第七十一話 手をとりあって
「ん、良い出来だ」
スープの味見をして、僕は独り頷いた。
朝食の準備はこれで完了。
料理するのなんて、本当に久しぶりだったけれど、いざやり始めると結構楽しいものだ。
西クロイデルから戻ってきたら、僕も自分のお店を出してみようかな……なんて、愚にもつかないことを考えていると、隣室の扉が開いて、レナさんがのそのそと起き出してきた。
「痛ってぇ……」
彼女はこめかみを指で押さえながら、顔をしかめて、荒っぽく椅子の上へと腰を落とす。不機嫌そうで髪はボサボサ。もともと化粧っけの欠片もない女性ではあるけれど、それを差し引いても相当顔色が悪い。
「ちょうどよかった。朝食出来てますよ」
「……食える気がしねぇ」
そう言って、彼女はテーブルに突っ伏してしまった。
誰がどう見ても、立派な二日酔いだ。
ちなみに、それはレナさんに限ったことではない。
部屋の隅に転がっているサッキも、ずっと呻き声を上げているけれど、起きてくる気配は全くなかった。
それはまあ……二日酔にもなるでしょう。
僕は思わず苦笑する。
先方へのお土産にと持ってきたナツメヤシのお酒を、マグダレナさん、サッキ、レナさんの三人で、一樽ほども空けてしまったのだから。
「そういえば、マグダレナさんは?」
僕がそう尋ねると、レナさんはテーブルに突っ伏したまま返事をする。
「気持ちよさげに眠ってらぁ……。歳食うと睡眠時間って短くなるもんだと思ってたんだがなぁ」
「……発言を拒否します」
下手に愛想笑いでもしようものなら巻き込まれかねない。そんな危険な発言に付き合ってたら、命がいくつあっても足りやしない。
僕は思わず隣室へと続く扉をじっと見つめる。
マグダレナさんが起きだしてきやしないかと、ビクビクしていたのだけれど、どうやら、聞こえてはいなかったらしい。
僕はホッと胸をなでおろすと、スープを深皿によそって、テーブルの上、突っ伏したままのレナさんの頭上へと置く。
「レナさん、とりあえず起きてくださいよ」
すると、レナさんがわずかに顔を上げて、気まずそうに僕の方へと目を向けた。
「そ、そのリンツ……あの、昨日はその……なんか……ゴメン」
伏し目がちな表情。どうやら、彼女は昨晩の自分の狼藉を覚えているらしかった。
いつものレナさんと大差のない豪快さではあったけれど、さすがに普段はあんなにベタベタとくっついてくることはない。
しまいには、僕に抱き着いたまま眠ってしまったのだから、それはまあ、恥ずかしくもなるだろう。
だが、この時……
本当に魔が差したとしか言いようがないのだけれど、レナさんの態度があまりにも殊勝だったせいで、僕はつい、いじわるをしたくなった。
いつもからかわれてばかりなので、レナさんに復讐するなら、弱体化している今しかないという気持ちがあったことも否定しない。
「いやーほんと、気持ちよさげに寝てるレナさんを寝床に運ぶのは大変でした」
「それは、ほんと……ゴメン」
なにこれ、楽しい。
しゅんとうなだれるレナさんに、僕はさらに調子に乗った。
「それにしても……随分、『オレの旦那のリンツ』とか、『オレとえっちぃことしたくねぇのか』とか喚いてましたけど、レナさん、ほんとに僕と結婚したいって訳じゃないんですよねぇ?」
ニマニマと笑いながら顔を近づけると、レナさんがボン! っと音を立てて弾け飛びそうなぐらいに、顔を真っ赤にしてはね起きた。
「あ、あた、あた、当たり前だろうが、そんなことあるわけねぇだろ、ちくしょー!、お、お、おまえみたいな、なよっちぃの願いさげなんだよ! バカヤロー! 死ね! 死ね!」
あ、ヤバい。やり過ぎた。
……これはぶん殴られるパターンだ。
だが、レナさんは顔を真っ赤に染めたまま椅子から立ち上がると、思わず身構える僕をキッとにらみつけ、
「も、もう一回寝る!」
そう言って、あわただしく隣室へと駆け込んでいった。
ぽかーんと、その背を見送って、僕は思わず首を傾げる。
……なんだか、よくわかんない反応だったなぁ。
ともかく、これ以上、追い詰めると今度こそ、本当にぶん殴られそうな気がする。
昨日のことは、もう口にしない方がよさそうだ。
◇ ◇ ◇
「このままじゃ、気になって仕方ないじゃありませんか!」
「失礼ですが、姫さまが気づかれずに見守ることなど不可能です」
「わ、私にだって、それぐらいのことは」
「いいえ、無理、絶対に無理です。自分がどれだけ目立つと思っておられるのです。せっかくお二人がいい雰囲気になっても、覗いてるのを見つかって台無しになるのは目に見えております」
昼下がりのこと。
ワタクシ、エルフリーデがミュリエさまとともに、姫さまの下を訪れると、そこでは姫さまとメイド長さまがにらみ合っておられました。
……本当に飽きもせずに、このお二人は。
何を言い争っておられるのかはよくわかりませんでしたが、ともかく、お二人が揃っておられるのは好都合です。
今、ワタクシがここを訪れたのは、まさにこのお二人に仲直りしていただくためなのですから。
もちろん、これは善意ではありません。すがすがしいほどに打算です。
お義兄さまがお戻りになられた時に、お二人を仲直りさせておけば、きっと、お義兄さまも喜んでくださるはず。ワタクシの株も急上昇、『さすが、僕の自慢の義妹だ!』と、なるはずです。
「お二人とも、どうなさったのです?」
ワタクシがそう尋ねると、二人は互いにそっぽを向いて、そのくせ声を揃えて、「別に」と返事をされます。
……実は、結構仲が良いのではないでしょうか。
それはともかく、ワタクシは先日から、このお二人を仲直りさせる方法について熟考に熟考を重ねていたのですが、今朝、やっと一つの結論にたどり着きました。
「じゃあ……ミュリエさま、お願いします」
ワタクシがこっそりそう語りかけると、ミュリエさまはコクンと頷いて、お二人の方へ、テトテトと歩み寄りました。
「どうしたのです?」
「何か?」
姫さまとメイド長さまが首を傾げると、ミュリエさまは二人の手をとって、互いの手を握らせます。
さすがにミュリエさま相手では、何も警戒していなかったのでしょう。お二人はなすがままに互いの手を合わせる形になりました。
「……仲良く」
ミュリエさまがそう口にすると、お二人は吐息のような笑い声を漏らしました。
はた目には小さな子供が言い争う二人を仲直りさせようと、握手させる。そんな微笑ましい光景にも見えます。
まあ、仲直りさせるという意味では、実際そうなのですけれど。
ですが、次の瞬間、
「……石化」
ミュリエさまは『恩寵』を発動させました。
「「な!?」」
お二人の繋いだ手がそのまま石化していくのを見届けて,ワタクシは声を上げます。
「ミュリエさま、逃げますわよ!」
「あい!」
ワタクシの結論はこうです。
このお二人は引き離しても決して仲直りすることはないでしょう。ならば、いっそのこと、常時一緒にいざるを得ないようにしてしまえば良いのです。
人間、争い続けるのにも限度というものがあります。四六時中一緒にいれば、互いのことを良く知り合って、最後には仲良くなっているはずです。
……たぶん。
……おそらく。
……コホン。
もう、やってしまったのだから後には引けません。
ミュリエさまとともに、ワタクシは部屋を飛び出し、一目散に廊下を駆け抜けます。捕まったら最後、きっと二人がかりでドえらい目にあわされることでしょう。
「エルフリーデ・ラッツエル! ミュリエ・ボルツ! あなたたち、一体どういうつもりなのです!」
背後から姫さまの喚き声が聞こえてきますけれど、そんなの知ったことではありません。
仲直りするまでは、絶対に解除してあげませんから。
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