第九話 三つのクロイデル王国
少し長くなりました、すみません。
がんばって書くと長くなる罠……。
「お、おい! 待ってくれ! 置いていかないでくれ!」
「私がここから出たら、酷い目に合わせてやる! 覚えていろ!」
取り残された貴族達の、懇願と罵りの声を背に受けながら、僕らはホールの外へと飛び出した。
「レナさん! 早く!」
あとに残してきた二頭の獅子が咆哮を上げて、追ってくる兵士達を遠ざける。
その間に、最後尾のレナさんが後ろ向きに跳ねながら、扉の外へと飛び出して来た。
「ロジーさん!」
「はい、坊ちゃま!」
僕とロジーさんは、力任せに扉を閉じる。
そして、僕は再び、『恩寵』を発動させた。
途端に、両開きの扉のノブがそれぞれに伸びて、握手するかのように絡み合い、強固な閂のように扉を封印した。
「ふーーーっ……」
僕が大きく安堵の息を吐くと、
「うっわー……。お前、結構えげつない事すんのな……」
レナさんがそう言って、引いたような顔をした。
言わんとすることは、わからなくもない。
これで、中に残された貴族が逃げのびる可能性は、完全に消えたのだ。とどめを刺した。そう言われても仕方が無い。
「そういうつもりは……」
僕が思わず口籠ると、ロジーさんがパチパチと手を叩いて微笑んだ。
「流石は坊ちゃま。追手を断ち切るには、これが最善でございます」
なんとも言えない空気が流れかけた所で、扉の向こう側から、ドンドンと激しく打ちつける様な音が聞こえ始める。
僕らは、思わず顔を見合わせた。
「急ぎましょう!」
僕らは、王宮の外へと伸びる赤絨毯の廊下を、足早に歩く。見通しの良い廊下だが、僕らの他に人影は無い。
「王宮は、完全に包囲されてるって言ってたよな?」
レナさんが怪訝そうに首を捻ると、姫様がそれに応じる。
「あれはおそらく、ゴドフリートのブラフでしょう。そもそも王宮にそれほど多くの衛兵はおりませんもの。貴族が抱える私兵を巻き込むのも、情報の漏洩という意味では難しいでしょうし、正規兵の多くは東西の国境、それと荒野を臨む南の城砦に配備されています。それらも巻き込んではいるのでしょうけど、動員するには遠すぎますし……」
やがて、廊下の端へとたどり着くと、僕は外へと続く扉を開けて、そっと顔を出す。
冷たい空気が頬を撫でて、吐いた息が白く凍てつく。
外はまだ雪が降り続いていて、地面には白い雪がうっすらと積もっていた。
目の届く範囲に人の姿は無い。
王宮の庭そのものは静かだが、その塀の向こう側、遠くの方からは人々が騒ぐ声が響いてくる。
見回してみれば、塀の向こう、遠い所で、幾つか黒煙が棚引いているのが見えた。
「雪に足跡がありませんね」
ロジーさんがボソリと呟く。それはつまり、しばらく誰も行き来していないということ。おそらく、庭には誰もいないということを意味している。
状況から考えれば、王宮の外を包囲しているというのは、ブラフ。民衆が貴族の屋敷を襲っているというのは、恐らく事実なのだろう。
「ともかく……ここから脱出しましょう」
「で、どこへ行くんだ?」
レナさんに問われて、僕は考える。
だが実際には、選択肢はほとんど無い。
「……ラッツエル領へ。ここから半日の距離ですので領地にはまだ、この騒乱の火の粉は飛んでいないんじゃないかなと……それになにより……」
僕は、マルティナ様のことを思い浮かべていた。
「姫様、よろしいですか?」
「ええ、お願いいたします」
僕らは、周囲を警戒しながら、ここまで乗って来た高級馬車へと駆け寄る。
馬が寒さに震えている。僕らが駆け寄ると、二頭の馬たちは首を振るって積もった雪を跳ねのけた。
比較的寒さに強い、脚の太い馬種ではあるが、それでも流石に堪えるのだろう。二頭はすぐにでも走り出したげに、足を踏み鳴らした。
「姫様、それではこちらに」
「ええ、ありがとう」
ロジーさんがキャビンの扉を開けて、姫様をエスコートする。
続いて、エルフリーデが乗り込もうとすると、その襟首を、がしりと掴んだ。
「あなたは、私と一緒に御者台です」
「え? え? でも、こ、これ、私の馬車……?」
「あなたは、まだ身の程が分かっておられないようですね。等級こそが人の価値なのでしょう? 自分の等級を言ってごらんなさい。あなたは、もはや、坊ちゃまのお慈悲で生かされているだけの、家畜以下の存在なのですよ?」
「か……ちく……いか……。は、はい、ごめんなさい」
「では、坊ちゃま、レナ様。どうぞお乗りください」
「ロジーさん、でも御者なら僕が……」
しゅんと項垂れるエルフリーデを横目に、僕はロジーさんへと声を掛ける。
無論、エルフリーデを憐れんだ訳では無い。
エルフリーデに御者などさせたら危なっかしくて仕方ないし、この寒空の下、ロジーさんに御者をやってもらうのは申し訳ないと思ったからだ。
だが、ロジーさんは大きく首を振る。
「いけません、坊ちゃま。王族の姫様と、異邦人のレナ様はともかく、等級A以上の坊ちゃまは、今やこの国では、一番尊い方なのです。そんな方に御者をさせる訳には参りません!」
「そんな大袈裟な……」
「大袈裟ではありません」
僕が思わず肩を竦めると、レナさんが話に割り込んで来た。
「よくオレがこの国の人間じゃないって分かったな。メイド嬢。もしかして、言葉でもなまってたか?」
「ご自身で名乗られたではありませんか。西クロイデルのハイネマンを知らない者など、そうはおりません」
えーと、僕、全然知らないんだけど……。
「ちっ……」
僕の胸の内をよそに、レナさんは心底イヤそうに舌打ちすると、さっさとキャビンへと乗り込んでしまった。
「それでは、坊ちゃまもお早く。くれぐれも姫様に誘惑されたりなさられませんよう」
「ないですよ! そんなこと!」
流石に、それは僕も真顔になる。そんな事ある訳ない。……無いよね?
キャビンに乗り込むと、既にレナさんは四人掛けのウチ二席を使って、ふて寝するように横になっている。豪胆というか……。姫様が同乗していようがいまいが、全く気にする様子もない。
「し、失礼します……」
そう言って、僕は姫様の隣に腰を下ろす。
これまでそれなりに必死だったということもあるが、いざ冷静になると、隣に座っているのは民衆の憧れ、あの妖精姫である。緊張するなという方が、無理というものだ。
狭いキャビンの座席。僕は、身体が触れないように、壁際により掛かる。
僕が腰を下ろすと、馬車はすぐに動き出した。
門を出て、街中へと出る。窓から外を眺めていると、その風景は騒然としていた。松明を手にした庶民たちに交じって、衛兵らしきもの達の姿も見える。
貴族の館の幾つかからは黒煙が立ち昇っていて、民衆同士が殴り合っている姿も見える。今は略奪と混乱が街中を支配していた。
この町の状況を見れば、誰がどう見ても貴族のものであるこの馬車を目にした民衆が、どんな行動に出るかは、言うまでもないだろう。
実際、先ほどから石を投げて罵りながら、追いかけてくる者達がいる。
それから逃れるために、狭い街中にも拘わらず、馬車はどんどん速度を上げていく。
外の喧騒を聞きながら、僕は、そっと姫様の様子を窺う。
姫様の表情は沈んでいた。
実際、父親を目の前で殺され、王都から逃げ出さなければならない状況なのだ。年齢を思えば、泣き喚いても、少しもおかしくはない。
姫様は窓の外を眺めながら、
「私は……戻って参ります」
ぽつりとそう呟く。
それを耳にして、僕は先ほど疑問に思ったことを思い出した。
「あの、姫様……一つお伺いしてもよろしいでしょうか?」
「ええ」
「先程、ゴドフリートさんに仰ってらしたことなんですけれど……」
――あなたたちを救うために、戻ってくることになる。
途端に、姫様の表情が、沈痛なものへと変わった。
「……私は嘘をついてしまいました」
やはりでまかせだったのか……。
僕が、そう思ったのも束の間、それに続く姫様の言葉は予想外だった。
「彼らが生きている間に戻って来れる可能性は、とても……とても低いのです」
「……待ってください。間に合うかどうかの問題なのですか? というか、間に合うって何にです?」
「東西のクロイデル王国に挟まれたこの国を守って来たのは、結局『恩寵』なのです。『恩寵所持者』のほとんどを失ったこの国は、もはや裸も同然、すぐに東西のクロイデル王国の侵略が始まることでしょう」
「でも、ゴドフリードさん達が、イラストリアスの鏡を使って、新たに『恩寵』を得れば……」
姫様は小さく首を振る。
「ゴドフリートは、あれはあれで頑固な男です。『恩寵』を身に付けることは、再び階級を生むということ。彼らの理想の国の在り方とは反します。それに……」
「それに?」
「物理的に無理なのです。イラストリアスの魔鏡の隠し場所は、私も存じておりますが、その力を発現できるのは、王家の男子のみ。つまり、お父さまがこの世を去った今、『恩寵』が新たに生まれることはありません」
僕は思わず、目を見開く。
「他の人間は、使うことすらできないなんて……」
「詳しいことは分かりません。分け与えられた時点で、そうなっていると聞いています」
「分け与えられたというのは……?」
「遠い昔、東西、そしてこの中央。三つのクロイデル王国が一つの国だったことは、あなたもご存じでしょう。英雄と名高いデスモンド王は、自身の息子達が地位を巡って争うのを憂い、国を三つに分けて、それぞれに引継ぎました。そして、互いの力関係が均等になるように、国宝を分け与えたと聞きます」
「それが『イラストリアスの魔鏡』なのですか?」
「その一つです。デスモンド王は、凡愚な末息子には、最も強力な『イラストリアスの魔鏡』を、力自慢の次男には『魔剣デルヴィンク』を与え、そして……最も賢かった長兄には、何も与えなかった。そう言われています。その結果、末息子の国はこの『恩寵』の国、中央クロイデルに、次男の国は剣の国、西クロイデルに。そして長兄の国は智慧の国、東クロイデルとなったと言われています」
「何も与えられなかった長兄は、さぞ不満だったでしょうね……」
「おそらくそうなのでしょう。だからなのかは分かりませんが、東クロイデルでは、『恩寵』を模倣する『魔術』という学問が盛んなのだと聞きます。とはいえ、所詮は人の手による模倣、炎一つを生み出すのに、膨大な量の詠唱と触媒を必要とする役に立たない代物。そう伺っておりましたが……。おそらく、あの『反転』は東クロイデルの魔術ではないかと……。私はそう思っています」
「まさか! ゴドフリートさん達は、東クロイデルと通じていた。……そうお考えなのですか?」
自分の表情が強張っているのが分かる。だが、姫様は静かに首を振った。
「いいえ、彼はそういう人間ではありません。おそらく利用されたと見るべきでしょうね。ゴトフリード達の理想を利用して、この国の力を奪った。そういうことでしょう。恐らく、この国のどこかに、彼らを唆した黒幕とでも言うべきものがいるはずです」
「心当たりは?」
姫様は無言で、ただ首を振った。
ロクでもない国には違いないが、誰かに好き放題にされているという事実は、不愉快には違いない。だが、そのおかげで僕は死を免れ、『神の恩寵』を手に入れたのだと思うと、尚更、心がザワザワした。
「東が侵攻を始めれば、きっと西も黙ってはいません。ゴドフリート達の打ち立てた理想の国は、東と西の争いの中で、すりつぶされてしまうことでしょう」
姫様がそう言ってため息を衝くと、突然、ガバッ! と、レナさんが身を起こした。
「なかなかおもしろい話をしてるじゃねぇか。間に合わないって言い方にゃあ、対抗する手段はあるが時間がかかる、オレにはそう言っているように聞こえるがな。姫様」
姫様は静かに頷く。
「そうです」
すると、レナさんは呆れたと言わんばかりに、大袈裟に肩を竦める。
「西クロイデル人のオレの前で、そんな話をしていいのか? 祖国のために、俺がここで剣を抜いたらどうするつもりだい?」
「幸いにも、今、私は弱者ですもの。あなたの師匠は、常に弱者の側につくことを善しとされてきた方なのでしょう? ねぇ、剣聖の弟子、レナ・ハイネマン殿」
途端に、レナさんは何か、とんでもなく不味いものを食わされた様な顔になった。
「ちっ……食えないお姫様だな」
姫様は、レナさんにニコリと微笑むと、僕の方へと向き直る。
「そういえば、あなたのお名前を伺ってもよろしくて?」
「は、はい、リンツです」
「リンツ・ラッツエル?」
「違います。僕は庶民なので、家名はありません」
「そう……なのですか。では、リンツ。あなたに一つお願いがあります」
「お願い……ですか?」
「ええ、荒野を臨む南の要衝。ノイシュバイン城砦まで私を連れて行ってくださいませんか? 無論、今や私は国を持たない亡国の姫でしかありません。出来るお礼もなく、あなたの憐みにすがるしかないのが実情ですけれど……」
「そこに行けば、なにか?」
姫様は僕の目を見つめて、力強く頷く。
「夜会には、上位等級の者は列席することが義務付けられておりました。ですが、幾人か出席出来なかった方がおられるのです。ノイシュバインには、その中の一人。お父さまに疎まれて出席を許されなかった方……私の先生がおられます」
お読みいただいてありがとうございます!
応援してやんよ! という方は是非、ブックマークしていただけるとうれしいです。励みになります! よろしくお願いします!