第八十三話 知り合いの話という前置きはだいたい自分の話
「ムトゥ……お前がこんなに役立たずだとは思わなかったぞ」
巨漢の猫耳族の男が呆れたような声を漏らすと、股間を押さえて蹲っていた小男が、顔をしかめながらもあわただしく飛び起きました。
「ジャ、ジャミロさま! 違うんです。今のはちょいと油断しただけでさぁ!」
「なら、とっとと済ませろ、オレの手を煩わせるんじゃねぇ!」
「へ、へい!」
小男はわずかに怯えるような顔になった後、あらためてこちらへと向き直り、私を睨みつけました。
「ただじゃ済まさねぇ、思いっきり惨めに殺してやるっ!」
そう言って、小男が突然頬を膨らませます。
嫌な予感しかしません。
何かを吹き付けられそうな、そんな気配を感じて、私は思わず手で顔を隠そうとしました。
ですが……忘れていました。今、私の手はロジーとつながっているのです。
ぐっと引っ張った勢いでよろめいたロジーが、私と向い合せの体勢になりました。
「え?」
「あ……」
小男が口から赤い液体を霧状に噴き出したのは、まさにその瞬間。
真っ赤な液体がロジーの背に吹きかかって飛び散ったのです。
ぴちゃ、ぴちゃとスカートの裾を伝って、彼女の背中から滴り落ちる赤い雫。
何とも言えない沈黙が、私たちの間に舞い降りました。
目の前でロジーの眉がピクピクと痙攣しています。
「……………………今、私を盾にしましたね?」
「ふ、不可抗力です」
ワタクシがそう言って明後日の方向へと目を泳がせたその瞬間――
「きゃぁあああああああっ!!」
突然、激しい衝撃が襲い掛かってきて、目の前で星が飛び散りました。
なにが起こったのか分かりませんでした。
宙に浮く身体。視界に映るすべてが速度を失ってゆっくりに見えました。ロジーは大きく目を見開いて、驚いています。小男すら同じような表情をしていました。
視界の端で、大男の腕が弧を描いているのが見えます。
いつの間にそんなところにまで近寄っていたのか、小男の背後にいたはずのあの大男が、私のすぐそばで腕を振るっていました。
それに気づいた時点で、私は自分に何が起こったのかを理解しました。私は侮ってしまっていたのです。あの大男がこれだけ機敏に動けるとは思ってもみませんでした
私を薙ぎ払ったのは、あの丸太のように太い腕。
二の腕の辺りに灼熱感、痛みがじわりと這い上がってきます。私はあの大男に殴りつけられたのです。
吹っ飛ばされた私は窓の外へと投げ出され、手でつながったままのロジーもそのまま引きずられるように窓枠へと叩きつけられました。
「きゃぁあああああああああ!」
「ううっ!」
私自身の悲鳴と、ロジーの痛々しい呻き声が響き渡りました。
私自身の身体の重みが肩へと襲い掛かってきます。
「ぐっ! うっうううう!」
「うっ! うぁああああああああ!」
私とロジーが同時に苦悶の声を上げました。
当然です。私の全体重が、ロジーの片腕にかかったのですから。
窓の外に彼女の細腕一本を支えに宙づりになる私。
肩に襲い掛かってくる痛みに顔を歪めながら下を見れば、目もくらむ高さ。三階とはいえ、ここから石畳に叩きつけられれば、恐らく命はないでしょう。
「うぅぅぅっ……」
ロジーは目を閉じて痛みに顔を歪めています。肩が外れていてもおかしくはありません。
「ロジー! 私のことは良いから! 手をお放しなさい!」
「そ、そ……そういうボケはもっと別のタイミングでお願い……します」
ボケたつもりはなかったのですが……。
そうです、忘れていました。
今、私たちは手を離せないのです。
「じゃあな」
ロジーの背後から、大男の低い声が聞こえました。
そして次の瞬間――
突き落とされたのでしょう。ロジーの身体が窓枠の外へと滑り落ちました。
◇ ◇ ◇
バンッ!
乱暴に叩きつけられた扉が、大きな音を立てて閉じる。
「あーあ、怒らせちまいましたね」
「やれやれ……」
サッキが他人事のように声を漏らすと、マグダレナさんが小さく肩をすくめた。
どうやら『女らしさが足りない』は禁句だったようで、レナさんはふてくされて、当てつけのように大きな足音を立てながら、隣の部屋へと戻っていった。
「しかたありません……後はわが王、どうぞよろしくお願いします」
「はぁあああ!? ちょ、ちょっと待ってくださいよ」
さすがにそれは無茶ぶりが過ぎる。
怒らせたのはどう考えてもアンタでしょうが。
表情で不満を表明したつもりなのだけれど、マグダレナさんは、そんな僕の様子を気に掛けることもなく、ニコリと微笑んでこう言った。
「まあ、結婚生活を先取りするつもりで」
「は? どういう意味ですか?」
「男性にとって結婚生活の大半は、奥さんの機嫌をとることに費やされます」
「夢も希望もない!?」
「結婚に夢や希望を抱いておられたのですか? まあまあ、それはお可愛いこと。女というのはかまってもらえばつけあがるし、かまってもらえなければ拗ねる。そういう生き物なのですよ」
「あなたも女の人でしょうに」
「ええ、ですから、私は女に生まれてよかったと思っていますよ。女と結婚しなくて済むのですから」
この人、本当に無茶苦茶だ。
――マグダレナさんもそのうち結婚できればいいですね。
胸の内でそうやり返しながら、(※もちろん口には出せない)僕はあきらめて扉をノックする。
だが、返事はない。
そっと扉を開けると、その向こうは薄暗かった。
開けっ放しの窓からもれいずる月明りに浮かび上がるのは、わずかな荷物と、敷きっぱなしの寝具だけ。
レナさんの姿はどこにも見当たらない。
「レナさん?」
部屋の中に足を踏み入れて見回すも、そこには誰の姿もない。
誰もいない部屋……開きっぱなしの窓。
「まさか!?」
慌てて窓に飛びつくと、僕は外へと身を乗り出して周囲を見回す。
月明り、星明りの他には、なにもない夜の荒野。暗闇の向こう側へと目を凝らしてみても人影は見当たらない。
確かにお家蟲の速度はそれほど速いわけではないから、飛び降りることも出来るだろう。
けれど、さすがにこの短い間に、見えなくなるほど遠くへ行ってしまうことは出来ないはずだ。
すると、真上からレナさんの声が降ってきた。
「なーに、慌ててやがんだ、バーカ」
慌てて見上げると、お家蟲の平らな屋根の上に腰かけて、彼女がこちらを見下ろしていた。
「何やってんです! 危ないですってば!」
「ばーか、何があぶねぇもんか、結構気持ちいいぞ、ここ」
たぶん窓から身を乗り出して、這い上がったんだろうけど、女らしくないと言われて怒った割には、やってることが全く女の子らしくない。
「お前も来いよ。って……ははは、わりぃ、わりぃ、お前の背丈じゃ届かねぇな」
そう言ってニヤニヤするレナさんに、僕もちょっとカチンときた。
「……生命の樹」
僕は外壁に手を当てて、『恩寵』を発動させる。
すると、窓の横の壁面が膨らみ、そこから武骨な石の腕が伸びてきて、僕を屋根の上まで運び上げた。
「……ズルいだろ、それ」
「これはこれで僕の力ですし、文句を言われる筋合いはありません」
「かわいくねぇやつだな、おまえは」
「大丈夫です。レナさんよりはかわいいですから」
「ぶっ殺すぞ」
僕はレナさんの隣に腰を下ろすと、彼女は平たい屋根の上にごろんと横になって空を見上げた。
僕も彼女の視線を追って空を見上げる。煌々と明るい満月。空気は澄んで星は明るい。夜だというのに風は生温かった。
気が付けば、僕らが王都を出たときには冬だった季節が、夏になろうとしていた。
「わりぃな……つまんねぇことに巻き込んじまった」
「どうしたんです急に。らしくありませんよ?」
「うっせ」
そう言って彼女はわずかに口を尖らせる。
「俺だって、自分が女らしくねぇことぐらいわかってるんだよ。ずっと、そこから遠ざかろうとしてたんだから、当然なんだけどな」
「遠ざかる……ですか?」
「ああ、アホな話だけどな。誰よりも強くなれば、いろんなことから逃げ出せる気がしてたんだ。っていうか、それしか思いつかなかったんだよ」
「思ったより後ろ向きの理由なんですね」
「うっせ」
そう言って、レナさんは自嘲ぎみに口元を歪める。
「だが、今度は逃げ出すために、女らしくしろとは……ね。一体、オレは何をやってきたんだろうな」
「えーと……レナさんは何から逃げ出したかったんですか?」
「聞くか、普通? デリカシーって言葉知ってるか?」
「……すみません」
僕が素直に謝ると、レナさんは苦笑する。
「これは、あくまでオレの知り合いの話なんだが……」
その前置きは、どう考えても彼女自身のことに違いないと思わざるを得なかった。
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