第七十六話 正義の味方は面倒くさい
「おらぁあああああああああぁぁぁっ!!」
「な、ななっ、なんである!?」
突然響いた雄叫びに、トトスワミがビクッ!? と、身体を跳ねさせて目を見開きました。
もちろん、驚いたのは彼だけではありません。
ワタシも思わず飛び上がりかけたのですが、折れた腕に痛みが走って、その場に蹲ってしまいました。
痛みに頬がひきつる感覚を味わいながら、わずかに顔を上げるワタシ。その目に映ったのは、ワタシとトトスワミの間、その丁度半ば辺りで、雄たけびとともに、煉瓦敷きの床が跳ね上がる光景でした。
くすんだ金色の癖っ毛、細身の身体。
地面から飛び出してきたのは、見覚えのある背中でした。
「部長さまっ!?」
ワタシはそこでやっと、出来たばかりの食糧倉庫の存在に思い至りました。
なるほど! そこに隠れていたんだ! と、納得するワタシをよそに、部長さまは煉瓦で出来た食糧倉庫の蓋を、まるで盾のように掲げて、トトスワミへと突っ込んでいきます。
慌てると考え無しに行動してしまうのは誰もが同じです。滑稽なことに、トトスワミは鍋に刺さっていた匙を手にして身構えました。もちろん、そんなもので身を守れるわけがありません。
ガツン!! と、硬いもの同士がぶつかり合う大きな音が響いて、遅れて「ぐぼあっ」という野牛のゲップのような、トトスワミの声が響いてきました。
こちらからでは様子があまりよくわかりませんが、おそらくトトスワミが外壁と煉瓦板の間に挟まれて押しつぶされたのでしょう。わずかに、その足元がぴくぴくと震えているのが見えました。
一瞬の間を置いて、床に開いた食料倉庫の穴から、ぴょこんと見慣れた猫耳が飛び出しました。
そして、
「ムィ!」
「あらぁ……たいへん。大丈夫ぅ?」
ギュネとルーリが、食糧倉庫から這い出して、こちらへと駆け寄ってきました。
見る限り、二人ともどこにもケガはなさそうです。
「あはは……良かったぁ、みんな無事だったんだ……」
ホッとしたら、なんだか体中から力が抜けていくような気がしました。
ワタシが思わず大きく息を吐き出したのとほぼ同時に、ガタンと硬いものが床を打つ音がして、部長さまが煉瓦板から手を離しました。
そして部長さまは、壁と煉瓦板に挟まれたままのトトスワミ、それに背を向けて、こちらへと歩いてきました。
「ムィくん、無事ですか?」
「は、はい。なんとか……。部長さま……トトスワミは?」
「多分死んではいないと思いますけどね。もう動けないでしょう。そんなことよりムィくん、その手は……もしかして折れているんですか?」
「はい……で、でも大丈夫で……ッ!?」
顔を上げて何とか微笑もうとしたのですが、そこでワタシは思わず息を呑みました。
「……それはいけません。早く医務室に運ばないと。ルーリさん、なにか添え木にできるものと、紐のようなものはありませんか?」
なぜか怒ったような顔でそう口にする部長さま。その肩の向こうでトトスワミが煉瓦板の後ろから這い出して、ゆらりと立ち上がるのが見えたのです。
「ゆ、許さないのであるっ! 耳無しの分際でよくもっ!」
トトスワミの怒声に、ギュネとルーリが「ひっ!?」と声を上げて飛び上がりました。
彼は掲げていた匙が頬に突き刺さって、そこから血を流していましたが、それ以外には大きなケガのようなものは見当たりません。
「これは参りましたね。砂猫族の男性というのは、やはり僕らより随分頑丈なようです。ギュネさん、ルーリさん。ムイ君を頼みます」
どういう訳か部長さまには、全く慌てる様子はありません。
帳簿の数字が合わずに、みっともなく取り乱すいつもの部長さまの姿を目にしている身としては、かなり意外な気がしました。
部長さまはトトスワミの方を向き直ると、拳を握って静かに身構えます。
ですが、不意打ちならともかく、部長さまが格闘できるのは、せいぜい帳簿ぐらいのものです。
どう見ても荒事に向いているようには見えません。
それに、触れるだけで骨を砕くトトスワミを相手に、素手で立ち向かうなんて、分が悪いどころの騒ぎではありません。
「部長さま! ダメっ、逃げて! トトスワミに触られたら骨がくだけちゃいます!」
「それは……むがんぼというヤツですか?」
「そうです! だから早く!」
ですが、その時にはもう遅かったのです。
「逃がさないのである! 粉末になるまで骨を砕いてやるのである!」
と、目に怒りの炎を宿したトトスワミが、コチラに向かってものすごい勢いで駆けてきました。
トトスワミは部長さまの首をめがけて手を伸ばします。
まずは首の骨を折るつもりなのでしょう。触れれば折れるのですから、なにも躊躇することはありません。トトスワミは無造作に手を伸ばしてきます。
ところが――
部長さまの首筋にトトスワミの指先が届く。そう思ったまさにその瞬間、部長さまの口から「シュッ」と空気を噴き出すような音が聞こえたかと思うと、枯れ枝を踏みつけたような乾いた音が響いて、トトスワミの伸ばした右腕が、唐突に上へと跳ね上がりました。
「骨を砕くというのは……こんな風にですか?」
次の瞬間、
「うぎゃぁあああ――――――――!!」
トトスワミの恐ろしいほどの悲鳴が響き渡りました。
正直言って、何が起こったのかさっぱりわかりません。よろめきながら後ずさるトトスワミ。その右腕はあらぬ方向に曲がっていました。
「う、腕が! 腕がぁああああ!」
今、目の前で起こったことを思い返してみると、やはり、一瞬のことなのでよくわかりませんでしたが、ワタシの目には部長さまが、伸ばしたトトスワミの肘を、下から殴り上げたように見えました。
「き、貴様ぁ!!」
血走った目で部長さまを睨みつけるトトスワミ。ですが、部長さまはなぜか微笑みを浮かべて、トトスワミへと向き直ります。
「あなたは……なかなか良い。うん、良い悪党です」
部長さまのその一言に、その場にいる全員が思わず首を傾げました。
「……ど、どういう意味であるか?」
それはトトスワミも同じだったようで、痛みをこらえて顔を引きつらせながらも、彼は困惑するような表情を浮かべました。
「私はね……戦場には出ないことにしてるんですよ。兵士としては失格なんでしょうけど、それでも算術は得意だったので、どうにか財務としてここに置いてもらってる訳ですけれど」
「……貴様は何を言っているのであるか?」
トトスワミのその問いかけを全く無視して、部長さまは話を続けます。
「戦争っていうのはね、それぞれ自分は正義だって主張のぶつかり合いですからね。相手の立場に立ってみれば、どこにも悪なんて存在しない。みんな正義だから、誰の肩も持てない。つまり、正義の味方は戦争なんてできないんですよね。その点、いきなり女の子に襲い掛かって……」
部長様はちらりとワタシの方を見ました。
「その腕をへし折るなんていうのは、誰がどう見ても悪党ですからね。私があなたをぶん殴るのには、なんの遠慮もいらない訳です」
「やっぱり……なにを言ってるのかわからんのである」
トトスワミのその言葉に、不覚にも同意してしまいました。
ワタシに寄り添ってくれているギュネは「パーシュさま、かっこいい」と目にハートを浮かべていますが、なんでしょう……。この時、ワタシの胸をよぎった感情を言葉にすれば、「なんて、めんどくさい人だろう」と、なります。
何をどう拗らせたら、こんな意味不明なことを言い出す人間が出来上がるのでしょうか? それとも人間にとっては、ごく普通の考え方なのでしょうか?
困惑を隠せずにいるワタシをよそに、部長さまは拳を構えて、一歩一歩とトトスワミへと歩み寄ります。
すると、
「く、来るなである!」
たまりかねたように、トトスワミが声を上擦らせて、部長さまに飛びかかりました。彼はまるでむずがる子供みたいに、折れていない方の腕を降りまわして、部長さまへと突っ込んで行きます。
戦い方としては不格好ですが、それでもかまわないのでしょう。なにせ触りさえすれば良いのですから。
ですが、トトスワミの腕は空を切るばかり。傍目には羽毛にじゃれつこうとしている猫を見ているかのようです。
そして、大振りの一撃が空を切ったその次の瞬間、
「オラアッ!」
と、部長さまはトトスワミの顔面に、体重の乗った重い右拳を叩きこみました。
ぐしゃっ! という水気混じりの鈍い音に「ぷぎゅっ!」という空気の抜けるような声が混じって響き渡りました。
そのまま、トトスワミは二三歩後ずさると、後ろ向きに倒れ込み、大の字になって横たわりました。
正直、驚きました。
まるで子供を相手にするかのような一方的な戦いです。
確かにトトスワミは呪言を使わなければ、特別強いということはないとは思いますが、その手に触れずに倒すというのは至難の技です。
数字とにらめっこしては、呻きながらボリボリ頭をかいている部長さまからは、想像もできません。
そして、部長さまはまるで何事もなかったかのように、こちらを振り向くと、有無を言わさずワタシを横抱きに抱き上げました。
「え、ちょっ、部長さま?」
「パ、パーシュさま!?」
ギュネがびっくりしたような顔になった後、すごくうらやましそうな顔をしました。
なんでしょう、この優越感、えへへ……。
「さて、じゃあ、ムィ君、医務室にいきましょうか」
「え、あっ、はい……」
顔が近いです。
えーと……ギュネの想い人ですし、こんな面倒臭い人に、ワタシはまったく興味はありませんけど……。
それでも、なんだか今日の部長さまはとてもかっこいいような気がしました。
ちょっとだけ、ちょっとだけです。
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