第六十八話 旅とご飯
「……という訳には参りませんわよね」
結局、ワタクシ、エルフリーデは温かな寝具に後ろ髪を引かれながら、渋々部屋を後にします。
既に陽はとっぷりと沈んでいて、廊下の燭台には火が灯されていました。
流石にこんな時間になってもお義兄さまが帰って来なかったら、姫さまやメイド長さまが騒ぎだすことでしょう。
まずは階段を上がり、薄暗い廊下を伝って、お義兄さまの部屋へ。
なにも、ワタクシだって考えなしではありません。
姫さまとメイド長さま、いずれか片方を味方に付けてしまえば良いのです。
だとすれば、与しやすいのは姫さま。
世間知らずなところのある、姫さま一択です。
メイド長さまは、顔色一つ変えずに殴りつけてきそうな、謎の迫力がありますが、姫さまなら、その心配もありません。
それでも、
「はぁ……」
やっぱり、イヤなものはイヤなのです。
――大丈夫、エルフリーデ。姫さまは、鬼でも悪魔でもありません。扉を開けたらまず謝罪。ドン引きするぐらい号泣しながら謝れば、あとはこちらのペースです。
ワタクシは、自分にそう言い聞かせながら、扉のノブに手を掛けます。
そして、
「すぅう―――――――……」
目いっぱい息を吸い込むと、それを一気に吐き出しながら扉を開け放ち、頭から勢いよく部屋の中へと飛び込みます。
「姫さまぁ! も、もうしわけございませぇえ―――――ん!」
角度よし、速度よし、声量よし。
我ながら惚れ惚れするようなスライディング土下座です。
兵は詭道、先手を打つなら奇襲。
驚いている内に、こちらの言いたいことを一気に捲し立ててやれば、それで勝負の趨勢は決まると言っても過言ではありません。
ですが……。
「悪いのはお義兄さ……まなん………………って、あ、あれ?」
部屋の中は真っ暗で、人の気配はありません。
窓から差し込むわずかな星明りで、調度品の輪郭が分かる程度です。
「姫……さま? いらっしゃいませんか?」
拍子抜け。
ホッとしたというのが、正直なところでしょう。
無論、暗い部屋で一人、土下座している自分の姿からは全力で目を逸らします。
……ワタクシは一体、何してるんだろうとか、そういうことを考えてはいけません。絶対です。
「お出かけ……なのでしょうか?」
ワタクシは立ち上がって、スカートの埃を払い、ベッドサイドのカンテラに火を入れます。
油の燃える香りがわずかに鼻先を漂って、ぼんやりと部屋の中が明るくなりました。
やはり、そこにはワタクシ以外、誰の姿もありません。
ぐるりと見回してみると、姫さまのベッドの上には、脱ぎ捨てられた夜着が丸まっています。
そう言えば、今日は身支度のお手伝いもしていませんでした。
姫さまご自身でお召替えをされたのでしょう。
とはいえ、一体、どんな脱ぎ方をすれば、こんなミラクルな裏返り方になるのか想像もつきません。
それはともかく……
「もしかして、お義兄さまを探しに出かけられた……のでしょうか?」
そう考え込んだその時、
どこかから、蟲の羽音のような微かな音が聞こえてきました。
それは本当に微かな音です。
ワタクシはカンテラを手にして、ぐるりと部屋の中を見回します。
間違いありません。この部屋のどこかで、なにか変な音がしています。
意識を集中して、音がする方向を探ると、その先にあるのはお義兄さまの執務机。
どうやら、音はそちらから聞こえてくるようです。
警戒しながら近づいてみれば、執務机の上に、何やら銀色の円筒が転がっているのが見えました。小指の先ほどの、本当に小さな円筒です。
恐る恐る耳を近づけてみると、やはり音はその円筒から聞こえてくるようです。
虫の羽音のようなそれは、よくよく聞いてみると、随分ノイズが混じっているみたいですが、男性の声でした。
――くりか……すぜ。…………だ。……征が始ま……迎え撃……ま、大丈……。
その声には聞き覚えがあります。
この、人を揶揄うような、いやらしい抑揚の付け方には覚えがあります。
ティモと言ったでしょうか? あの無礼なクズ男の声です。
しばらくすると、唐突に音が途切れて、銀の円筒はうんともすんとも言わなくなりました。
顔を近づけて、ツンツンと指先で突いてみても、円筒はコロコロっと机の上を転がるだけです。
一体、これは何なのでしょうか?
「訳が分かりません……わね」
「全くです」
その瞬間、背筋に氷を突っ込まれたような感触がして、ワタクシは思わず飛び上がりました。ワタクシの独り言に誰かが応えたのです。
ガタガタっと執務机に腰をぶつけながら振り返ると、そこには不機嫌そうに腕を組む姫さまと、いつも通りの無表情なメイド長さまの姿がありました。
「それでは……お話を伺いましょうか? エルフリーデ・ラッツエル」
「え、その、あはは、あの……」
つーと、一筋の汗が頬を滴り落ちます。
「大体のお話は、コフィちゃんから聞いております。リンツさまが私を置いて、西クロイデルに出発されたことも。ふふっ……そんなに怯えなくとも大丈夫です。もちろん隠し事をしなければ……ですけれど。ねぇ、ロジー」
「ええ、姫さま」
なんで、二人が一緒に行動しているんでしょう? 仲直りをされたのでしょうか?
いずれにしろ……状況はワタクシにとって、一番好ましくない形になっているようにしか思えませんでした。
◇ ◇ ◇
「おーし! めっし、飯っ!」
「はいはい、もう出来上がりますからね。テーブルの上に鍋敷きを出しといてください」
「りょーかーい!」
レナさんが嬉しそうに両手を上げる。
お家蟲の調理場で、鍋を前にしているのは僕。
サッキとマグダレナさんはテーブルで何やら打ち合わせをしていて、つい先程までは、暇を持て余したレナさんが、その周囲を意味も無くウロウロしていた。
この四人の中で、多少なりとも料理の心得があるのは僕だけ。仕方なく僕が鍋の前に立っているという状況なのだ。
両親がまだ生きていた頃には、忙しい二人の代わりに僕が夕餉の支度をしていたので、多少自信はあるけれど、それほど凝ったものが作れる訳では無い。
今夜の献立は野菜たっぷりのスープとパン。
パンは保存用の固焼きだけれども、スープにつけて食べれば、それなりにおいしく食べられる筈だ。
スープはちっとも手の込んだものではない。
たまねぎ、にんじん、ジャガイモを適当に切って鍋に入れ、下処理をした野牛のすじ肉を入れる。野菜の半分位まで水を入れ、目分量で少量の塩を加えて蓋をするだけ。あとは沸騰したら火を弱めて、更に一刻ほども煮込めばそれで完成だ。
それにしても、移動中とは思えない風景。僕らが食事をとっていようが、寝ていようが、お家蟲は勝手に移動してくれるのだから、なんとも楽な旅路としか言いようがない。
鍋をテーブルに移動させると、
「んー、いい匂いだな」
レナさんが香りを吸い込んで、満足げに微笑む。
「それにしても……一国の王さまに夕餉の支度をさせちゃって、いいんですかねぇ、これ」
「仕方がありません。サッキ殿は、私やレナ殿の作ったものを食べたいと思いますか?」
マグダレナさんのその問いかけに、サッキは誤魔化すように笑う。
「じゃ、冷める前に食べちゃってください」
テーブルを囲んで食べ始めると、レナさんが「くーっ」と声を上げた。
「うめぇ! なかなかやるじゃねぇか!」
「ええ、素材が良いというのもありますけれど、アタシも飲食店経営者の審査でこのスープが出てきたら、たぶん合格させてますね」
サッキが、そう言って頷いた。
「あはは、そう言ってもらえれば作った甲斐があります」
凝った料理という訳ではないが、うまいと言ってもらえれば、やはり、それなりに嬉しいものだ。
「そういや、メイド嬢が造ったナツメヤシの酒持ってきてたよな! 折角の旅だ、飲もうぜ!」
「ああ、それは、なかなか素敵なご提案ですね」
レナさんの主張にマグダレナさんが同意する。
「いや、あれはお土産用に……」
「硬いこというなよ、折角なんだからよぉ!」
なにがどう折角なのかは分からないけれど……。
かくして、僕らの旅の、その最初の夜は、こんな風に騒がしく更けていった。
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