいのは山々だけど……私ももうすぐ出ていかなきゃいけないから」
「気になっていたのですが、あの……出ていくというのは、もしかしてマルティナさまのご子息は、その……低等級の『恩寵』を発現されたのですか?」
そう問いかけた途端、コゼットはまとう雰囲気を一変させて、ギロリと私を睨みつけました。
「何も聞いてないの?」
「……はい」
私が小さく頷くと、彼女は苦々しげに吐き捨てます。
「それ以前の問題。坊ちゃまは『恩寵』を発現する機会すら奪われたのよ」
「奪われた?」
「剣術の修練の時に事故……に見せかけて目をやられたの」
私は思わず息を呑みました。
一般に『恩寵』は目に宿ると言われています。ですので、目を失ったということは、『恩寵』を発現する機会を永遠に失ったということに他なりません。
「見せかけてって……本当に事故ではないのですか?」
コゼットは真剣な表情で頷きます。そして、廊下を覗き込んで左右を見回した後、後ろ手に扉を閉じて口を開きました。
「……坊ちゃまは『恩寵』を手に入れたら、ラッツエル男爵に復讐するつもりだったの」
「復讐って、自分の父親にですか!?」
「父親じゃないわよ……。坊ちゃまはマルティナさまと前のご主人との間に出来たお子さまで、男爵とは血が繋がっていないの」
馬車の中でマルティナさまが仰った話の内容と重ね合わせれば、状況は自ずと見えてきます。
母親を奪い取るために父親を殺した男。それに息子が復讐しようとした。ですが、先手をとられて返り討ちにされた。そういうことなのでしょう。
「男爵は坊ちゃまを追い出そうとはしなかったわ。当然よね。逃げられるよりもこのままここに留めておいて、機会を見て始末してしまう方が安心だもの」
コゼットは苦々しげな表情のまま、人差し指で眼鏡を押し上げました。
「だから、マルティナさまは伝手を辿って、東クロイデルに坊ちゃまを逃がそうとしているのよ」
「東クロイデルに……」
それで、マルティナさまがジズムント公爵家を訪れていた理由が分かりました。
ジズムント公爵家は東クロイデルとの外交窓口。公爵本人も東クロイデルの女王と懇意だと聞いています。
自分の父親とはいえ正直、ジズムント公爵がどんな人間なのかは私にはわかりません。だからマルティナさまがどんな話をして、彼がどんな理由でそれに手を貸すのかも想像がつきません。
ですが、これだけは言えます。
哀れな若者に善意で手を貸す。きっと、そんな綺麗ごとではないはずです。
私が口ごもってしまうと、調理場にはなんともいえない沈黙が居座りました。
しばらくして、静寂に耐えかねたように、コゼットが陶器の筒を覗き込んで口を開きました。
「……塩が切れてるみたいね。丁度いいわ、食糧庫の場所を教えるからついてきて」
私は彼女の後について調理場を出ます。そして、前を行く彼女の背中を眺めながら、問いかけました。
「それで……その、ご子息はどちらに? ご挨拶ぐらいは……」
「必要ないわ。今、坊ちゃまは誰かと話を出来る精神状態じゃない。すごく攻撃的だから嫌な思いしかしないわよ。それに……」
彼女は足を止めて振り返り、声を潜めました。
「かかわらない方がいいわ。だって……坊ちゃまは諦めていない」
「え……?」
「あなたも出来るだけ早く、この屋敷から離れるの。その……探している子が見つかったら、すぐに出来るだけ遠くに逃げなさい。ただし西クロイデルはダメよ。男爵は西の貴族と懇意なの。男爵が西へ逃げたら、坊ちゃまは西も焼き尽くそうとするはずだから」
「……はあ」
焼き尽くすとはまた……あまりにも大袈裟な物言いです。彼女の話が妄想じみたものに変わったせいで、私は思わず気の抜けた返事を返してしまいました。
そして、玄関ホール中央の大階段。私たちがその前を横切ろうとしたその時、
「ふぅん、その女が新しいメイド?」
私たちの上へとそんな声が降ってきました。
階段の上を見上げれば、薄桃色のドレスをまとった少女の姿がありました。金色の髪を頭の左右に結わえた、見るからに気の強そうな女の子です。
「左様でございます。お嬢さま」
コゼットはそう答えたあと、そっと私に耳打ちしました。
「エルフリーデさまよ。男爵とマルティナさまのご息女」
その少女はつまらなさげな顔をして、私の顔を眺めました。
「ふぅーん、珍しい肌の色ですわね、日焼け……じゃありませんわよね。南方系なのかしら?」
「は、はい。母が南方の出身ですので……」
「あ、そう。……で、コゼット、アナタたちはいつ出ていくのかしら?」
「はい、今、支度を進めておりますので三日後には……」
途端に少女の表情が憮然としたものに変わりました。
「あと三日も居座る気なの? ほんと、とっとと出て行って欲しいものですわね。あの男は貴族の血なんて一滴だって入っていないのだから、恩寵を発動出来たところでせいぜいDかEだったはずよ。そんな出来損ないに兄貴面されたって迷惑でしかありませんもの。顔も見たくありませんわ」
私は思わず眉を顰めます。実の兄に向ってこの言い草はない。そう思ったのです。
コゼットもきっと腹立たしく思っているはず、そう思ったのですが、意外にも彼女に憤るような様子は見えませんでした。
「まあ、良いですわ。二度とこの屋敷の敷居を跨ぐこともないのですから、せいぜい名残を惜しみなさい。あの男には、そう伝えておいてくださいまし」
そう言い捨てると、彼女は二階の廊下の方へと消えていきました。
「……酷いひとですね」
私がコゼットにそう囁くと、彼女は小さく首を振って苦笑しました。
「一番ショックを受けているのはあの方よ。ああやって憎まれ口をたたいて、現状を否定することでしか受け入れられないのよ」
「そうなのですか?」
「ええ、あの方にまともに向き合ってきたのは、坊ちゃまだけだもの。マルティナさまも取り繕ってはいるけれど、男爵に産まされた娘のことは愛せないご様子だから……」
◇ ◇ ◇
それから二日が過ぎて、三日後の早朝のこと。
馬蹄の響きを耳にして、私が慌てて玄関を出ると、丁度コゼットが馬車に乗り込もうとしているところでした。
周囲を見回してみても、私の他には見送る人の姿はありません。マルティナさまの姿すら見えないのは、随分意外な気がしました。
「コゼット! 行ってしまわれるのですか?」
「……見送りはいらないって言ったでしょう?」
「でも……」
私が歩み寄ろうとすると、コゼットはいつもの仏頂面を緩めて静かに微笑みました。
「コゼット、早くしてくれないか」
きっとレオン坊ちゃまという方でしょう。馬車の中からそんな声が聞こえて、コゼットは小さく頷きました。
「探している子が見つかることを祈っているわ。それで……見つかったら、出来るだけ早くここをでるの。いいわね……じゃあ」
そう言って、私に小さく手を振ると、コゼットは高級馬車に乗り込んでいきます。見慣れた百合の紋章。ジズムント公爵家の馬車です。
ゆっくりと動き出す馬車を見送りながら、私は思いました。
こんな寂しい状況であったとしても、彼女はきっと幸せなのでしょう。うらやましいとすら思えます。主と共にあるのですから。
「私もきっと……」
私の主は、新しくこの屋敷に来られる坊ちゃまではありません。
私の主は生涯ただ一人、あの子だけです。
だって、私のこの命はあの子のためにあるのですから。
私はこの想いが芽生えた、その時を思い返します。
物心がついた時には、私の母親はステラブルグの商家で住み込みで働いていました。お優しい旦那さまと奥さま。笑顔の絶えないそんな毎日だったように思います。
ですが、私が四つになった頃に、母親が流行病で亡くなってしまったのです。
いかに優しい旦那さまでも、他人の子を養えというのは筋が違います。当然です。かくして、身寄りのなくなった私は、孤児院に入ることになりました。
孤児院から迎えにきた男が品定めするような目で私を眺め、旦那様が不愉快そうに眉をひそめたのを覚えています。
そして、私が連れていかれようとしたその時、私の身にしがみつく者がいました。
それは、当時二歳になっていた商家のご子息でした。
「こら、坊ちゃん、放しなさい!」
「ヤっ! ヤダっ!」
男がいかに言い含めようとしてもヤダの一点張り。
考えてみれば、母が働いている間、私はずっとこのご子息と一緒にいたのです。もしかしたらお気に入りのおもちゃを取り上げられる感覚だったのかもしれません。
ご子息は大いに泣きわめき、ぐずりました。奥さまがなだめようと、旦那さまに叱られようと、一向に私から離れる様子はありません。
次第に私も悲しくなってきて、一緒になって大泣きしたのを覚えています。
そして、ついに旦那さまが根負けして、私をそのまま商家においてくださることになったのです。……ご子息の子守りとして。
今にして思えば、当時の孤児院はまともなところは一握り。他はほぼ奴隷商と繋がっているような状況です。ですので、私のような美しくてかわいい、類まれなる美少女はきっと、どこかの変態貴族の慰みものになっていたに違いありません。
もちろん、ご子息にそんなことが分かる訳がありません。言葉通りイヤだったというだけなのでしょう。
ですが、私はこう考えるようになったのです。
この命はこの子に拾われたのだと。
この命はこの子のもの。この子のために生き、この子のために死ぬのだと。
ですから、メイドになったのは成り行きでしたが、それもきっと神のお導きだとすら思えるのです。
やがて、コゼットたちを乗せた馬車が門に差しかかりました。馬車が門を出て見えなくなるまでは見送るつもりにしていたのですが、コゼットたちを乗せた馬車とすれ違いに、別の馬車が敷地へと入ってくるのが見えました。
「……あれは?」
確かに今日、新しい坊ちゃまがこちらへと移って来られる。そう聞いておりますが、それは午後だった筈です。
私が眺めているうちに、その馬車は屋敷の前で止まりました。そして御者台を降りた御者が恭しくキャビンの扉を開くと、なにやら申し訳なさげに降りてくる少年の姿がありました。
少年は私の姿を見つめると、こちらへと歩み寄ってきました。
「す、すみません、随分、早くついてしまったみたいで……」
信じられませんでした。
「マルティナさまをお尋ねするように、言われてきたんですけれど……」
私が呆然としていると、その少年は不安げに首を傾げました。
「あの……なにか僕、泣かせてしまうようなことをしてしまったんでしょうか?」
いつの間にか、涙が私の頬を濡らしていました。
だって仕方がないではありませんか。夢にまでみたあの左右色の違う瞳が、私を見つめていたのですから。
私は、涙を拭って精一杯の微笑みを浮かべました。
そして、こう申し上げたのです。
「……お待ちしておりました、坊ちゃま!」
ここまでお読みいただいてありがとうございます。
ネタばらし盛りだくさんでお送りしたSSもこれで終了です。
おかげさまで書籍版も好評をいただいているようです。
ありがとうございます。
まだお手にとっておられない方はこれを機会にぜひお買い上げいただければ嬉しいです。
今日は夕方から我孫子武丸先生のトークイベントの第二部に円城寺も出演いたします。
内容は先日のショートショートバトルの反省会。……反省会って。
例によってFRESHLIVEで放送されるそうです。
さて、次章は西と東両方が舞台となります。
基本リンツメインで、時々ティモという配分でしょうか。
反転装置さん再登場予定です。
乞うご期待!
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