第七話 今の感情が全てではありません。
突然舞い上がった無数の蝶に、ゴドフリートさんの周囲の衛兵達が、怯えて後ずさっていくのが見えた。
「恩寵だと……!?」
飛び交う赤と黒の蝶。その向こう側で、ゴドフリートさんが僕を睨みつける。
その表情には驚きと共に、貴族達に対するのと同じ、憎しみの色が混じっていた。
「大丈夫。その蝶はただの警告です。でも、これで僕が『恩寵所持者』だと、分かっていただけましたよね」
「リンツ……お前、私を謀ったのか! 何が狙いだ! 貴族の癖に御者のフリをして、我々に探りを入れていたとでも言うつもりか!」
「考えすぎです。そんな訳ありませんってば……。僕は本当にただの御者です。ただ……あまりに『恩寵』の等級が低すぎたせいで、身分を落とされたっていう過去があるだけです」
「……なるほど、そういうことか」
ゴドフリートさんの口元が、自嘲気味に歪む。
どうやったのかは分からないけれど、この『恩寵の反転』は、ゴドフリートさん達が仕掛けたものに間違いないだろう。
つまり、僕がこの『神の恩寵』を発現させたのも、彼ら自身のせいなのだ。
僕は只の計算外。
実際、上位二等級しか参加できないはずの夜会に紛れ込んだ、異物でしかない。
「で、今のお前の等級はAか? Bか?」
「……僕の恩寵は等級Eにも満たない、言うなれば等級Fとでもいうものでした。……じゃあ、それが反転したら?」
「等級A以上だと!?」
その瞬間、ホールにざわッ! という声が響き渡る。
僕の手元から蝶が飛び立った時点で、衛兵達は貴族を襲う手を止めて、こちらを警戒していた。
強力な『恩寵』、それも戦闘向きの『恩寵』であれば、それこそ一軍にも匹敵すると言われている。
だからこそ、『恩寵』を無力化する手段を得た彼らは、国中の上位等級の者が一同に会する今日、この時を選んだはずなのだ。
だというのに、等級Aを越える『恩寵所持者』が現れたとなれば、彼らの目論見は完全に覆る。
衛兵達の顔には、一様にたじろぐような表情が浮かんでいた。
その一方で、壁際に追い詰められていた貴族達は、僕とゴドフリートさんの会話を耳にして、一斉に歓喜の声を上げた。
「やったぞ! そこの御者! 褒めてやる!」
「うははは! 助かった! おい、貴様! 早く私を助けろ!」
「なんと間抜けな連中だ! 高位の恩寵保持者が一人いれば、貴様らなど恐れるに足らん! 覚悟しろ!」
中には、もう助かったつもりで、事後の事を話し出す者までいる。
「御者が『恩寵』を持つとは……。業腹ではありますが、形だけでも爵位ぐらいはくれてやらねばなりますまい」
「まあ、そのぐらいはかまわんでしょう。この反逆者どもは処刑するとして、この先、残った者でディートリンデ姫を盛り立てていかねばなりますまい。ただ、姫はまだお若い。政治は公爵位の、この私にお任せいただきたいものですな」
これには流石に僕も呆れた。不愉快にも程がある。
ゴトフリートさんが、呆れ顔の僕を鋭い目つきで見据えて問いかけた。
「で……お前は奴らを助けるつもりか?」
「ご冗談」
「だろうな」
ゴドフリートさんが、くくくと笑いをかみ殺すのと同時に、貴族達は憤然と色めき立った。
「なんだと! 貴様! 私を誰だと思っておる! 御者の分際で!」
「あいつは確か、ラッツエル家の御者であったな! ラッツエル家には、この責任を問わねばならんぞ!」
思わず詰め寄ろうと足を踏み出した貴族に衛兵が槍を突き出すと、状況がやっと分かってきたのか、貴族達の罵声の中に懇願するような声が混じり始めた。
「お、お願い! ワタクシだけでも助けて! う、うちの家に迎え入れてあげても良くってよ! アナタ! 伯爵家の一員になれるのよ!」
「金か! あ、足元を見おって! ええい! いくら欲しい! こうなったら、いくらでも出そうじゃないか!!」
「よ、良く見れば、あなた結構いい男ね! う、ウチの娘を妻にどうかしら!」
……耳が腐りそうだ。
貴族達の戯言を右から左に聞き流しながら、僕はゴドフリートさんを見据える。
「僕達はただ、無事にここから出られれば、それで良いんです」
「……その僕達ってのには、ディートリンデ姫も含まれているってことだな?」
「そうです」
「なら、話はここまでだ」
「どうしてもですか?」
「ああ、残念だが……逃げ場などないぞ。お前が幾ら強力な『恩寵』を持っていようが、俺達の仲間はここに居る連中だけじゃない。王宮はすでに包囲済み。街中じゃあ今頃、民衆が貴族連中の屋敷を襲撃しているはずだ」
生き残りの貴族達を威嚇している一部を残して、衛兵たちが続々とゴドフリートさんの背後へと集まってくる。
衛兵達は一様に緊張した面持ちではあったが、怯えは感じない。彼らは彼らで、自分達の理想に殉じようという心づもりなのだろう。
僕は視線で衛兵たちを威嚇しながら、背後へと声を掛ける。
「ロジーさん。姫様と一緒に僕の後ろへ」
「坊ちゃま、無理はなさらないでください」
振り返って、ロジーさんに微笑みかけると、あの赤毛の女性が、抜き身の刀を肩に担いで、ゆっくりとこちらへと歩いてくるのが見えた。
「できたら、オレの事も忘れないで貰えるとうれしいんだがな」
「ご、ごめんなさい。えっと……」
「ああ、そうか。まだ名乗って無かったな。オレはレナ。レナ・ハイネマン」
彼女が名乗った途端、周囲を取り囲む兵士達が驚愕に目を見開くのがわかった。
「ハイネマンだと!? 馬鹿な!」
「いや、こんなところに居る訳がない! 別人だ!」
僕は、レナさんと明らかに怯える衛兵達を見比べて、問いかける。
「あの……レナさんって、もしかしてすごく強かったりします?」
「んーどうだろう。一応、弱くはないつもりだけどな」
落ち着き払ったレナさんの様子に、僕は確信する。
たぶん、この人は本当に強いのだろう。
「念の為ですけど、僕らはただ脱出したいだけだって、忘れないでくださいね」
「わーった。わーった。できるだけ殺すなってことだな。全く、見た目通りの甘ちゃんだな、オマエは。全然、ひねりがない」
「ほっといてください!」
既に僕らの正面には多くの衛兵が終結している。
唯一の出口である扉は衛兵達の向こう。直線距離にすれば、おそらく百シュリット(約七十メートル)ほどの距離がある。
これを正面突破しようなどとは、普通に考えれば正気の沙汰とも思えないのだが……
「僕が道を開きます! 殿をお願いしていいですか?」
「姫様とメイド嬢を守れってことだな」
「お願いします!」
そして、ゴトフリートさんを見据えて、駆け出そうとしたその瞬間、唐突に僕の足首を掴む者がいた。
「た、助けてください。お、お義兄さま……た、助けて……」
地面に這いつくばる彼女の姿を見た時の、僕の感情を言葉にするならば、
――ああ、そう言えば、こんなのもいたっけ。
となる。
薄情と言われても仕方ないが、彼女の存在は完璧に僕の頭から抜け落ちていた。
エルフリーデ。
国王陛下のすぐ傍にいたせいだろう。身体の右半分に赤い血を浴びて、それが渇いたためか、乱れた髪がおかしな形で固まっている。あの強気な面立ちが見る影もなく、化粧も涙で崩れてぐちゃぐちゃになった、みすぼらしい姿の元義妹の姿がそこにあった。
どうしたものか……。
「坊ちゃま」
僕が言葉に困っていると、ロジーさんが背後から静かに近づいて来た。
そして、
「坊ちゃまが、お困りです。お離しください」
と、いつも通りの無表情のまま、僕の足を掴むエルフリーデの手を踏みにじった。
「きゃあああ! い、いたい! いたいよぉ! ロ、ロジー、やめて! いたいい!」
泣き喚くエルフリーデを見下ろして、ロジーさんはぼそりと呟く。
「坊ちゃまが、やめてと仰った時、あなたはいじめるのをおやめになりましたか?」
「ご、ごめんなさい! エルフリーデは、これからは心を入れ替えます! だから! だから! 助けて!」
正直、エルフリーデの言葉は僕の心には何も響かなかった。
思わず肩を竦めると、僕が何を考えているのかが分かったのだろう。エルフリーデの顔が絶望に歪んだ。
だが、その時。
「あなたが置き去りにすると言っても、私が連れていきます」
そんな言葉が、背後から聞こえてきた。
僕が声の聞こえた方へと目を向けると、姫様がじっと僕のことを見つめていた。
「……僕は助けませんよ」
だが、僕の言葉を気に止める素振りも無く、姫様は泣きじゃくるエルフリーデを助け起こして、こう言った。
「私がエルフリーデ・ラッツエルを連れていくのは、あなたのためですわよ?」
「僕の?」
「今の感情が全てではありません。このままでは、義妹を見捨てたという事実に、あなたはいつかきっと、押し潰されることになります」
「……勝手にしてください」
正直、僕はなにもかもを見透かしたかのような姫様の物言いに腹を立てていた。あなたに何が分かる! そう言ってやりたい気分だった。
だが、僕の『恩寵』を警戒して、衛兵達がそう簡単には襲い掛かって来ないとはいえ、いつまでも言い争っている場合ではない。
僕は再び正面へと向き直ると、その場にしゃがみ込んで、大理石の床に両手で触れる。
そして、
「生命の樹!」
『恩寵』を発現させた。
途端に、衛兵達が身構えるその眼前で、大理石の床が生き物の様に盛り上がる。そして、僕が手を振り上げるのに合わせて、大理石の獅子が二頭、床から勢いよく飛び出した。
「なにィ!?」
ゴトフリートさんの驚愕の声が響く中、二頭の獅子は、正面の衛兵達の方へと突っ込んでいく。
僕の『恩寵』は、生命を司る。傷ついた身体を癒し、どんなものにでも命を吹き込む。
「行きます! 僕の後に、ついてきてください!」
僕らは獅子の後を追って、衛兵達のど真ん中へと突っ込んだ。
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なお、次回はがっつり戦闘回です。お待たせしてごめんなさい。m(__)m