第八十一話 それは目覚めちゃダメなヤツ。
遅くなってすみません!
すさまじい剛剣。横なぎに払われた一撃がボクの胸元を切り裂きました。
間一髪で逃れたとはいえ、途端に、激しい痛みが神経を駆け上ってきます。
「くぅっ……!」
ボクは喉からせりあがってくる悲鳴をかみ殺しながら必死に飛びのいて、なんとか距離をとり、剣を構えなおしました。
やはり……強い。
流石は、砂猫族最強の剣士と謳われるだけのことはあります。
しかも、キャバレロの呪言は、相手に傷をつけた瞬間に、致死性の猛毒を発生させる『刀瘡致死』だったはず。
つまり、本来ならこの時点でボクの負けなのです。
ですが、傷口からは派手に血が滴り落ちてはいるものの、腐り落ちるような気配はありません。
キャバレロは『刀瘡致死』を使わなかったのです。
屈辱です。
ボクには呪言を使うほどの価値はないとでも、いうつもりなのでしょうか。
「殺せ! キャバレロ! 情けをかけるつもりか!」
「……そんなつもりはない」
「じゃあ、なんで……」
「見直したのだ。以前のお前なら呪言を使う、使わない以前の問題だった。一刀の下に真っ二つに出来たことだろう。だが、お前は強くなった。無論、俺に届くほどではないが、この俺の子を産ませてやっても良いと思うほどにはな。さあ剣を捨てて跪け。服従を誓え! そうすれば、嘗ての定めの通り、俺の番いとして迎え入れてやる」
あきれるほどの傲慢。
ですが砂猫族においては、弱いものが強いものに従うのは当たり前のこと。
もし、神さまに出会っていなかったら、ボクも膝を折っていたかもしれません。
「誰がオマエなんかのモノになるもんか! ボクはもう神さまのモノなんだ! 神さまは、オマエなんかとは比べ物にならないぐらいスゴいんだぞ!」
ボクがそう言い返すと、キャバレロはピタリと動きを止めました。
「なん……だと……」
「なんどでも言ってやる! 神さまはおまえのえーと……百億倍ぐらいすごいんだぞ!」
「な、なにが、どうすごいのだ!」
「え!? 強くて、優しくて……え、えーと、あとは内緒だ!」
「い、言えないようなことなのか!」
単純にどこがスゴいと言われても、急には思いつかなかっただけなのですが、このあたりから、どうもキャバレロの様子がおかしいことに気付き始めました。
それまで毛ほども息を乱す様子もなかったはずなのに、なぜか、ハァハァと息を荒げています。心なしか頬も上気しているように見えました。
怒ったのでしょうか?
それならば好都合です。我を忘れて隙を見せるかもしれません。
だから、ボクはもっと、挑発してやることにしました。
「おまえなんか、神さまの足もとにも及ばない! 神さまが戻ってこられる前に尻尾を巻いて逃げればいい!」
「そいつがどんな奴かなどどうでもいい! おまえはそいつのモノなのか! 内緒にせねばならぬようなことをしているのか!」
なにを興奮しているのかはわかりませんが、キャバレロは息を荒げて声を上げます。
内緒にせねばならないような事というのはよくわかりませんが、こいつが嫌がってくれるならと、望み通りに答えてやることにしました。
「ああ、そうだ! ヤリまくりだよっ!」
「ぐはっ!?」
その瞬間、キャバレロが呻きながら片膝をつきました。
効いてます! 理由はよくわかりませんが、確実に効いています。
これはさらに追い打ちをかけるしかありません。
「神さまは優しいし、かっこいいし、おまえなんかよりずっと強いし、(ロジーさまが)ボクを第四婦人として迎え入れてくれるっていってたんだぞ!」
「ぐっ……なんだこれは……?」
戸惑うような様子を見せながら、キャバレロは相変わらず、ハァハァと息を荒げています。
「くやしい……くやしいと思えば思うほどに気持ちいい。なんだこれは!」
そんなこと、ボクが知るはずがありません。
ですが、キャバレロがそんな叫び声をあげた途端、周囲で剣を打ち交わしていた兵士たちが、一斉にざわつきました。
「寝取られ趣味だ……」
「変態だ」
「わかる」
「目をあわせるな」
どうやら、キャバレロはなにかおかしな方向に目覚めようとしているようです。
流石にこれにはドン引きです。
砂猫族最強の剣士として、敵とはいえ、それなりに尊敬の念もあったのですが、そんなものは一瞬にして吹き飛んでしまいました。
「……気持ち悪い」
おもわずそう声を漏らすと、途端に、
「はぁぁああぁん」
キャバレロは甲高い声を上げて、ビクンと身体を跳ねさせました。
えーと……。ボクは一体、何を見せられているのでしょう。
キャバレロの興奮と反比例するように、ボクの胸の内はどんどん冷めていきます。
思わずジトリとした目を向けた途端、
「そ、そんな目でみるなぁあああああ!」
キャバレロは泣きわめく子供のような声を上げて、こちらへと突っ込んできました。
「お前が! お前が悪いんだ! お前さえいなくなればこんな感情は!」
あまりにも大振りの斬撃。鋭さは流石ですが、剣筋は見る影もなく雑。
これを躱すのは、それほど難しいことではありません。
「うぁあああああ!」
ボクは、声を上げながらムキになって剣を振り回すキャバレロから飛びのいて距離をとり、再び剣を構えなおします。
今のボクは冷静そのもの。もはや、この男に恐れるような価値はありません。
細く長く息を吸って、それを静かに吐き出します。
――居ついちまってる。
剣聖の弟子さまにそう言われてから、ボクはずっと考えてきました。
それがどういうことなのか。
頭の芯まで冷め切った今なら、分かるような気がします。
「他の雄にとられるぐらいなら、望み通りここで殺してやる!」
目を血走らせたキャバレロが、大上段に剣を振り上げて、こちらへと突っ込んできました。ボクはそれをじっと見据えて、剣を正眼に構えます。
――剣でバーンってするとき、ギュッとしちまうだろう。それをやめんだよ、スッってやるんだ。
剣聖の弟子さまの声が、耳の奥で響きました。
そうです。今までボクは、剣を振るおうという時に、『ギュッ』としてしまっていたのです。
ボクは自分の意志で身体を動かそうとしていました。
強く大地を蹴れば、その分速く踏み込める。そう錯覚していたのです。
ですが、その『蹴る』という余計な動作のために、二呼吸半もの遅れが出来ていたのです。
そうです。『スッ』ってやるのです。
重力に逆らわず倒れこむ。倒れる前に足を出す。それでよいのです。
「死ねぇええええ!」
絶叫とともに、重厚な鉄の剣が唸りを上げて、ボクの頭上へと落ちてきます。
ですが、もはやその剣の落ちるところに、ボクは居ません。
石畳の地面を剣が砕き、砂礫が飛び散って、砂煙が濛々と立ち上ります。
――一瞬の静寂。
「馬鹿……な」
キャバレロがそう呻くのと前後して、ヤツの首に赤い筋が浮かび上がり、まるで噴水のように血が噴き出しました。
その時、ボクはすでにキャバレロの背後。
すれ違いざまに、ヤツの首筋に曲刀の一撃を叩きこんでやったのです。
ボクは、キャバレロの身体が大地を叩く音を背中で聞きました。
「砂猫族最強の名はボクがもらう」
恐ろしい男でした。意味不明な性癖に目覚めさえしなければ、ボクが勝てる見込みはなかったでしょう。
ですが、いつまでも感慨に浸って入る訳にはいきません。
ジャミロかムトゥ、もしくはその両方が、城砦内に侵入してしまっているのです。
それに……何かはわかりませんが、先ほどから不穏な地鳴りのような音が、ゴゴゴと、ずっと響いています。
悪い予感がします。
「お嬢! 今、行きます!」
ボクがそう声を上げた途端――
「きゃぁあ――――――――!」
と、どこかから女の人の悲鳴が聞こえてきました。
慌てて声のした方へと目を向ければ、中央棟の三階。その窓から誰かが宙づりになっているのが見えました。
暗くてはっきりとは分かりませんでしたが、窓の外で宙吊りになったその人影の腕を、誰かが掴んでいるのが見えます。
掴んでいる方、掴まれている方、どちらも女性のようです。
ですが、女性の細腕で、ひと一人の重さを支え切れるはずがありません。
――ダメだ! 落ちる!
ボクがそう思ったのとほぼ同時に、西棟の方から耳を劈くような轟音が響き渡り、激しい土煙が立ち上りました。
お読みいただいてありがとうございます。
応援してやんよ! という方は是非、ブックマークしていただけるとうれしいです。励みになります! どうぞ、よろしくお願いします!