第九十 話 乙女百景
気が付けば、真っ暗な空間に『ジジジ……』と微かなノイズが響いていました。
メタルフリーデとの同期はすでに解除されていて、視野が真っ暗な分、四肢を覆うヌメっとした感触がやけに生々しく感じられます。
搭乗者の安全は確保されていた……と、いうことなのでしょう。あれだけの衝撃を受けたというのに、身体のどこにも痛むところはありません。
とはいえ、吐き気がして気分は優れませんし、真っ暗な空間というのはなんだか……とても息苦しい気がいたします。
「メタルフリーデ……無事なの?」
≪損傷修復率は四十パーセントです。修復を継続しています≫
ワタクシの問いかけに、そんな平板な答えが返ってきました。
かなりのダメージを受けたようです。まったく何が『超必殺』なのでしょう、このポンコツは……。結局、ただの自爆攻撃ではありませんか。
「で……ジャミロはやっつけましたの?」
≪周囲に一切の脅威は認められません≫
流石にあの状況から逃れられるとは思えません。
脅威がないということは、すなわちジャミロはもう生きていない。そういうことなのでしょう。
「ハッチを開けて……外へ出たいの」
ワタクシがそう口にすると、四肢に絡みついていた触手がずるりと離れていく感触があって、頭上でプシューと空気が漏れるような音が響きました。
そして、ギギギと軋むような音を立てて頭上の空間が割れた途端、外から砂煙が吹き込んできて、ワタクシは思わずゴホゴホと咽てしまいました。
メタルフリーデと同期していたせいでしょう。自分の身体が自分のものではないような違和感を感じながら、ワタクシは頭上の穴から外へと抜け出します。
砂煙でかすむ視界。外は、いまだにパラパラと砂礫が降り注いでいました。
ワタクシはメタルフリーデの身体から這うように地に降りて、ぐるりと周囲を見回します。
そして――
「うわ…………」
絶句しました。
片膝をついたメタルフリーデがいるのはすり鉢状に陥没したクレーターの底。砕け散った尖塔が周囲に岩塊のように散らばっています。見上げれば、中央棟は半壊。酷い有様です。これはもう、お義兄さまにどうお詫びすればよいのか、見当もつきません。
「どうしましょう……」
その時、途方に暮れてしゃがみこんだワタクシの上へと影が落ちました。
見上げれば、そこにはメイド長さまが腕組みをしてたっておられます。いつも通りの無表情……いえ、わずかにお怒りのご様子が見て取れます。
ミュリエさまも正気に戻られたのでしょう。姫さまと繋がれていた手の石化は解除されていました。
はい、人生終了のお知らせが聞こえてきます。
「……エルフリーデ」
「は、はいぃ!」
ワタクシが思わず背筋を伸ばした途端、メイド長さまがこちらへと手を伸ばしました。殴られる! 思わず目を瞑って身を固くします。ですが、いつまでたっても痛みはやってきません。その拳が振り下ろされることはありませんでした。
彼女が、ワタクシをぎゅっと抱きしめたのです。恐る恐る瞼を開けると、メイド長さまの肩越しに姫さまが微笑んでおられるのが見えました。
「あ、あの……メイド長さま」
メイド長さまは何も言わずただ、ワタクシを抱きしめたまま。ワタクシはどうしてよいのかわからなくて、戸惑いながら姫さまのほうへと視線を向けました。
「まったく……屋根から飛び降りるだなんて、無茶苦茶です。肝が潰れるかと思いましたよ。エルフリーデ・ラッツエル」
「そ、それは……このポンコツが勝手に」
すると、姫さまがクスクスと笑いました。
「おかげでオロオロするロジーなんて、珍しいものも見れましたけれど」
メイド長さまがオロオロしていた? そんなことがあるのでしょうか? 王宮から脱出する時にはワタクシを置き去りにしようとした方です。いえ、別にそれを恨んでいる訳ではありません。当然だと……そう思っています。
「なにもおかしなことではありません。エルフリーデ・ラッツエル。人は鏡なのです。あなたが変われば、周囲も変わるのです。自分を見下すもの、自分を嫉むもの、自分を嫌うものを愛する人はいません。人を愛さないものを人は愛さないのですよ……と、まあ、これは先生の受け売りですけれど」
ワタクシは変われたのでしょうか? 自分では……わかりません。もし本当にそうならばうれしいのですけれど。
ワタクシが戸惑っていると、メイド長さまが耳元でささやきました。
「誤解の無いように申しておきますけれど、私は別にあなたのことを心配したわけではありませんから。ホッとしたわけなどありませんからね。ただ……周囲の殿方にあなたの見苦しい裸をみせるのは忍びないので、こうやって隠しているだけですから」
メイド長さまのその物言いがどうにもおかしくて、思わず口元が緩んでしまいます。
「……何を笑っているのです。エルフリーデ。気持ち悪いですよ」
「うふふっ、そうですね。その、気持ちの悪いエルフリーデに抱き着いていただいて、ありがとうございます」
◇ ◇ ◇
「パーシュ殿、モルドバ殿! ご無事でしたか!」
城砦の方へと戻ってくると、キップリング殿がこちらに気付いて歩み寄ってきた。
「なんとか……しかし、こちらも随分酷い有様ですね」
見回してみれば、中央棟は盛大に崩れ落ちていて、中庭は大規模に陥没している。そのクレーターの周囲では、横たわった兵士たちの間を衛生兵たちが走り回っていた。
「ご覧の通りです。まったく陛下がご不在の時に限って……」
確かに陛下がいらっしゃれば、もっとスムーズに治療も進むのだろうが、国王陛下にその役割を担っていただくのもどうなのかとも思う。
「砂猫族の集落の方もかなり死傷者が出ていますので、医者を連れていければと思ったのですが……」
「ああ、それなら大丈夫です。こっちは重症の者の処置はほとんど終わりかけています。あとは衛生兵たちだけで回せるでしょう。すぐに手配しましょう」
「助かります」
「それにしても、陛下が西から薬や医療道具を購入してくださっていたおかげで助かった。もしかしたらこれも予見しておられたのかもしれませんな」
「それはどうかしら?」
モルドバが顎に指あてて口を挟む。
「だって、こういうことが起こるって分かってたら、絶対西に行こうなんて考えないわよ、あの方は」
この男女に賛同するのはどうにも癪だが、私もそう思う。キップリング殿は大きく頷いて、次に私の背後に目を向けた。
「……で、パーシュ殿、そちらのお嬢さんは?」
「ボタ殿のお嬢さんでギュネさんです。流石に女性一人をあそこに置いてくるのははばかられましたので、とりあえずお連れしたのですが……」
「なるほど、では誰かに部屋を用意させましょう」
キップリング殿がそう口にすると、ギュネさんはピクリと身体を跳ねさせて私の背に隠れました。
「あの……知らない方のお世話になるのは……ちょっと、できればパーシュさまのところでお世話になりたい……のですけれど?」
「はっ!? いや、それは流石に……」
嫁入り前の娘さんを部屋に入れるなど、あらぬ誤解を招きかねない。私が思わず同様すると、腹立たしいことに男女がニヤニヤしながら、肩に肘を乗せてきた。
「な~に? あんた、傷ついた女の子に手を出しちゃうぐらいのクズなの?」
「そんな訳あるか! 私はただギュネさんのことを思って……」
「じゃー何にも問題ないじゃないの。お嬢ちゃんがあんたと一緒が良いっていってんだから、アンタが手を出さなきゃいいだけの話でしょ? ね、お嬢ちゃん」
「はい!」
モルドバが微笑みかけると、ギュネさんはニコニコしながら頷いた。
まったく……この男女は何を考えているのやら。
◇ ◇ ◇
のそのそと歩いていくおうち蟲の足音だけが、荒野に響いている。
僕は黙って、ただ、レナさんの話を聞いた。
知り合いの話だと始まったその話は、途中からは完全にレナさん自身の話になっていたのだけれど、そのことに彼女は気付いているのだろうか?
くだらない話。笑い飛ばしてしまえば、そこで終わってしまうようなそんな話かもしれない。他の人間にとっては。
だけど、それは彼女にとっては堅固な鎖であり、彼女を捕えて逃がさない檻なのだ。
「だから……オレはアイツを……師匠をぶったおすまでは、誰のものにもなるわけにゃいかねーんだ。巻き込んじまってわるいけど……よ」
僕はただ肩を竦める。ここまで来てしまったのだから、今更なにを言っているのかとも思うけれど、ちゃんと彼女自身の思いを聞けて、気分はすっきりした。
「婚約者のフリをして人を騙すというのは、正直、気乗りしなかったんですけど……いいですよ。僕は精一杯、レナさんの婚約者として振舞います」
「悪いな」
「乱暴でがさつな女性が好みの、もの好きということで」
そう言って僕が笑うと、レナさんが、むぅーと唇を尖らせた。
「……失礼なヤツだな、オメェは」
「それは、お互い様だと思いますけど?」
そういって、僕らは目を見合わせ静かに笑いあう。
雲間から洩れいずる月明りが青い、とても静かな夜。
しばらくの沈黙の後にレナさんが静かにささやきかけてきた。
「ちゃんと礼はするつもりだ。師匠をぶっ倒したら……その……」
彼女の白い喉がごくっと音をたてた。そして――
「……お前がオレを女に戻してくれ」
そう言った。