第八十 話 逆境、極まる。
「にゃぁぁん! 怖かったにゃ!」
ムトゥと呼ばれていたでしょうか……頭陀袋をかぶった小男が吹っ飛ばされたおかげで、その手から逃れたコフィさんが、パタパタと駆け出して、メイド長さまの背後に隠れました。
「大丈夫、コフィちゃん? ひどいことされなかった?」
「や!」
姫さまの問いかけに、コフィさんは、メイド長さまのスカートをつかんだまま、プイと顔を背けます。
まったく……何をどうやったら、この人懐こいコフィさんに、ここまで嫌がられるのでしょうか。
そんなワタクシの胸の内をよそに、
「うぅっ……なんだぁ! てめぇらは!」
ムトゥは呻きながら身を起こすと、姫様とメイド長さまは顔を見合わせて頷きました。
そして、
「あなたたちに名乗る名はありま「この方はディートリンデ姫です」」
「…………」
途端になんとも言えない沈黙が舞い降りて、二人は額を突きつけ、こそこそと言い合いをはじめました。
「ちょ、ちょっとロジー! なんで名乗っちゃうんですの! しかも私の名前だけ!」
「聞かれましたので。それに私はメイドです。あまり前に出るのは望ましくありませんし、代表して姫さまのご紹介を」
「あなたはまた、そうやって逃げるんですのね」
「立場をわきまえておりますので」
あー……やはり、そう簡単に仲良くなれるものではなかったようです。
ぐだぐだです。
全く意思の疎通ができていません。
「とにかくっ!」
姫さまは、ムトゥの方へと指をつきつけて仰いました。
「これ以上、エルフリーデをかばいだてするのであれば、あなたたちもただではおきません!」
「は?」
「え?」
ワタクシとムトゥは思わず顔を見合わせてしまいました。
ムトゥが吹っ飛ばされたのは、もちろんワタクシを庇ったからではありません。
姫さまたちが問答無用で突っ込んできたからです。
「ムトゥ! てめぇ、女子供相手になにを手間取ってやがる!」
「す、すいやせん!」
背後で、ジャミロが苛立った怒鳴り声をあげると、ムトゥは飛び上がるようにはね起きました。
どうやら、姫さまたちの一撃も大したダメージにはなっていないようです。
考えてみれば、姫さまとメイド長さまも荒事に長けた方ではありません。
ワタクシ、ミュリエさん、コフィさん、姫さま、メイド長さま。
五人がかりでも状況はほとんど変わりません。
決して状況が好転した訳ではないのです。
「まあ、よろしいですわ。三人まとめてかかってきなさい!」
しかも姫さまの中では、ワタクシはあっち側カウントのようです。
これはもう……躊躇している場合ではありません。
ワタクシは姫さまたちの方へ、羽交い絞めにしていたミュリエさまの背をドンと突き飛ばします。
「え?」
姫さまが、あわててミュリエさまを受け止めるのを見届けて――。
「それでは、よろしくお願いいたしますわ!」
ワタクシは、もと来た方へと一目散に駆け出しました。
「エ! エルフリーデ! お待ちなさい!」
待てと言われて待つ馬鹿はおりません。
このままでは全員やられるだけです。
ワタクシ一人なら逃げ出せるのですから、逃げたもの勝ちなのです。
「許しませんわよ―――――! 戻ってきなさい! エルフリーデ!」
喚き散らす姫さまの声を背中で聞きながら、ワタクシは廊下を駆け抜けました。
◇ ◇ ◇
「部長どの! このままでは!」
「あきらめるんじゃない!」
狂乱した兵士たちの剣をかろうじて受け止めながら、キップリング殿が声を上げて兵士たちを叱咤する。
味方のはずの兵士同士が剣を打ち合う、あまりにも非現実的な中庭の風景。
すでに、狂乱した兵士たちの半数ほどは、取り押さえられて後ろ手に地面に転がされているが、手を離せば再び襲い掛かってくるのだから、こちらも同じ数、もしくはそれ以上の兵士たちが戦線を離脱していくのだ。状況が良くなるはずもない。
「くっ……応援はまだか!」
思わず、そんな弱音にも近い言葉が口をついて零れ落ちる。
クワミ殿の方へと目を向けると、相変わらず、ぬぼっとした顔の男と激しく剣を打ち合っている。
状況は変わらない。
いや……悪化しているとみた方が良いだろう。
その場で斬撃をさばく男に対して、激しく動き周りながら、剣をふるい続けているクワミ殿では、どちらが体力の消耗が激しいかは明らかだ。
実際、クワミ殿の剣を受け止め、返す刀で放たれる男の斬撃。彼女はそれを紙一重で躱してはいるが、徐々に躱しきれなくなってきている。
そして、横なぎに払った剣が彼女の胸元を真一文字に切り裂き、血が飛び散るのが見えた。
彼女は、背後に飛びのいて距離をとる。
こちらから見ている限り、深い傷ではなさそうだが、やはり体力の消耗は激しいらしい。
彼女はしきりに肩を上下させながら、額に浮かんだ汗をぬぐった。
◇ ◇ ◇
「おらぁあああっ!」
動く死体を見つけては、問答無用でぶったたく。
私は、石畳の床に転がった動く死体の頭を踏みつぶし、飛び散る血に思わず顔を顰めた。
この動く死体も、元々は同じ釜の飯を食った仲間なのだから、心が痛まないといえばウソになる。
この痛みを拾い集めて、何があっても、この状況を作り出した『悪』に突きつけてやらねばならない。
各所から悲鳴が聞こえてくる。襲い掛かってくる動く死体たちの中に、砂猫族の男女の姿が混じり始めていた。
「頼むから! もう起き上がってくるな!」
迫りくる砂猫族の女の死体。その足をローキックでへし折りながら、私は思わず声を上げる。昨日挨拶を交わした、奥方だ。心が軋んでいる。絶対に、絶対に許さない。
「どこだああああ……ケケモットォォォオオオオ!」
声を上げて駆け出し、建物の角を曲がる。
だが、そこで、男が地面に蹲った女性を蹴りつけているのが見えた。
肩に棍棒を担いだ、耳の黒い小柄な砂猫族の男だ。
「こ、この子だけは! この子は許してっ!」
女性は小さな子供に覆いかぶさって、その身を庇っている。だが、男はそれをあざ笑って棍棒を振り上げた。
「知るか、そんなもん!」
「ママぁーーーー!」
小さな子供の叫び声が耳朶に突き刺さる。
心臓が激しく脈を打った。
気が付いた時には、私は男とその母親の間に我が身を投げ込んでいた。
◇ ◇ ◇
「ですから、何度言ったら分かるんです!」
「言われた通りにやってるだろうが!」
「レナ殿! あなたのは上目遣いじゃありません!」
「じゃあなんだっつうんだよ!」
「それは『ガンを飛ばす』というんです!」
つい今しがたのことだ。
マグダレナさんが、男性への甘え方と称して、「上目遣いに見上げてください。あは~んと色っぽい感じで」と、レナさんにやらせてみたら、「あは~ん」ではなく「あ゛ぁン!」だった。
あまりの怖さに顔を背けると「てめぇ……目ぇ反らすんじゃねぇ、こっち見ろや」と顎をつかんで目を合わせてくるのだ。
そりゃあ、怖いに決まっている。
マグダレナさんの『ラブラブ愛され妻育成計画』は第一歩目であっさりとつまづいた。
「マグダレナさん、今日のところはこのへんで……」
僕が冷や汗をぬぐいながら、そう口にすると、マグダレナさんは「はぁぁ……」と大きな溜息をついた。
「……レナ殿にせめて、モルドバの半分ほども女らしさがあれば良いのですけど」
女らしさの比較対象が、モルドバさんだというのは、とても皮肉が効いている。
だって、モルドバさんは、とても女らしい……男性だからだ。
お読みいただいてありがとうございます。
やっとここまで来ました。逆境ゲージは満タン。
ここからは巻き返しです。
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