第八十五話 全裸の義妹と絡みつく触手
メタルフリーデの眼と同期したワタクシの視界の中で、メイド長さまの双眸に殺意の火が灯るのが映りました。頭の中に警報がけたたましく鳴り響き、視界の端には危険が迫っていることを示す、赤い警告表示が明滅しています。
慌ててワタクシは、こんなことになった経緯を説明することにしました。
「実は、姫さまたちと別れた後……ワタクシはお義兄さまの仰られていたことを思い出して、西棟の六番倉庫へと向かったのです」
「坊ちゃま? 坊ちゃまが何をおっしゃられたのです?」
「はい、『どうしても自分では解決できない。そういうことがあったら、西棟の六番倉庫を開ければいい。それで大抵の事はなんとかなるはずだから』と……」
≪で、そこにワイがおったっちゅうわけや≫
「ちゃんと順を追って説明しますから、あなたは余計な口をはさまないで!」
ワタクシは、勝手に口を挟んでくる馴れ馴れしい機動兵器を怒鳴りつけながら、先ほど自分の身に起こった出来事を思い起こしました。
◇ ◇ ◇
倉庫の重い鉄の扉を開けると、中は真っ暗でした。
「お義兄さまは、ここへ行けと仰っていましたけれど……」
一口に『自分では解決できないこと』といっても、色んな状況があり得ます。お義兄さまが想定されておられた『ワタクシに解決できないこと』が、今の状況と合致しているのか、どうかはわかりません。ですが、ワタクシにはもはやお義兄さまの言葉にすがるしかないのです。
倉庫に足を踏み入れると、ワタクシは後ろ手に扉を閉じて中を見回しました。
明かり取りの小窓から入り込んだ月明りが倉庫の奥に鎮座しているモノの輪郭を青く照らし出しています。それは片膝をついた人間のようなシルエット。
「……あ、あれは」
それが何なのかに気付いた瞬間、ワタクシは思わず「ひっ!?」と喉の奥に声を詰めてしまいました。
それは、ワタクシの記憶の中で恐怖の感情と結びついた化け物。
そこに鎮座していたのは、鹵獲した一体の巨大な甲冑。レナ様が倒したという三体のうちの一体なのでしょう。東クロイデルが送り込んできた機動甲冑でした。
「お義兄さまぁ……さすがにこれを動かせと言われても……」
誰も乗っていなければただの鉄の塊。ワタクシは怯える自分に、必死でそう言い聞かせながら、その巨大な甲冑に歩み寄りました。
猟犬のような鋭角的な頭部に、全身甲冑そのものの武骨な身体。形状こそ記憶のままですが、カラーリングは白に菫色の縁取りがなされたものに変わっています。
ですが、いくら色を塗り替えたところで、何の訓練もしていない素人がおいそれと動かせるはずなどありません。
「一体……お義兄さまは何を考えておられるのでしょう」
わずかに非難じみたニュアンス。
思わずワタクシが独り、そうつぶやいた途端のことです。
どこかでゆっくりと車輪が回るような駆動音が響きはじめ、作り物じみた甲高い声が倉庫の壁にぶつかって反響しました。
≪生体反応感知。スリープモード解除、アクティベレーターヴァージョンスリーへ移行、登録済みデータと照合。対象――エルフリーデ・ラッツエルを認証≫
「な、な、な、なんですの」
私は驚きのあまり後ずさって、その場にペタンと座り込んでしまいました。
「ワ、ワタクシの名前?」
戸惑いながら、そう口にしたのとほぼ同時に、機動甲冑の両目にギンッ!と、赤い光が灯りました。
そして――
≪お待ちしておりました。わが主≫
どこか作り物じみた声が、倉庫の内側に響き渡りました。
「ひぃいい!? 喋ったァ!」
ワタクシは恐怖のあまり、座り込んだまま足で床を蹴って後ずさります。ですが、そんなことは意にも介さぬとでもいうように、目の前の甲冑は平然と言葉を繋いでいきます。
≪識別コード『生体甲冑L1』、あなたの忠実なる下僕です≫
「ワタクシの下僕?」
≪イエス、わが主。当機は、アナタのパーソナルデータにアジャストされておりまqあwせdrftgyふじこlp≫
機動甲冑は話の途中から、意味のわからない発言をし始め、途端に激しい警報音が鳴り響きました。
≪言語機能にエラー。修復を開始します。エラー、エラー、エラー、エラー。サブプログラム起動。アストラル障壁外より代替言語のダウンロード……サクシード、再起動を開始します≫
プシュゥゥウと、どこか気の抜けた空気音が響いて、両目に灯っていた赤い光が消えました。
「な、なんですの、一体」
ワタクシははっきり言って、怯え切っておりました。はしたない言い方になりますが、正直ちびってしまいそうでした。
この状況になれば、誰だってちびってしまっても仕方がありません。
違います。一般論です。べ、別にちびってしまったわけではありませんから。本当です。本当ですよ。
一瞬の静寂の後、駆動音が響き始めて、再び両目に赤い光が灯りました。息を呑んで見守るワタクシ。そして、再び甲高い声が響きました。
≪お嬢、遅いわホンマ、どんだけ待たせる気やのん、往生しまっせ≫
「急に、馴れ馴れしくなった!?」
先ほどまでと、随分雰囲気が違います。一体なにが起こっているのでしょう。
「一体、なんなんですの、アナタ!」
≪だから、言うてますやん。ワイは識別コード『生体甲冑L1』お嬢の下僕やて。お兄はんからお嬢に従うように言われとりま≫
「お義兄さまが? じゃ、じゃあアナタ、侵入者を退治できますの?」
「侵入者? ただの人間でっしゃろ? そんなん当たり前ですやん」
「じゃ、じゃあ、今すぐ退治してきてくださいまし!」
ワタクシがそう声を上げると、機動甲冑は器用にも気まずそうな雰囲気を醸し出しました。
「そらぁ無理ですわ、ワイ自分じゃ一歩も動けまへん」
「役立たず!」
「それは聞き捨てならへんで、お嬢。お嬢さえ搭乗してくれれば、炊事に洗濯、掃除もこなせて刺繍も得意、さらにオプションプログラムをダウンロードすれば、歌って踊れて戦える究極の生体兵器。今なら布団圧縮袋も三枚ついてお得でっせ!」
頭がクラクラしました。なにを言っているのかさっぱりわかりません。っていうか、フトン・アッシュ・ブローってなんでしょう? 必殺技かなにかの名前でしょうか?
「頭痛がしてきましたわ。言っておきますけれど……ワタクシは操縦なんて出来ませんわよ!」
≪あー大丈夫、大丈夫。ワイ、オートマやさかい。搭乗さえしてくれれば、手足の動きに同調して、ええ感じに動くよってに≫
「雑!? なんだか雑ですわ!」
大丈夫でしょうか? お義兄さまを疑うわけではありませんが、ここまでの状況を考えれば、どうみてもポンコツとしか思えません。
「わかりました、わかりましたわよ! とにかく乗れば宜しいんですのね!」
やけくそ気味にそう言って、ワタクシが甲冑の身体に架かった脚立に手をかけると、甲冑がさらっと聞き捨てならない一言を発しました。
≪あ、待ち、待ち。とりあえず着てるもん全部脱いでんか≫
「わかりま……って、はぁああああああああああっ!?」
これには、ワタクシもさすがに声を上げました。
うら若き乙女に向かってなんということを言うのでしょう。ですが、このポンコツは呆れたとでも言わんばかりに言葉を繋ぎます。
≪そらそうやろ、生体甲冑やで? お嬢の生体反応に同調して動くねんから、布地なんかで遮られたら、ちゃんと動かへんって≫
「そんな破廉恥な!」
≪破廉恥いわれてもなぁ……ええか、お嬢、ここには誰もおらへんねん。椅子や机相手にはじらったりせぇへんやろ?≫
「椅子や机は喋りませんわよ!」
≪いや、お嬢が気づいてないだけで、あいつら結構おしゃべりやで?≫
「うそ!?」
≪しらんけど≫
ワタクシはどうしようもなくイラっとしました。鉄でできていなかったらぶん殴っているところです。
「うぅ……背に腹はかえられませんわ。こちらを見ないでくださいまし」
ワタクシは今日何度目かの『意を決して』、服を脱ぎ始めます。六番倉庫の薄闇の中に衣擦れの音がかすかに響きました。
「脱ぎましたわよ」
≪お嬢……なんか胸部だけ重装甲でんな≫
「やかましいですわ! 見るなっていいましたわよ!」
≪へえ、へぇ、ほな、その脚立でワイの上に登ってんか。今、ハッチ開けるよってに≫
プシューという空気が噴き出すような音とともに首が九十度後ろに倒れて、機動甲冑の上部が開きました。おそらく、あそこから乗り込めということなのでしょう。
それにしても……。
冷静に考えれば泣きたくなります。なにが悲しくて、倉庫で全裸になっているのでしょう。これではまるで痴女ではありませんか。
ワタクシは泣きそうになりながら、脚立に手をかけて機動甲冑の上へと昇りはじめました。そしてその肩の上にたどり着き、首が後ろに倒れて空いた空隙を見下ろして――
――絶句しました。
「な、な、な、なんですの!? これ!」
≪なんども言うようやけど、ワイ、生体甲冑やし、生きもんやから≫
ハッチの内側はまるで生物の体内。ピンクの肉に毛細血管がうっすらと走っていて、ビクン、ビクンと脈打っています。 見るからにヌメっとした質感。話に聞いたことしかありませんが、内臓を抜き取った後の家畜の体内がきっとこんな感じでしょう。
≪さあ、乗った、乗った!≫
「えぇぇ…………」
ですが、もはや後戻りができる状況ではありません。ワタクシは意を決して穴の中へと降りました。
「生臭っ!? 生暖かっ! ヌメヌメしてるぅ!」
触れる指先、足の先が、粘液のようなもので滑ります。最悪です。大きな生き物に丸呑みにされてしまったかのような錯覚を覚えます。
「む、むり!」
思わず逃げ出そうと上を見上げた途端、唐突にハッチがしまりました。
「いやぁあああああ! 出して! 気持ち悪いいいい!」
視界が真っ暗に閉ざされて、思わず半狂乱の声を上げてしまったその瞬間、周囲の壁からウネウネと気持ちの悪い触手のようなものが、ワタクシの身体にまとわりついてきました。
「あ、ぁん。へ、へんなところを触らないでくださいまし! お、おや、おやめなさい!」
ですが、触手は瞬く間にワタクシの身体を隅から隅まで弄り、そして覆いつくしていきます。
「あぁぁっ、くっ……あん、あぁぁあああん」
思わず声が漏れてしまいます。やがて、意識がぼうっとし始めた頃になって、脳内にやけに事務的な口調の、ポンコツの声が響きました。
≪接続完了――感覚器同調、神経接合――全正常≫