第七十五話 西通りの猟犬
「さぁ、来るのである」
「ひぐっ! 痛い、痛いよぉ……」
少しでも身を動かすと、腕の折れたところから電流のように激しい痛みが走ります。ですが、トトスワミはお構いなしです。彼はワタシの髪を乱暴に掴むと有無を言わさず食堂の方へと引きずり始めました。
「なんだよ! トトスワミ! どうなってやがる! 誰も居ねぇじゃねぇか!」
食堂の中に入るやいなや、中にいたケケモットが声を荒げながら、手にしたこん棒で食堂のテーブルを叩き壊しました。
「ひっ!?」
そのあまりの剣幕にワタシが思わず身を縮ませると、トトスワミが掴んだ髪を引っ張って、無理やり顔を上げさせます。
「ふむ、ムィ。ケケモットにぶん殴られたくなかったら、素直に話すのである。壁抜けの呪言を使える者でもおったのであるかな? どうなのである?」
「わ、わ、わ、わからないですぅ……」
実際、ここにいたはずのルーリやギュネは呪言なんて使えません……ですが人間には、呪言に似た『恩寵』という力を持つ方々がいると聞いています。もしかしたら、部長さまがそういうものを使えたのかもしれません。
トトスワミはマジマジとワタシの顔を覗き込んだ後、たぶん嘘をついていないと判断したのでしょう、ケケモットの方へと向き直って、口を開きました。
「……ともかく、ケケモット。死体どもに周囲を探させるのである。逃げたとしてもそれほど遠くへは行っていないはずなのである」
「おう! 行くぞ、野郎ども! 出会うやつは片っ端からぶっ殺せ!」
そう声を上げると、ケケモットは死体たちを引き連れて、食堂の外へと出ていきました。
そもそも騒がしいのはケケモットだけですから、彼らが出て行ってしまうと、食堂はいきなりしんと静まりかえります。
だからと言って心が休まるはずがありません。恐る恐るトトスワミの様子を伺うと、彼はぴくぴくと鼻をひくつかせていました。
「ふむ……なにやら良いにおいがするであるな、何のにおいであるか?」
「……ルーリが料理してたから」
「料理? 料理とはなんである?」
そもそもワタシたち砂猫族には、料理をするという習慣がありません。トトスワミが知らないのも当然です。ですが、それを一から説明する余裕なんてありません。
「た、食べ物」
大雑把ですが、そう答えるとトトスワミが「ほう」と声を漏らして、ワタシを引きずりながら、厨房の方へと歩き出します。
厨房に足を踏み入れると、かまどには火が燃え盛ったままで、その上では鍋がぐつぐつと煮えたぎって、吹きこぼれているのが見えました。
「どこかに隠れているということはないであるか?」
「か、隠れられるところなんて……」
実際、厨房には扉のついた戸棚すらありません。物陰になるようなものもありませんから、誰もいないのは一目瞭然です。
「ふむ……であるな」
トトスワミは厨房の入り口あたりでワタシを放りだすと、注意深く周囲を見回しながら、一歩一歩厨房の奥まで入っていきます。
ワタシは、一瞬、逃げようかとも思いましたが、折れた腕が痛くて、とてもではありませんが走る事なんてできません。まあ、だからこそトトスワミは無防備に放り出したのでしょうが……。
「ふむ、においは、ここから漂っているようであるな」
厨房の一番奥、かまどの前で、トトスワミが鍋の中を覗き込んで、目を輝かせました。きっとお腹がすいていたのでしょう。
彼が鍋から立ち上る湯気を鼻腔一杯に吸い込んで、満足そうな顔をしたその瞬間、
――煉瓦敷きの床、その一部が浮き上がるのが見えました。
◇◇◇
「じゃあ、マグダレナさま、いっそのことここから先、我々はレナ殿を陛下の奥様として扱うというのはどうです?」
「ふむふむ、それは良いですね。その気にさせてしまえばコチラのものですし」
サッキが指を立てながら無責任なことを言い出すと、マグダレナさんは機嫌よさげに頷いた。
「ちょっと、ちょっと待ってくださいよ、二人とも! そんなの、僕やレナさんの気持ちはどうなるんです!」
「ですから、レナ殿が『嫁入りしたい』と思うように仕向けると、そう申しておるのですけれど? あ、我が王のお気持ちは、ご自分でなんとかしてください」
「何とかって……そんな無茶苦茶な」
「いずれにしろ、嫁取りのフリをするのですから……。それとも、中途半端な演技でごまかせるとお思いですか?」
「それは……なんとかなるんじゃないかと……」
「なーりーまーせーーーーん。我が王の素人臭い大根演技でごまかせるのなど、せいぜいディートリンデぐらいのものです」
「言いかた!」
「まあまあ、我が王、落ち着いて考えてみてください。我々も、いつかは西クロイデルと矛を交える日がくるのですから、今から敵の戦力を削いでおくことは重要です。レナ殿を嫁として迎え入れてしまえば、西の戦力を削いだ上に、我が国の戦力は充実します」
「無茶苦茶、打算じゃないですか!」
「ええ、打算ですとも」
どういう訳か、マグダレナさんは誇らしげに胸を張った。
だが、そうやって開き直られてしまうと、どういって良いものか正直困る。
「それに……我が国の兵は他国の兵に比べて強くありませんから、彼女に兵の指導役についてもらえれば、さらに戦力の上積みが期待できます」
えぇぇ……期待できないと思いますよ?
レナさん、正直、指導は得意じゃなさそうですし。
それはともかく、今のマグダレナさんの発言の中に、聞き逃せない言葉があった。
「もしかして、ウチの兵士の皆さんって、弱いんですか?」
「当たり前じゃありませんか。中央クロイデルの戦力は、これまで『恩寵』に依存してきたのですから」
そう言って、マグダレナさんは小さく肩を竦める。
「キップリングたちのような貴族の子弟だったものは言わずもがな。上官とともに左遷されてきた一般の兵士たちも練度は低いのです。城砦の兵士たちの中で西クロイデルの精強な兵士たちと一対一で渡り合えるものは、私の知る限り三名だけでしょうね」
「三名?」
「ええ、ノイシュバイン城砦は厄介者を追放するための左遷地ですから、いわゆる危険人物も流されてくる訳なのですけれど、本当の意味で危険なのは、私を含めた四人です」
「なんで自分含めたの!?」
思わずツッコむ僕に微笑みかけて、マグダレナさんは話を続ける。
「一人はジョルジュですね。たぶん兵士たちの中で一番腕が立つのはあの子でしょう。ただ、あの子は私以外の誰の言うことも聞きませんから……」
「そうなんですか? なんだかレヴォさんの方が強そうに見えますけど?」
「彼はあの体格ですし、それなりに力はありますけど、まあ普通でしょうね」
「じゃあ、あとの二人は?」
「……数年前に、王都で悪徳貴族が闇討ちされるという事件が起こったのはご存知ですか?」
「闇討ち?」
僕が首を傾げると、サッキがパンと手を叩いた。
「ああ、ありましたねそんな事件。たしか犯人は捕まったと聞きましたけれど……西通りの猟犬でしたっけ?」
「ええ、そうです。拳一つで悪徳貴族をボコボコにすると、一時庶民の間でもてはやされた狼藉者ですが、ある時、何を誤解したのか、それが私に襲い掛かってきまして……」
「……悪徳貴族」
うん、たぶん誤解じゃないと思う。
「当時、ディートリンデの家庭教師として、王宮に出入りしていたワタクシの送迎を務めておりましたのは、まだ一介の兵士であったゴドフリートだったのですけれど……」
「ゴドフリートさんですか!?」
「ええ、そうです。その西通りの猟犬はゴドフリートと大立ち回りを演じた末に、相打ちになったのです」
「ええっ!?」
これには流石に驚かされた。
ゴドフリートさんと相打ちになるというのは、どう考えても尋常な強さじゃない。
「も、もしかして、その西通りの猟犬という人が城砦にいるんですか?」
僕がそう尋ねると、マグダレナさんはニコリとほほ笑んだ。
「ええ、惜しい人材だったので、よーく言い聞かせた上に、罪をもみ消して手元に置くことにしたのです」
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