第七十四話 不倶戴天の男
「か、匿ってください!」
「くださいっ!」
ボクとお嬢がくつろいでいると、エルフリーデさんとミュリエさんが部屋へ飛び込んできました。
「にゃにゃ!? どうしたのにゃ?」
「追われているんです。捕まったら大変なことになってしまいます」
「しまいますぅ!」
お二人は息を切らして必死の形相、尋常ならざるご様子です。なにが起こっているのか……ミュリエさんに至っては、半べそをかいています。
正直、このお二方とは、これまでそれほどお話したこともありません。
エルフリーデさんは今、メイドさまがお召になられているのとよく似た服を着ておられますが、どちらかというとお風呂での水着姿の方がなじみがあるくらいです。
それほど親しいわけでもないボクらのところへ逃げ込んでくるぐらいですから、かなり切羽詰まった状況だと思った方が良いのかもしれません。
「クワミ!」
「はい!」
お嬢に言われて、ボクは周囲を探るべく耳を澄ませます。
ボクら砂猫族は何より聴力に優れているのです。意識を集中させれば、蟻の足音すら聴き分けることだって出来ます。
廊下には誰もいないようです。その先……階段を上がってくる足音が二つ。姫さまとメイドさまの足音だと思います。まあ……これは問題ないでしょう。
さらに意識を集中させると、本当に微かですが、外から男の人の悲鳴のような声が聞こえてきました。どうやら城砦の入り口、中央の大通りへと続く中庭の端の辺りです。
悲鳴、相争うような男の人たちの声、混乱しきった声、剣がぶつかり合うような音が聞こえてきます。その中に、
――他愛のない。
ほんの一瞬。ほんの一瞬ですが、聞き覚えのある呟き声が響きました。忘れたくても忘れることの出来ない声、あの時と同じ一言です。その瞬間、体中の毛が逆立つような気がしました。
「お嬢……確かに緊急事態のようです。このままお二人と一緒に隠れていてください。ボクがこの剣でケリをつけてきます」
「「剣で!?」」
エルフリーデさんとミュリエさんが、目を見開いて驚かれます。何を驚かれているのかはわかりませんが、剣以外でボクらの因縁にケリをつける方法なんてありません。
「ええ、今度こそ、アイツの息の根を止めてやります!」
「息の根止めちゃうの!? た、たしかにコフィさんは嫌がってましたけど、流石に息の根を止めちゃまずいんじゃないかなぁ……なんて」
「いいえ! やるなら、徹底的にやらないと! ボクとアイツは共に天を戴く訳にはいかないんです」
「一体、何があったのっ!?」
エルフリーデさんとミュリエさんが二人して仰け反りました。
何があったではありません。寝込みを襲われたとはいえ、以前、ボクはヤツに手も足も出せずに敗北しているのです。あの屈辱は二度と御免です。そして、汚名を雪ぐ機会が向こうからやってきてくれたのですから、それはもう、願ってもないことなのです。
「ではお嬢、行ってまいります!」
「ちょ、ちょっと! 待って! 本当に待って!!」
なぜか大慌てに慌てるエルフリーデさん。それをしり目に、ボクは廊下へと飛び出します。
慌ただしく後ろ手に扉を閉じると、扉の向かいの中庭に面した二階の窓。そこから下を見下ろしました。
外は既に夜の闇、まばらに焚かれたかがり火の向こう側に、剣刃の閃きが見えます。中央大通りに面した城砦の北辺、崩れ落ちた城壁のあたりで、人があらそうようなシルエットが見えました。
「キャバレロッ!」
間違いありません。今まさにアイツの剛剣の鍔鳴りが聞こえました。
ボクが窓枠を乗り越えようと手をかけた途端、
「クワミちゃん! どうしたの?」
廊下の向こうから姫さまの声が聞こえてきました。声のした方へ目を向けると、姫様とメイドさまがお二人で手をつないで歩いてきます。
あれ? このお二人、こんなに仲が良かったでしょうか?
ギュネとパーシュさまのことで話し合いをしていた時も、お二人はかなり険悪な雰囲気だったと思っていたのですが、ボクの勘違いだったのでしょうか?
こちらに向かって歩いてくるお二人の様子をうかがうと、姫さまはお疲れのご様子で、どこかげっそりしたような雰囲気を漂わせておられます。対して、メイドさまはいつも通り、あまり表情はありませんが、それでもはっきりとわかるぐらい、なんだかすっきりしたようなご様子でした。
「キャバレロが……ジャミロたちが侵入してきたみたいなんです」
「ジャミロ?」
お二人は顔を見合わせます。どうにもピンと来ていないご様子です。
「神様が生き埋めにしたはずの、ボクらの部族の……ならず者です」
「ああ……」
そこまで言って、お二人はやっと状況が飲み込めたご様子でした。
「今から迎え撃ちにいきます! お二人もボクらの部屋に隠れていてください。いざとなれば、お嬢の呪言で避難できますから」
「「お二人も」」
そう言ってお二人は、なぜか意味ありげに目を見合わせました。その視線の意味するところはよくわかりませんが、いつまでもこうしているわけには参りません。
「では!」
ボクはお二人に一礼すると、窓枠に手をかけ、そこから中庭に向けて一気に飛び降ります。
「ク、クワミちゃん!」
メイドさまの息を呑むような音と、姫さまの声が背後で聞こえました。
ですが、ご心配の必要はありません。これぐらいは、ボクにとって、それほど大した高さではありません。
短い接地音。ボクは着地と同時に、跳ねるように駆け出します。
城壁の境で群れる一団。篝火に照らし出されているのは兵士たちの相争う姿でした。兵士たちは互いのことを化け物だと罵り合いながら、剣を振り回しています。
どう見ても真面な状況ではありません。お互いのことが化け物に見えている。そうとしか思えませんでした。
「血の幻影か!」
侵入してきたのがジャミロの一味なら、これはおそらくムトゥの呪言に違いありません。ムトゥは自分の血を相手の目に吹きかけることで、自在に幻覚を見せることが出来るのです。
「どこだ……」
耳を澄ますと、今度は東棟の方からも、同じような兵士たちの声が聞こえてきました。どうやらムトゥは、すでに建物の中に侵入してしまったようです。
「くっ!」
慌てて方向転換、東棟へと駆け出そうとするボクの視界の隅に、大きな鉄の塊のような剣を担いだ細身の男の姿が飛び込んできます。
その瞬間、背中をゾワゾワと何かが這いまわるような感触が襲ってきました。血が沸騰するのを感じます。ムトゥのことなど、一瞬にして、頭の中から消え去ってしまいました。
「キャバレロォォォォッ!」
その瞬間、東棟へと向けて歩みを進めていたその男は、こちらを振り向いてニヤッと口元を歪めました。
部族最強の剣士。そして、ボクが番うはずだった男です。
別に恋愛感情はありません。お嬢の父上、先代の長が強い者同士が番うことでより強い子が生まれるだろう。とボクに勧め、ボクがそれを了承したというだけの話です。
ですが、ヤツは先代が亡くなった途端、ジャミロに与して、お嬢を、そしてボクを裏切ったのです。
寝込みを襲われたとはいえ、以前のボクは、ヤツに手も足も出ないままに打ち倒され、お嬢を守ることもできなかったのです。
そんな相手を目にして、冷静でなどいられるわけがありません。
「うわぁああああああああああああああああああっ!」
喉から迸る叫びも、どこか自分のものではないような気がします。気が付けば、ボクは曲刀を引き抜いて駆け出していました。
あの憎い男の姿が近づいてきます。ボクは激情に引きずられるままに跳躍し、身体を大きくのけぞらせて、大上段の一撃、力任せに曲刀を振り下ろしました。
次の瞬間、甲高い金属音が響き、火花が暗闇に奔ります。その力任せの一撃が、ヤツの大剣によってあっさりと弾き飛ばされたのです。
ボクは、空中で蜻蛉を切って態勢を立て直し、着地するやいなや、今度は地面を這うようにヤツの足元へと斬りかかります。
ですが、ヤツは小さく跳躍するとボクの横なぎの一撃を躱し、そのまま頭上から、剣を叩きつけてきました。
慌てて横っ飛びに飛びのくと、剣に穿たれた石畳の床が石礫となって飛び散り、砂煙が立ち上りました。
ゴロゴロと地面を転がって、素早く立ち上がり、剣を構えなおします。そんなボクの姿を目でおって、ヤツはこう吐き捨てたのです。
「雑魚が……まったく面倒臭い」
その瞬間、わずかに残っていた理性が、ブッ飛ぶのを感じました。
お読みいただいてありがとうございます。
次回の更新は、水曜日の予定です。
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