第六十七話 メイド長の実力
「うっ……ううん……」
朝、温かな寝具に顔を埋めたまま、ワタクシ、エルフリーデは寝覚めのぼんやりした頭で考えます。
――夜が明ける前にこっそりと出発する。目立つ訳にはいかないから、見送りはいらないよ。
昨日、お義兄さまは、そう仰っておられました。
うっすらと瞼を開けると、窓の外には陽の光。
今頃、お義兄さまは、もう旅の空の下にいらっしゃるのでしょうか?
ワタクシは再び、目を閉じて微睡に身を任せます。
それにしても……本当に、このエルフリーデに、お義兄さまの代わりなど務まるのでしょうか?
不安です。それは随分、疑わしいことのように思えます。
だって、エルフリーデは等級Eのゴミクズなのです。
そんな風に不安が頭をもたげかけた途端、お義兄さまの声が耳の奥に蘇ってきました。
――信じてる。
「えへへ……信じてる、ですって、えへへへ……」
良い響きです。
枕を抱えたまま、にやけてしまいます。
お義兄さまが、『恩寵』を発現する前の、仲睦まじかったあの頃まで、時間が巻き戻ったような……そんな気がいたします。
「えへへ……」
たぶん、本当なら既に起きていなければいけない時間なのでしょうけれど、起きたら……メイド長さまと姫さまに、お義兄さまが、西クロイデルへ発ったことをお知らせしなくてはいけないのですよね……。
えーと……起きたくありません。
せめてあと一刻。この幸せな気持ちに浸っていたいのです。
エルフリーデは国王代行なのですから、このくらいはきっと許されるはずです。
◇ ◇ ◇
「リンツ……さま?」
目を覚ました時には既に、隣のベッドにリンツさまの姿はありませんでした。
まさか私を置いて、先に食事に行ってしまわれたのでしょうか?
いつもなら、身支度を手伝いに来てくれるはずのエルフリーデ・ラッツエルも、どういう訳か今日は来てくれません。
仕方なく、悪戦苦闘しながら、自分で髪を梳き、服を身に付けます。
多少は慣れてきたとはいえ、ボタンを嵌めるのは、まだ少してこずりました。
「私を置いていくなんて……酷いです、リンツさま」
頬を膨らませながら、食堂へと向かうべく扉を押し開けると、そこには意外な方々の姿がありました。
「あなた方、こんなところで……どうなさられたのですか?」
それは、二人の砂猫族の女の子です。
御一方は黒い猫耳の、少年のような凛々しい少女。
あの愛らしいコフィちゃんの従者、確かクワミちゃんというお名前だったと記憶しております。
もう御一方には、見覚えがありません。
虎のような斑模様の猫耳の、大人しそうな女の子です。
「あの、姫さま……神様はいらっしゃいますか?」
「部屋には、いらっしゃいませんけれど?」
「そう……ですか」
クワミちゃんが、少しがっかりしたような顔をされます。
そこで、私はピンと来ました。
クワミちゃんと一緒に居るこの方は、先日、食堂でお話を伺った時に、名前が上がった方に違いありません。
「そちらの方は……財務部のムィちゃんですね?」
「にゃ!?」
「そ、そうです」
ムィちゃんは、驚いた顔をしたかと思うと、慌ててクワミちゃんの背中に隠れてしまいます。その様子もとても可愛らしいです。砂猫族の女の子は、皆さん、お人形さんみたいにかわいらしいので、とても癒されるような気がいたします。
「それで、どういったご用件で……」
そこまで言い掛けて、私ははたと気づきました。
このお二人がリンツさまを訪ねてくるとしたら、それは、先日の、あのパーシュに懸想しているという、ギュネという方のことに違いありません。
私は扉の外、左右の廊下を確認して、
「えーと、ここでは何ですし……中にお入りくださいませ」
そう言って、二人を室内に招き入れます。
二人は顔を見合わせた後、戸惑いながらも部屋へと入ってきました。
大して華美な訳ではありませんが、それでも国王の居室です。新たに建造した砂猫族の長屋とは比べるべくもありません。
何度か足を踏み入れたことのあるクワミちゃんはともかく、ムィちゃんは、溜息を吐きながら、部屋の中を見回しておられました。その様子も愛らしいです。誰か砂猫族の女の子を近侍として、雇う事はできないものでしょうか? 今度、リンツさまにおねだりしてみたいと思います。
「それで……お二人のお話というのは、ギュネと言う方のことではありませんか? もしよかったら、私にお話ししてくださいませんか? お力になれるかもしれませんし……」
お二人で顔を見合わせた後、ムィちゃんが、意を決したかのように口を開きました。
「……やきもきするんです」
彼女の話はこうでした。
ちっともギュネとパーシュの関係が進展しないのだと。
本来、砂猫族の男女というのは、面倒なやりとりなどなく、気に入ったらあっさり番になって、一緒に生活し始めるものなのだそうです。
それが、ちっとも進展しないものですから、見ている方がたまらないのだと……どうにか、二人の関係をもう一歩先へ進ませる方法はないかと。
それを相談したくて今日、リンツさまの下を訪れられたそうなのです。
「それに……」
クワミちゃんが、口を開きます。
「しばらくは口うるさい叔父上もいませんし、今が好機なんじゃないかなって……」
「ボタがいない?」
「はい、今日から野牛を狩る為に、以前の住処近くの狩場まで出かけると聞いています。そうなると、往復で三、四日はかかりますから」
口うるさい保護者がいない、今がチャンス。そういう訳ですね。
「こういうことは、周りにたくさん女の子を侍らせている、恋愛の達人である神さまがお詳しいだろうと……」
私は思わず、苦笑してしまいます。
なるほど、そう見えるのですね。
リンツさまが聞いたら、一体、どんな顔をなさるでしょうか……。
「私にお任せくださいませ。なにも、リンツさまの手を煩わせるほどのことではありません」
首を突っ込むなと叱られそうな気も致しますけれど、折角です。私は二人の恋を応援したいと思います。
「次にパーシュが砂猫族の集落を訪れるのは、いつですか?」
「部長さまがお越しになるのは明日です、明日の夕方。食糧庫に蓋を設置する作業の立ち合いで……」
ムィちゃんが即答してくれます。
「それでは、その時にギュネという方から、お手紙をお渡しするというのはいかがでしょう? いきなり恋文というのはハードルが高いかもしれませんが、詩歌の交換などを通して、互いの距離が深まることうけあいです」
私がそう言うと、二人は顔を見合わせて戸惑うような顔されました。どうしたのでしょう。反応が芳しくありません。自信があったのですけれど……。
「あの、姫さま、砂猫族に文字のかける者はおりません、もちろんギュネも……」
「うっ……」
計算違いです……。
「じゃ……じゃあ……」
何か他に良い手をひねり出さねば、そう考えながら口を開きかけたところで、唐突に扉が開きました。
「……話は聞かせていただきました」
開いた扉の向こう側。
そこには、私が今、最も会いたくない人物が立っていました。
「立ち聞きなど、淑女のすることとは思えませんわよ? ロジー」
私は、彼女を睨みつけます。
ですが、彼女は全く意に介する様子もありません。
彼女は、私の方へといつも通りの、表情に乏しい顔を向けながら、呆れたと言わんばかりに肩を竦めました。
「まったくお話になりませんね。恋文? 詩歌の交換? いつの時代の人間なのです、あなたは。世間知らずのお姫さまですか? あ、失礼、その通りでしたね」
そう言って、彼女は無茶苦茶煽ってきます。
……腹立たしいです。
「で、では、あなたに、もっと良い方法があるとでもいうのですか?」
「当然です」
「じゃあ、聞いて差し上げますわ! 仰ってごらんなさい!」
「どうして上から目線なのかは良くわかりませんが……」
そう言って、彼女は再び肩を竦めました。
「現在、私が担当している飲食店経営者の審査ですが、御一方、砂猫族の方が応募されておられるのは、ご存知ですか?」
「は、はい、ルーリが応募したって聞いてます」
ムィちゃんがコクコクと頷きます。
「残念ながら審査は通りませんでしたが、非常に惜しかったのです。本当にあと一歩というところでしょう。少し前まで砂猫族に調理の概念が無かったことを思えば、彼女には、才能があるのだと思います」
「ルーリは、食堂のお手伝いをずっとしていますから」
「ただ、人間が食べると味付けが薄いのです。ですので、人間に試食してもらって改善できれば、次の審査では通過できると思います」
「はぁ……?」
話が良く分からないというように、クワミちゃんとムィちゃんが揃って首を傾げます。
こんな時になんですけれど……愛らしいです。
「明日、パーシュさまが集落を訪れられるというのであれば、試食していただくということを建前に、ギュネ様と二人で夕食を召し上がるというのはいかがでしょう? つまり……ディナーデートです!」
「デ! デ! デート! き、聞いた事があります! 恋する男女の儀式なのですよね!」
クワミちゃんとムィちゃんが、驚愕の表情を浮かべます。
そんな二人を満足げに眺めた後、ロジーは私を見据えて、ニヤッと口元を歪めました。
「なんでしたら、私の方でお酒も用意いたしましょう。酔わせて判断が鈍ったところで、『今日は父がおりません。一人は不安なのです。泊まっていってくださいませんか……』と、上目遣いに迫るのです」
これには、私も驚かされました。
「な!? 女性の方から迫るのですか!? そんなの! ふしだらですわ! ふ、ふけつですわ!」
思わず取り乱してしまいました。私だけではありません。
「あわわわわ……」
砂猫族のお二人も、顔を真っ赤にして頭から湯気を噴き上げています。
ですが、ロジーは勝ち誇るように胸を反らして、こう言い放ちました。
「必要なのは既成事実です。押し倒してしまえばこちらのものなのです。ただでさえパーシュさまは真面目な方ですから、ヤッてしまいさえすれば、責任を取らせるのは簡単。後は、既成事実をもとに、彼の部屋に押しかけて居座るまでがワンセットです」
な、なんという恐ろしい女でしょう。悪魔でしょうか。
そして、呆然とする私の鼻先にまで顔を突きつけて、彼女はこう言い放ちました。
「そんなことですから、坊ちゃまと同室で生活していながら、何の進展もしないのですよ。姫さま、良いですか? 坊ちゃまが悪い女に引っかからないよう、あらゆる手練手管をシミュレーション済み。裏返して言えば、ありとあらゆる、男性を篭絡する手段を検討済み、それがメイド! それがメイド長たる私の実力なのです!」
◇ ◇ ◇
「……寝過ごしてしまいました」
ワタクシ、エルフリーデが再び目を覚ました頃には、既に太陽が随分西へと傾いておりました。
「……とりあえず、お二人に説明するのは、明日にいたしましょう」
夕闇に沈む部屋。
そこには、国王代行権限と称して、いやなことを先延ばしにして、再び枕に顔を埋める、ワタクシ――エルフリーデの姿がありました。
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