第八十八話 逆転、逆転、また逆転 後編
「ああ、もうっ! うるさい! うるさい! うるさーいッ!」
耳元でけたたましく鳴り響く警報音に、ワタクシはたまらず声を上げました。
耳を塞ごうにも、四肢はメタルフリーデの肉の中に埋没してしまっているのですから、どうしようもありません。
こうなってしまっては堅固な甲冑も、ただの枷でしかないのです。
手足だけではありません。視界の同期も解除されています。目の前に開いた亀裂からわずかに見えるのは石造りの天井のみ。姫さまたちが危機に陥っておられるのは疑いようもないのですが、はっきりとしたことは分かりません。
そもそも、どうしてこんな損傷を負ったのかすら全くわからないのです。メタルフリーデの装甲が軋んで目の前に亀裂が走り、唐突に同期が解除された。ワタクシの認識はそれだけです。
ワタクシが喚くのと前後して、鳴り響く警報音の中に、やけに平板なメタルフリーデの声が混じりました。
≪損傷チェック、損傷チェック、修復を開始――進化パターンDを採用します≫
「メタルフリーデ! 答えなさい! 一体どうなってるんですの!」
ですが、このポンコツ甲冑に応える様子はありません。
そうこうするうちに、ウネウネとした何かが眼前の亀裂を塞ぎ、視界が真っ暗になりました。そして、メタルフリーデの鋼の体躯が震え始めます。ピシピシと音を立てる装甲。車輪の回るような駆動音。小刻みな振動が肉の中に埋没したワタクシの手足を這い上がってきました。
「返事をなさい! メタルフリーデ!」
ワタクシのその一言、その最後の一音に被さるように、メタルフリーデの声が響きました。
≪再同期が完了しました≫
途端に、雲間から青空が覗くかの如くに、視界が一気に広がっていきます。ワタクシとメタルフリーデの視界が再び同期したようです。
「……メタルフリーデ?」
≪はいな。おまたせやでー。いやーまさかあんなダメージを食らうなんてなー、びっくりやで、ホンマ≫
「一体、何が起こりましたの?」
≪さぁ……なんやわからへんけど、結構なダメージを食らってシステムダウンや。でも、もうなんも心配あらへん。破損部の修復は完了したし、再起動も終わっとる≫
ワタクシはそっと指先を動かしてみます。大丈夫です。動かせます。
石畳に手をついて身を起こそうとすると、先ほどまでとはどこか違う……なんとも気持ちの悪い違和感を感じました。
――なんですの?
思わず首を傾げながらメタルフリーデの身体を見下ろすと、四肢の形状が変化していることに気づきました。なんでしょうか……やけに腕が長く、逆に足が随分短くなっているような気がします。
「なんだか……ひどく不格好になっている気がするのですけれど?」
≪見た目はしゃーない。進化した結果やから≫
「進化?」
≪せやで、ワイも生物の端くれやからな。適者生存っちゅうのがある。生き残るために、この後起こることを徹底的にシミュレートして最適化した結果、この形状に進化したんや。進化パターンD、コードネーム――エイプ。まあ言うたらサル型やな≫
「サル型……って、退化してるじゃありませんの!」
≪ははははははっ、うまいこというがな≫
「うまいこと言ったつもりはありませんわよ!」
ワタクシが思わず声を荒げるのとほぼ同時に、ジャミロが怒鳴り声を上げました。
「なんなんだ、テメェは! 死んだんじゃねぇのかよ!」
そうでした。アホな甲冑と遊んでいる場合ではありません。ワタクシはあらためて状況を確認します。
ナイフを手にしたジャミロの向こう側に、コフィさまとミュリエさまの姿。
ミュリエさまは意識を失ったままなのでしょう。コフィさまにぐったりともたれかかっておられます。そして、それを支えるコフィさまは、額から血を流しておられて、ぐすんぐすんとしゃくりあげておられました。
あの額の傷は、この男の仕業なのでしょう。許せません。
視線をわずかに下へ動かすと、姫さまとメイド長さまが床に倒れこんでおられて、ジャミロがメイド長さまの背を踏みにじっています。
おーっと! いけません。これはいけません。
人を足蹴にするなど言語道断です。人としてどうかと思います。
「その足をおどけなさい!」
ワタクシはジャミロに向かって横殴りに腕を振るいます。手加減するつもりは全くありません。一撃で仕留める。そのつもりだったのですが、ジャミロは「おっと!」と一声発して飛びのき、鋼の拳は空を斬りました。
ワタクシが想像していたより、この男は相当すばしっこいようです。
「ちっ! キャバレロと合流するか……。その前に、テメェだけでも!」
一呼吸の間をおいて、ジャミロは壁面を蹴ったかと思うと、コフィさまの方へ飛び掛かりました。
「死ね! 長は俺だぁあああ!」
ワタクシは慌てて身を起こすも、流石にこれは間に合いそうにありません。ジャミロのナイフがキラリと光り、視界の中でコフィさまが大きく目を見開くのが見えました。
「コフィさまっ!」
ですが、コフィさまの額へとナイフが振り下ろされようとするまさにその瞬間、窓をぶち破って黒い影が飛び込んで来るのが見えました。
硬質な金属音が響き渡って、ギリギリと鍔ぜる音。湾曲した刀身がナイフを受け止めて震えています。
「にゃっ! クワミっ!!」
「お嬢! 遅くなりました!」
飛び込んできたのはクワミさま。彼女が剣を振るってナイフを弾き飛ばすと、ジャミロは悔しげに顔を歪めて声を荒げました。
「キャバレロの野郎! なにやってやがる!」
「奴はボクがやっつけたぞ! お嬢を傷つけた罪、その報いを受けてもらうぞ、ジャミロ!」
「くそっ!」
ジャミロはギリリと歯を鳴らすと、窓の外へと飛び出しました。
「に、逃げましたわ! メタルフリーデ! 追いますわよ!」
ワタクシが声を上げると、メタルフリーデがやけに落ち着いた調子で応えました。
「おちつきぃな、お嬢。ここまではシミュレーション通りやで」
「どういうことですの?」
「アイツが外へ飛び出したら、外にはぎょうさん兵士がおるわな。そのままじゃにげられへんからな、当然、別の逃げ道を探すんや」
「別の逃げ道?」
「そう……上や」
「上……?」
ワタクシは思わず首を傾げました。
◇ ◇ ◇
「レヴォ殿! ご無事でしたか!」
「キップリング殿もご無事なようで……」
ひどく疲れた様子で駆け寄ってくるキップリング殿と言葉を交わし、私は周囲を見回した。
そこには、先ほどまで剣を叩きつけあっていた兵士たちが、肩で息をしながら座り込んでいる。
西棟を突き破って出てきた機動甲冑。その我々にとって悪夢としか言いようのない化け物が現れたかと思うと、そいつは唐突に跳躍して、中央棟の三階へと飛び込んでいった。
そしてその直後、狂乱していた兵士たちが、糸の切れた操り人形のようにその場に座りこんで大人しくなったのだ。
それからしばらくして、クワミ殿が何かを感じ取ったかのようにピクリと耳を動かすと、間髪入れずに中央棟の方へと走り去ってしまった。
「皆、正気を取り戻したようですが……これは、終わったということなのでしょうか?」
私に聞かれても困る。私にだって何がどうなっているのか、さっぱり分かっていないのだ。
だが、終わったかどうかということなら、「多分、まだ終わっていない」と、そう答えざるを得ない。中央棟で何かが起こっているとしか思えないのだ。
どう答えたものか……と、わずかに逡巡したその時、けたたましい破砕音が響き渡って、中央棟一階部分の壁面が弾け飛んだ。濛々と立ち上る砂煙。その中から姿を現したのは先ほどの、白い機動甲冑だった。
「ひっ!?」
途端に、キップリング殿が怯え切った様子で尻餅をついた。そこら中から、兵士の悲鳴にも似たざわめきが響き渡る。無理もない。あの化け物は我々にとって恐怖そのものなのだ。私だって逃げてよいのであれば、今すぐ剣を放り出して逃げ出してしまいたいぐらいだ。
だが、そういう訳にはいかない。私はなけなしの勇気を鼓舞して剣を構える。来るなら来い。胸の内でやけくそ気味に、そう声を上げた。
だが、機動甲冑はこちらへ向かってくることはなかった。予想外の行動を見せたのだ。
そいつはこちらに背を向けると、腕を伸ばして中央棟の壁面、そこを登攀し始めた。
「レ、レ、レ、レヴォ殿! あ、あれは一体……」
「わかりません! 行ってみましょう!」
私はキップリング殿の手を引いて助け起こすと、二人で中央棟の方へと駆け出した。
走りながら見上げてみれば、機動甲冑はその巨体に似合わぬ素早さで、中央棟の壁面を駆け登っていく。
「あれではまるで……サルではないか」
キップリング殿が、そうつぶやくのが聞こえた。
確かに私の目にもそう見える。だが、いかに素早かろうと、機動甲冑の重量に石造りの壁面が耐えきれるはずがない。
鋼の指がかかる度に壁面のその部分が崩れ落ち、建物そのものが小刻みに揺れる。しまいには手をかける場所がなくなったのだろう。壁面をなぐりつけて穴を開け、指をかける場所を作りだす始末。
どうみてもあの機動甲冑は、この城砦を攻撃しているとしか思えなかった。
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