第七十 話 パーシュ籠絡会議
大変おまたせしました!
「それで……連絡はつきましたの?」
朽ちた鎧戸の隙間から外を眺めながら、車椅子の少女が問いかけてくる。
「さてね。向こうは受信専用だからね。受信出来てるってのは分かるけど、聞いてるかどうかは分かんないから。でも、まぁ、言うべきことは言ったし、これ以上、俺に出来ることなんて、なーんにもないさ」
荒野にほど近い、東クロイデル王国南辺の打ち捨てられた廃屋。
元は貴族の別荘だったというそこに、俺たちは潜んでいた。
「それで、どうするんですの?」
「どうって、なにが?」
「だって、これは好機でしょう? その荒野の王さまに、ワタクシが役に立つというところを見せつける良い機会ですもの。遠征部隊指揮官の首なら、きっと良い土産になりますわ」
「アホか」
俺は思わず吐き捨てる。
まったく、このクソガキ。
どんな壊れ方したら、こんな頭のイカレた人間が出来上がるんだか。
指揮官の首を土産にする?
何が悲しくて、そんなリスクを負わなきゃならないってんだ。
本当、いい迷惑としか言いようがない。
只でさえ、こいつのせいで王都から脱出するのに、俺がどれだけ苦労させられたことか。
何度も置き去りにして逃げようとしたんだが、その度に腹に短刀を突きつけられて脅され、しかたなく足の不自由なこいつのために、馬車を手配し、情報網と伝手をフル活用して、なんとかここまで逃げ伸びてきたのだ。
金も随分使わされた。赤字も赤字、大赤字だ。
「なあ、オマエ、やっぱ金返してくれ」
「なんですの、唐突に。イヤですわよ」
彼女はプイとそっぽを向き、俺は小さく肩をすくめる。
……とはいえ、それも全くの無駄金だったという訳でもない。
安全な逃走経路を選ぶために、衛兵や軍の動きについて情報収集している内に、東クロイデルが、荒野に遠征部隊を差し向けようとしていることを掴めたからだ。
軍事予算の八割方失ったくせに、遠征なんて出来んのかよ?
最初は俺も、そう首を傾げたものだったが、情報を集めていくうちに、詳しい状況がつかめてきた。
まったく、あの女王陛下らしいやり口だ。
どういうことかというと……。
この遠征の主体は、東クロイデル王家ではないのだ。
王家の、ひいては東クロイデルの正規兵は一兵たりとも出征しない。
では、誰が出征するのかといえば、ブロワ公爵とランドロー公爵。この国を二分する大貴族が、それぞれ派閥の貴族達とともに、私兵を率いて南進するのだという。
――荒野に逃げ延びた中央クロイデルの暴徒。それを先に鎮圧したものに、二つの報奨を与える。
発端は、女王のその一言らしい。
ここでいう二つの報奨とは、マルスランが失脚して空位となった宰相位と、女王の姪、エクセラ姫との婚姻を指している。
本当にそうなのかは別として、処女王と呼ばれる女王陛下に、実子は存在しない。それゆえ、現在の継承権一位はエクセラ姫。
つまりこれは、次期女王の伴侶という地位を餌に、対立する二つの派閥を競争させ、王家は一銭も出さずに目的を遂げようという目論見なのだ。
全く、いやらしいったらありゃしない。
だが、集めた情報によれば、両公爵は相当乗り気らしい。
東クロイデルでのリンツたちについての認識は、せいぜい暴徒化した流民程度のもの。
マルスランが失敗したことについても、アレはマルスランが無能だっただけだと、そう思われている。
王家の面目ってのもあって、機動甲冑を大量投入したことも伏せられていることだし、暴徒を鎮圧するだけで、宰相位と次期女王の伴侶の地位が手に入るならば安いもの。たぶん、その程度の認識なのだろう。
で、そんな軽い気持ちで攻め込んでみたら、メイドのお嬢ちゃんの『恩寵』で、跡形もなくふっ飛ばされることになるのだから、全く可哀想としか言いようがない。
だが、俺がちっとも動く気がないのがご不満なのか、車椅子の少女--そういや名前も聞いてなかったな。……が、不満げに口を尖らせた。
「というか、淑女に向かって、アホとはなんですの、アホとは。そもそも貴方のお仲間のピンチではありませんの? 殿方なら、身を張って仲間を守るぐらいの気概を見せていただきたいものですわね」
「いんや、やっぱりアホだわ。そもそも前提を間違えてる」
「前提?」
「間違いその一、この程度はピンチじゃない。その二、アイツらは別に仲間じゃない。俺は詐欺師で、あいつらはカモなんだよね。美味しくいただくために太らせてるところだから、死なれちゃ困るけど。ま、大丈夫だろ。俺たちは巻き込まれないように、全部終わってから、何食わぬ顔して荒野を渡ればいいだけさ」
すると、彼女は見下げ果てたと言わんばかりの顔をして、こう吐き捨てた。
「……なんて、つまらない男なのかしら」
◇ ◇ ◇
リンツさまが西に出発されたその日から、一夜が明けて--。
「……めさま、姫さま!」
はたと気がつけば、エルフリーデ・ラッツエルが怪訝そうに、私の顔を覗き込んでいました。
「どうなさったのですか? なにやら、ぼーっとされておられましたけれど?」
「な、なんでもありません」
……本当は、なんでもなくはありません。
今夜の事が気になって、仕方がないのです。
今も、エルフリーデ・ラッツエルに身支度を手伝ってもらいながら、ついつい意識はあらぬ方向へ飛躍しておりました。
だって、仕方がないではありませんか。
可愛らしい猫耳少女の恋が成就するかどうか。それが今夜にも決まるのだと思うと、落ち着かない気持ちになって当然です。
昨日、リンツさまの暴挙(あえて暴挙と申します)、それについてエルフリーデ・ラッツエルを問い詰める直前まで、私とロジーは砂猫族の集落を訪れておりました。
ロジーの主張する『作戦』、その実行に向けての打ち合わせをするためです。
「どうして、姫さままでついてくるのです?」
砂猫族の集落へ向かう途中、ロジーはうっとおしげにそう言っていましたけれど、それは、だって……行くでしょう。この純粋な恋の行く末を見届けなければ、それこそ気になって夜も眠れません。
打ち合わせの参加者は、全部で七人。張本人であるギュネちゃん、私とロジー、クワミちゃんとムィちゃん、それと飲食業開店の申請をしていたというルーリちゃんに、いつのまにか、クワミちゃんにくっついてきたコフィちゃんです。
七人中五人が砂猫族という、素敵な猫耳天国です。
かわいいです。かわいいです。もう一度いいます。かわいいです。
でも、コフィちゃんは、やっぱり目を合わせてくれません。
どうにか仲良くなって、四六時中抱きしめたり、ペロペロしたりしたいのですけれど……もう少し時間が必要なようです。
それはともかく、この中で初対面の方はお二人。
ギュネちゃんとルーリちゃんです。
先日、遠目にはお姿を拝見いたしましたが、ギュネちゃんは実際にお話してみると、本当にお淑やかなお嬢さんでした。
ただ、砂猫族が、皆さんそうであるように、胸元と腰回りを毛皮で隠しただけの恰好ですから、そのギャップがなんとも艶めかしい感じがいたします。
一方のルーリちゃんは真っ白な耳に毛足の長い毛皮。少しぽっちゃりした、ワンテンポ遅れてものを言う感じのおっとりした方です。
こうして見てみると、砂猫族も人間もなにも変わりません。年頃の普通の女の子たちです。
言葉を交わしてみて、彼女たちとの距離も、ぐんと近づいたような気がいたしました。
そして、私達は砂猫族の集落、その中央の食堂でテーブルを囲み、
「それでは、パーシュさま籠絡作戦について、打ち合わせを始めます」
ロジーの身もふたもない宣言を皮切りに、打ち合わせが始まりました。
ロジーが一通りの段取り(ディナーデートで酔っぱらわせて、そのまま一夜を過ごすっていう例のアレです)を説明したのですが、
「あの……一つお伺いしてもよろしいですか?」
と、ギュネちゃんが、どうにも腑に落ちないといった表情で手を上げました。
「どうぞ」
「人間の男性にとって、一緒に食事をとることは、そんなに大事なことなのでしょうか?」
まあ、砂猫族には調理という概念も無かったようですから、食事を楽しむという文化も無いのかもしれません。
それに今回の場合、食事そのものは大切というわけではありません。あくまでプロセスですし。
ところが、ロジーは大きく頷きました。
「はい、食事というのは、むき出しの欲望をさらしているようなものです。食欲と性欲の違いはあれど、夜の営みと大差はありません。一緒に食事を楽しむということは、ほぼ子作りです」
あなた、食事の度にそんなこと考えてたの!?
これには流石に私もドン引きです。
ですが、砂猫族の女の子たちは、「おおー」と感心したような声を漏らしています。
「なるほど、ではこれまでの私のモーションも、大きくは間違えて無かったということでしょうか?」
「モーション?」
私が首をひねると、ギュネちゃんがコクコクと頷きます。
「私が齧った生肉の半分を、毎朝、ムィにパーシュさまのところへ届けてもらっているのですが……」
「は?」
私は思わずムィちゃんの方へ目を向けます。すると、疑われたとでも思ったのでしょうか、ムィちゃんは少しムキになるような調子でこう言いました。
「ちゃ、ちゃんと毎朝、部長さまの執務机の上に置いてます!」
「肉についた歯形を見ていただければ、それが、健康な雌のものだとおわかりいただけるはずです。そうなれば、パーシュさまは、きっとこの歯形の持ち主のことが気になる筈です。そこで、その歯形が私のものだと、明かせば一も二もなく求婚してくださる。そう思っておるのですけれど……」
これには、流石に言葉を失いました。
いや、確かに気にはなるでしょうけれど……。毎朝、歯形のついた生肉が職場の机の上に置かれているなんて、誰がどう考えても、嫌がらせ以外の何物でもないでしょう。
近づいたと思った彼女たちとの距離が、一瞬にして遠のきました。
ですが、そんな砂猫族の中で一人、呆れ顔で首を振る人物がいました。
「ギュネ、それは勘違いにゃ。そんなことをされても、パーシュはちっとも喜ばないんだにゃ」
さすが、コフィちゃん。
リンツさまを含め、人間と接触する機会の多い彼女なら、これがどれだけおかしなことか、分かっているのでしょう。
「人間は生肉を食べないんだにゃ」
おしいっ! そこじゃありません!
しかし、これはなかなか前途多難です。
いざディナーデートという段になって、彼女たちがごく当たり前にとった行動が、パーシュをドン引きさせてしまう可能性は、正直かなり高いと思わざるを得ません。
ロジーも同じことを考えたのでしょう。
「それでは、念の為、予行演習をいたしましょう」
彼女は、そんなことを言い出しました。
確かに、こうなったら当日起こりうることを想定して、ドン引きポイントを洗い出すしかありません。
「それでは、姫さまはパーシュさまの役をお願いします。それと、教育上よろしくありませんので、クワミさまはコフィさまを連れて、今すぐお帰りください」
教育上?
「ロジー、あなた……私にどこまでやらせるつもりですの?」
「翌朝のピロートークまでですね」
「ほぁ!?」
ということは、猫耳少女と抱き合ったり、あんなことやこんなことまで!?
「大丈夫です。行為そのものは割愛しますので」
あ……そこは割愛しちゃうんだ。
「お、お嬢! ひ、ひとりで帰れますよね! ね! ね!」
「クワミ、自分だけ残ろうとするのは、ずるいにゃ!」
鼻息を荒くするクワミちゃん。その尻尾をコフィちゃんが引張ります。
……かわいいです。
そして、「責任……とってくださいますよね」「わ、わかりました」というやりとりにいたるまで、とっぷりと日が暮れるまで、予行演習が行われました。
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