第六十二話 貨幣導入(その3)
「知り合いですか?」
「同じメイドとして、少し気になっただけです」
ロジーさんによる、いつも通りのフラットな受け答え。
だが、その声音に埋もれたわずかな動揺を察して、僕は思わず肩を竦める。
語るに落ちるとは、まさにこういう事を言うのだろう。
アリョーシャと呼ばれたその年配の女性は、地味な短衣に、灰色のロングスカートと言った出で立ち。
どこにもメイドを思わせるような要素はないし、僕はロジーさんに、あの女性が元メイドだなんて、一言も言ってはいない。
どう考えてもロジーさんは、彼女の事を知っているとしか思えなかった。
思い起こしてみれば、僕の専属メイドになる前のロジーさんは、貴族が妾に産ませた娘として、どこかの屋敷にいたのだと、そう聞いている。
低等級の『恩寵』を発現し、屋敷を追い出されたところを、たまたま、その貴族の下を訪れていたマルティナさまに拾われたのだと、彼女は暗い夜の厩舎で、そう言っていたのだ。
そのマルティナさまが今、身を寄せているのは、ジズモンド公爵の下。
ロジーさんがそのジズモンド公爵家の元メイドと面識があるのだとすれば、その関係にもうっすらと想像がつこうというものだ。
だが、気にはなるけど、あくまで彼女の個人的なことでしかない。
無遠慮に踏み込むのはどうかとも思うし、彼女の性格を考えれば、しつこく問い質すことで、一層頑なになるのは目に見えている。
――機会をみて、あのご婦人に直接尋ねてみるしかないか……。
と、僕がそう考えを纏めかけたところで――
「ああ、こんなところにいたんですね」
と、男性の明るい声が聞こえてきた。
声のした方へと目を向ければ、頭に巻いた青い布を風にそよがせながら、サッキがニコニコした顔で歩み寄ってくるのが見えた
「どうかしましたか?」
だが、その問いかけに気が付かなかったかのように、サッキは僕の目の前を通り過ぎると、そそくさとエルフリーデの方へと歩み寄った。そして、彼は抵抗する暇も与えずに、彼女の手を両手で包みこむように握りしめる。
途端に、エルフリーデはイヤそうに身を捩りながら、声を上げた。
「ちょ、ちょっと、お放しなさい!」
「いやですよ。折角帰って来たというのに、ちっとも顔を見せてくれないんですから」
「どうして、あなたに顔を見せなければなりませんの!」
「会えなければ口説くことだってできませんからね。前に言ったでしょ? 誠意をもってアナタを口説くって」
「はーなーしーなさいっ! ワタクシも申しましたわよ、アナタになんて絶対口説かれないって! いきなり女性の手を握ってくる男の、どこに誠意があるというんですの!」
ヒステリックな声を上げるエルフリーデに対して、サッキは穏やかな微笑みを浮かべたままだ。
「誠意しかありませんってば。きっとアタシのものにしてみせるっていう真っ直ぐな気持ちの表れですから。アナタが女である以上、きっと口説ける。アタシはそう信じていますしね」
「意味がわかりませんわ!」
表情を引き攣らせるエルフリーデをにこやかに見つめたまま、サッキは懐から小さな箱を取り出した。
「西で婚約指輪を買ってきましたのでね。こんなに大きな青瑪瑙は見た事ないでしょう? さぁ、指を。その白魚のような指にはきっと似合うはずですよ」
流石に、それは強引にも程がある。
「ちょ、ちょっと待って、サッキ!」
僕が止めに入ろうとしたその瞬間――
『ボコッ!』と鈍い音が響いて、サッキの口から「ヒンッ!?」と意味不明な甲高い声が洩れた。
見れば、エルフリーデの膝蹴りがサッキの股間を捉えている。アレは痛い。僕は思わず内股になった。
「うぅう……ん」
呻き声を洩らしながら、股間を押さえて崩れ落ちるサッキ。それを冷たい目で見下ろして、エルフリーデは親指を下へと向けた。
「くたばれ! スケベ商人!」
いや……うん、同情の余地は無いと思うのだけれども、股間を押さえたまま呻いているサッキの姿に、僕はなんとも言えない憐みを感じる。
だが、そんな僕の隣で、ロジーさんが、
「坊ちゃまにも、これぐらいの積極性があれば良いのですけれど……」
と、溜め息混じりに呟くのが聞こえた。
えーと……この状況で僕の方へ矛先を向けるのは、ちょっと勘弁してほしい。
◇ ◇ ◇
ともあれ、貨幣の導入がスムーズに進んだことに僕らは胸を撫でおろし、以降、しばらくは平穏な日々が続いていた。
飲食店経営者の審査も順調に進んでいる。
審査が始まって三日目の時点で一度報告を受けたのだけれど、その時点では審査の済んだ六名は全員合格。
サッキ曰く、決してレベルが高い訳ではないが、辺境で食べられるものとしては充分だろうとのこと。
普通の宿場町で求められる水準は、問題なく越えているという評価だ。
但し、「野菜主体のメニューばかりなのは、どうにかなりませんかねぇ」そう言っていた。
確かに、使える肉が鰐肉しかない上に、それも供給量としては、充分ではない。
「コフィさんの呪言を使えば、新鮮な肉を運んでくることもできるんですから、次回の買い付けの際には、肉の購入も検討してみてはどうです?」
「ああ……まぁ」
サッキの提案に僕は、思わず生返事を返してしまった。
言わんとするところは分かるのだけれども、輸送だけでなく、保存もコフィの呪言に頼らなければいけないというのは、流石に問題があるような気がする。
出来れば、早く野牛の牧場を、軌道に乗せてしまいたいところだ。
◇ ◇ ◇
ある日の朝方のことである。
「ちょ! ちょっと! なにしてるんですか!」
「お、おやめなさい!」
僕と姫さまは、中庭に出た途端、思わず声を上げた。
中庭の中央、そこに、甲高い金属音を響かせて、激しく剣を打ち合うクワミとレナさんの姿があったのだ。
いや打ち合っているという表現は、適切ではないかもしれない。
クワミが必死の形相を浮かべて、二刀の湾曲刀を振るいながらレナさんの周囲を飛び回っているのに対して、繰り出される剣撃を、レナさんはその場から一歩も動かずに軽々といなしているのだ。
「いよぉ、リンツに姫さまじゃねぇか」
「あ、お、おはようございます、神さま!」
レナさんとクワミはこちらに気付くと、剣を降ろしてにこやかに微笑んだ。
「二人とも、一体、これは?」
「ああ、わりぃ、驚かせちまったか。いつの間にか陽が昇ってんじゃねぇか。みんな起きてくるまでにしようと思ってたんだがなぁ……」
「陽が昇る前からやってたんですか!?」
ということは、四刻以上は剣を撃ち合ってたということになる。
二人とも、一体どんな体力をしてるんだ……。
「いやさ、この猫娘がなかなか根性あるもんだから、嬉しくなっちまってな」
「ボ、ボクからお願いして、稽古をつけて貰ってたんです!」
「稽古?」
「もっと神さまのお役に立ちたくって、黒子のおば……お姉さんに誰か強い人を教えてくださいとお願いしたら、この方が一番強いというので」
うん、よく「おば」までで踏み止まったね。えらいぞ、クワミ!
ほんと、言い間違えると危ないからね!
僕が全く違うところに感心していると、レナさんは満足げに頷いて、クワミの頭をガシガシと撫でまわした。
「コイツ、なかなかの拾いもんじゃねぇか。たぶんウチの門下でも、師範クラスより下なら充分やり合えると思うぜ」
「そうなんですね」
師範クラスがどんなものなのかは分からないけれど、確かに、クワミはかなり強いと思う。
「だが、ちっとばかし、もったいねぇな。折角、人並外れた速さがあるってのに、居ついちまってる」
「居ついちまってる? 居ついちまってるってなんですか? 教えてください! 強くなれるんだったら、ちゃんと直します」
クワミがレナさんに真剣な眼差しを向けた。
「直すって、そんな簡単な話じゃねぇんだけどな……まぁいいや」
レナさんは苦笑いを浮かべて、クワミから距離を取る。大体七シュリット(約五メートル)ほど離れた所で、彼女は剣を引き抜いた。
「じゃあ、猫娘、今から真っ直ぐに突きを繰り出すから防いでみな」
「は、はい!」
そう言って、クワミが剣を握り直したその瞬間、レナさんの姿が掻き消えて、クワミの鼻先には剣が突きつけられていた。
「え……? ええぇぇぇっ!?」
クワミは、ただ目を白黒させている。
僕にも、レナさんの動きが全く見えなかった。突然消えて、突然現れたようにしか見えなかったのだ。
「猫娘、オマエぐらい速けりゃ、本当ならこれぐらいは出来るはずなんだよ。それが居ついちまってるせいで一呼吸、いや二呼吸半ぐらいかな。遅くなってるってことだ」
レナさんが剣を下ろした途端、クワミは必死の形相で彼女に詰め寄った。
「お、教えてください! 居ついちまってるって、何なんですか!」
するとレナさんは困ったような表情になった後、必死に考えるような素振りを見せながら口を開いた。
「あーうん、つまり……なんてぇの。剣でバーンってするとき、ギュッとしちまうだろう。それをやめんだよ、スッってやるんだ。そうすりゃあ、オマエはもっと速くなる」
……うん、さっぱり分からない。
「わ、わかりました!」
分かったの!? クワミ! 今のホントに分かったの!?
もしかしたら、剣士にしか通じない感覚みたいなものがあるんだろうか……。
僕が呆れ半分に上の方へと目を向けたその瞬間、視線がある一点に釘付けになった。
「白い布……」
東棟の三階にぶら下がっている白い布が目に飛び込んで来たのだ。
「姫さま、ちょっとここで待っててください!」
「え、ど、どうしたのです?」
「なんだぁ?」
「神様っ! お供します!」
僕が姫さまたちの戸惑うような声を背に駆け出すと、クワミが後をついて走ってくるのが見えた。
僕は東棟へと飛び込んで、一気に階段を三階へと駆け上がる。
三階のほとんどは空き部屋。このフロアを使用しているのはパーシュさんが率いる財務部だけだ。
僕は財務部の扉の前に立つと、駆け上がって来た勢いのままに扉を開け放った。
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