第八十四話 メタルフリーデ
「……ッ!」
頭上でロジーの息を呑む音が聞こえたその瞬間、私たちは宙空へと投げ出されました。
背筋の凍り付く感触。視界には満天の星と、私の上へと落ちてくるロジーの姿。彼女は目を見開いて私の方を見ています。この鉄面皮のこんな顔を私は、初めて見ました。
彼女はつながっていない方の手を必死に伸ばして、宙空で私の身体を強引に手繰り寄せると、その頭を胸元に抱きかかえました。
「坊ちゃまを! 坊ちゃまをお願いします!」
閉ざされる視界。轟轟と響く風音の中に、彼女の必死の叫びが響きました。無論、時間にすれば、それは一瞬のこと。
彼女は自分が下敷きになってでも、私を生き延びさせようとしているのです。私は身を捩って、必死に振りほどこうとしました。
もちろん、いくら彼女が身を犠牲にしようと、私が生き延びられる可能性など、とても低いのです。でも、ダメです。そんなことをされてしまったら、生き延びたって私はもうこのメイドに勝つことなどできなくなります。
必死に振りほどこうとする私の頭をぎゅっと抱え込んで、このメイドは私にささやきかけました。
「姫さま……私は、私は……あなたのことが嫌いではありませんでしたよ」
私は思わず息を呑みます。やめなさい。終わってしまったことのように、そんなことを言わないで。
思わず胸の奥から言いようのない感情がこみあげてきたその瞬間、どこか遠くで、何かがはじけ飛ぶような轟音が響き渡りました。驚きのあまり、ロジーの力が緩んだその一瞬、私は身を捩って顔を上げました。
天地さかさまになった視界の中に濛々と立ち上る土煙。西棟の壁面が砕け散り、飛び散った瓦礫。粉塵の中に赤い二つの光が瞬きます。次の瞬間、金属の擦れる音が響き渡りました。車輪が回転するような甲高い音を立てて土煙の中から、何か巨大なものが飛び出してきたのです。
「なっ……!?」
それ以上の言葉が出てきません。
それは、あの巨大な甲冑。
城砦に襲い掛かってきたあの機動甲冑です。カラーリングこそ黒ではなく白、そこに菫色のラインが入ったものに変わっていますが、間違いありません。私にとって、あの姿は恐ろしい記憶として脳裏に刻み込まれているのです。
すさまじい速さで飛び出した機動甲冑が足もとの車輪から火花を散らしながら、私たちの落ち行く先へと突っ込んできます。そして更なる加速。機動甲冑の巨体が宙へと舞いました。迫りくる巨大な腕。
「ひっ!?」
思わず身を固くする私たちの身体を宙空で受け止めると、機動甲冑はそのまま着地。ギュルギュルと音を立てながら石畳の床を滑り、足もとで火花を散らして、やがて……停止しました。
「助かった……みたいですね」
言葉を失い呆然としていた私に、ロジーがそう語りかけました。
いえ、私に言った訳ではないのかもしれません。私を胸元に抱きしめたままの彼女の表情もまた、どこか呆然としているように見えました。
「そうみたいですけれど……これは一体……」
私は、その巨大な甲冑を見上げます。その瞬間どこからか、少年のような、少女のような、何とも形容しがたい甲高い声が響きました。
≪間におうてよかったで、ホンマ。別嬪はん、どうや、怪我あらへんか?≫
私とロジーは思わず顔を見合わせます。
ベッピンハン? ベッピンハンというのは何でしょう?
それは、どこか作り物のような声なのに、その抑揚は、なぜか脂ぎった中年男性を想像させました。
「こらっ! 気軽に喋らないでって言ったでしょう! 姫さまたちビックリしてるじゃないのよ!」
機動甲冑の中から響いた、女の子のくぐもった声。その声には聞き覚えがあります。
≪お嬢、そんなん殺生でっせ。ワイに喋んないうのは、息すんな言うてんのとおんなじですがな≫
「あんた、最初から息なんてしてないでしょうが!! せっかく恰好良く登場したのに台無しじゃありませんの!」
なんとも気の抜けるような言い争いに私とロジーは、顔を見合わせたまま思わず首を傾げます。
「エルフリーデ! どういうことです、説明なさい!」
ロジーが白い機動甲冑を見上げて、そう声を上げます。
そうです。一方の珍妙な声が誰かはわかりませんけれど、片方はエルフリーデ・ラッツエルの声です。
「メイド長さま、あとでちゃんと説明します!」
エルフリーデがそう言い放つと、白い機動甲冑は首を上げて、私たちが落ちてきた中央棟の三階を見上げます。
「行きますわよ! メタルフリーデ!」
≪ええっ……やっぱりその名前でいくんでっか? ワイには生体甲冑L1っていう、れっきとした識別コードが……≫
「うるさいですわよ! とっとと働きなさい! このポンコツ!」
≪ポ、ポ、ポ、ポンコツ!? いくらなんでも、そりゃー酷いでっしゃろ。うわーおちこむわー、へこむわー、急にやる気なくなってもうたわー≫
しゅんと肩を落として項垂れる機動甲冑。
「ねぇ……ロジー」
「はい、姫さま」
「私たちは、一体なにを見せられているのでしょう」
「さあ……」
私の呆然とした問いかけに、ロジーは力ない微笑みを返しました。
「わかった、わかりましたわよ! アンタはお義兄さまの最高傑作よ! 力を貸しなさい! メタルフリーデ!」
≪だから、ワイには生体甲冑L1っていう識別コードが……ってお嬢、強引! 強引やって! そんな無理やり動かしたら足折れる! 折れてまうって! もーしゃーないなぁ≫
そんな声が響いて、機動甲冑は私たちを抱えたまま、足もとの車輪を回転させて走り始めました。
そして、
≪お嬢ちゃんら、後で飴ちゃんあげるさかい、ちょっと我慢してや!≫
その一言と同時に、身をかがめて腰だめの体勢になりました。
……なにを言っているのか、さっぱりわかりません。
「ロジー、飴ちゃんって何?」
「……さあ」
彼女は眉間にしわを寄せたまま、ゆっくりと首を傾げました。
「行きますわよ! メタルフリーデ!」
≪だから、ワイには生体甲冑L1っていう、恰好のよろしい識別コードがあるいうてますやんかぁあああ!≫
そんなやけくそ気味の声が響いた途端、いきなり機動甲冑が走り始めました。前触れもない急発進。中央棟の壁面がものすごい勢いで迫ってきます。
「きゃぁあ――――――!」
思わず喉から声があふれ出ます。このままではぶつかってしまう。そう思った瞬間、機動甲冑が高く跳躍しました。
≪ブースター全開でおま!≫
建物の高さを超えるほどの大跳躍。視界の隅、機動甲冑の背中の方で青白い炎が噴き出しているのが見えます。
宙空に弧を描きながら、中央棟へと突っ込んでいく機動甲冑。
頬が引き攣るのを感じながら私が目にしたのは、私たちが落下した中央棟の三階の窓、そこに、あの小男と大男が二人して慌てふためく姿。その二人のところへ壁面を突き破って、私たちを抱きかかえたまま機動甲冑が突っ込んでいきます。
「「きゃぁあ――――――!」」
すさまじい轟音が耳朶に突き刺さりました。衝撃に激しく身体を揺さぶられます。
やがて、衝撃と振動が収まって、パラパラと砂礫が頬へと落ちてくる感触がありました。
あまりのことに今、何がどんな状況なのかすぐにはわかりません。
「いたたた……ロジー、大丈夫?」
「はい」
見回してみれば、そこは建物の中、機動甲冑は、壁面に大穴を開けて三階の廊下へと飛び込んでいました。機動甲冑は膝をついた態勢ですが、それでも天井に頭がつかえています。もちろん、廊下の高さはこの巨体が立ち上がれるほどもありません。
「彼らは?」
私のその問いかけに、ロジーはちらりと下の方へと視線を向けました。
「ひっ…………!?」
私がそんな声を漏らしたのも仕方のないことだと思います。
機動甲冑の足の下から、下敷きになった小男のものらしき手がのぞいていて、真っ赤な血が流れ出していました。
これはもう、どう見ても助かりそうにありません。
ほんとにもう……なんなのでしょう。この状況は。私が思わずため息を吐いたのとほぼ同時に、エルフリーデの声が響きました。
「ちぃっ! 逃げましたわ! メタルフリーデ、追いますわよ!」
見れば、廊下の向こう側をあの大男が、その巨体に似つかわしくないほどの速さで逃げていくのが見えました。
「ちょ! ちょっと、お待ちなさい、エルフリーデ! それより説明して! 一体なんですの、この機動甲冑は!」
「端的に言えば……お義兄さまとワタクシの愛の結晶ですわ!」
「さっぱりわかりません!」
そんな物騒な愛の結晶はイヤすぎます。っていうか、どの口で愛の結晶などとトチ狂ったことを言っているのでしょう。
「はぁ……やれやれ」
エルフリーデのため息が大きく響きます。途端に、ロジーのこめかみにピキッと青筋が走るのが見えました。
「実は、姫さまたちと別れた後、私は――」
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