第六十 話 貨幣導入(その1)
「うむぅ……ちっとも分からん。回りくどいだけではないか?」
「叔父上、神様のなさられることに、ケチをつけるおつもりですか!」
戸惑い顔のボタさんを、クワミの紅玉の瞳がギロリと睨みつける。
「そんなつもりはない。しかしだな……」
ボタさんだけじゃない。集まった者たちの多くが、戸惑い顔で互いに顔を見合わせていた。
サッキたちが帰還した翌日のこと。
今朝の会議には、各部の長全員に集まってもらった。
参加者は、
農営部からキップリングさんとバルマンさん
建築部からレヴォさん
資材部からシモネさん
衣料部からモルドバさん
狩猟部からボタさん
砂猫族代表として、コフィとクワミ。
僕の左右には宰相マグダレナさんと、財務部のパーシュさん。
その二人の隣にはそれぞれ、姫さまとアルニマ商会のサッキが座っている。
僕は一堂をぐるりと見回して、パーシュさんの方へと向き直った。
「じゃあ、パーシュさん。もう少し詳しく説明をお願いします」
「かしこまりました」
パーシュさんが席を立って、人差し指でくぃっと、眼鏡を押し上げた。
「それでは僭越ながら、私の方から説明させていただきます。まず……サッキ殿を通じて西クロイデルに売りさばいていただいた農作物。この売り上げがクロイデル銅貨にして二億四千二十一枚ございました」
「「「にっ、二億っ!?」」」
途端に、会議の席は騒然とする。
訳の分かっていない砂猫族のボタさんを除いて、各部の長は皆、一斉に驚きの声を上げた。
ちなみに僕と姫様も、昨日全く同じ反応をした。
なにせ、万を通り越して億の単位なのだ。
「その内、アルニマ商会にお渡しするのは、商品の利益から一千万二百二枚と各種資材の購入手数料一万四千枚。それを差し引くと一億八千九百九十八万九千八百十九枚となります」
「ダメだ、もう全然想像がつかねぇ」
バルマンさんが天井を仰ぐと、サッキが楽しげに口を開く。
「驚くことなんて、なーんにもありませんってば。あれだけ質の良い麦を一国の麦農家全部の生産量と同じだけ売りさばいたんですから。まあ各国に一気に流通させちまったせいで、最後の方はかなり値が下がってしまいましたからね。アタシとしちゃ不本意なぐらいです」
「不本意って……これで?」
シモネさんが目を丸くした。
「ま、これだけの額になりゃ普通は手形商売ですけど、おたくの宰相さまは、仕入れをした残りを全部銅貨で持って帰ってこいってんだから、売りさばくことより、銅貨を掻き集める方が大変でしたけどね」
そう言ってサッキが肩を竦めると、パーシュさんがコホンと咳払いをして話を戻す。
「という訳で、陛下が先ほど仰った通り、これまでの現物による配給をとりやめ、以後はこの銅貨を支給します。尚、支給額はこれまで支給してきたのと同じだけのものを購入できるように決定しましたので、誰かが不利益を被るということはありません」
「いや……だから、そこが分からんのだ。これまでと同じものに交換するのだろう? ひと手間増えるだけではないか」
ボタが相変わらず戸惑った調子で口を開く。確かに、貨幣という概念が無い砂猫族にしてみれば、手間が増えるだけにしか思えないのだろう。
「叔父上、ボクは西の国でその『銅貨』というものと物を交換するところを見てきましたけれど、食べ物だけじゃありません。何とでも交換できるのです。叔父上の好きなお酒だって交換できますし、そこの商人は「女」を買いにいくと言っていました」
「女?」
「ええ、誰も連れて帰ってきませんでしたけど」
クワミがそう口にすると、女性陣のサッキへの視線が氷点下にまで下がった。尚、男性陣はそれぞれに明後日の方向へと視線を泳がせていた。
「あはは……は」
サッキの渇いた笑い声が響いて、パーシュさんが取り繕うように口を開く。
「とはいえ、しばらくは何でもという訳にはいきません。国営の食堂及び販売所を設けますので、当面、食事、衣料品、その他生活に必要なものはそちらで購入してください」
ここから窺っている限り、皆の反応は様々だ。
キップリングさんとバルマンさんがやけにニコニコしているのは、たぶん貨幣云々の話ではなく、自分たちが手掛けた麦が多くの富をもたらしたことが誇らしいのだと思う。
レヴォさんは腕を組んで目を閉じたまま、シモネさんは何か考えを巡らせているように見える。
だが全体的には未だに戸惑っているという雰囲気だろうか。
実際、当面は国と個人との間を貨幣が行き来するだけ。
はっきり言って、現在の状態で貨幣を導入したところで、只のごっこ遊びにしかならないのは、僕だって分かっている。
「あのぅ……良いかしら?」
見た目は綺麗なお姉さん。だが実は男のモルドバさんが、身をくねらせるようにして手をあげた。
「はい、なんです?」
「当面……っていうことは、陛下にはその先に、お考えのことがあると思ってよいのかしら?」
僕とマグダレナさんは思わず苦笑する。これからまさにその話をしようとしていたのだ。
「先の事というか……各部に戻ったらみんなに通達していただきたいんですけれど、飲食店を経営したいという方を募集します」
「食堂の人員が足りていないということなのかしら?」
モルドバさんが顎に指を当てながら、やけに色っぽく首を傾げる。
「いえ、そうじゃありません。国営の食堂とは別に、自分の店を持ちたいという方に店を持つ機会を提供したいと思います。店舗は用意します。立ち上げの費用も無利子で貸し与えます。国からの配給は打ち切りますが、儲かればそれは自分のものです。しばらくは税金も取りません」
「おい、小僧。それは誰でも良いのか?」
バルマンさんが口を開く。
「ええ」
「砂猫族でもか?」
ボタがなぜか不機嫌そうにそう言った。
「もちろん」
僕はぐるりと一堂を見回して、声を上げた。
「応募する権利はもちろん誰にでもあります! 但し、失敗して路頭に迷うような方が出るのは望ましくありません。実際に店で出す予定の料理を作っていただいて、厳密に審査したいと思っています」
そこに姫さまが口を挟んだ。
「大成功したら、お金持ちになれるチャンスかもしれないということですね」
「ええ、それに皆にとっても、食堂だけじゃなく、色んな料理を自分で選んで食べられるというのは、よいことなんじゃないかなって……」
「うはっ、それは素晴らしい、私は本来、食道楽なのですよ。以前は休みの日に食べ歩くのが趣味でしたが、ここではそういう訳にはいきませんでしたからな。さすが陛下!」
キップリングさんが嬉しそうに声を上げる。すると、サッキがニヤニヤしながら口を開いた。
「さすが陛下ってのは、まだ早いなぁ。アタシゃね、陛下がお考えのもう一つの案を伺った時には、ぶっ飛びましたよ。あなた方の王様はまた、とんでもないことを思いつくもんだ。王様なんかより、商人の方が向いてるんじゃないですかね、ほんと」
「もう一つの案?」
皆の視線が、僕に集まってくる。
「あ、はい。西クロイデルから、商人の支店を誘致しようと思ってます」
「おいおい、坊主、そりゃ簡単なことじゃねぇぞ。いうなりゃあ、ここは地の果てだ。ただ往復することだってままならねぇ、輸送費だけで利益も上がらねぇような場所に、店なんか出すもんかよ」
バルマンさんが呆れたような声を出すと、サッキが肩を竦める。
「アタシもそう思ってたんですがねぇ……」
僕はバルマンさんに向き直って、口を開いた。
「このサッキさんが、西クロイデルに辿り着くまでの間に、三つの小さなオアシスがあったと教えてくれました」
「オアシス?」
「ええ、そこで僕は、オアシスに宿場町を作って、その間を複数のお家蟲を往復させることで、西クロイデルまでの交通網を作ろうと思っています」
「乗合馬車みたいなものですね」
それまで一言も発しなかったマグダレナさんが、そう補足してくれた。お陰で僕の言わんとしていることが皆にも正しく伝わったらしい。
「ははっ、なるほど坊主、お前さんの『恩寵』があって初めて出来ることだなそりゃ」
バルマンさんが楽しげに笑うと、シモネさんが興味津々と言った様子で尋ねてくる。
「それで、どれぐらいの日数で行き来できるのですか?」
「オアシス間はそれぞれ二日程度の距離らしいので、西クロイデルからここまで来るのにおおよそ片道で十日の計算ですね」
「十日……その程度なら我々も資材の買い付けにいくこともできますね」
ざわめきがどこか熱を帯びたものに変わってくるのが分かった。皆それぞれに考えを巡らせている。
「では、この後、我々はお家蟲の元となる家を建て始めることにしよう」
それまで押し黙っていたレヴォさんが、そう言って頷くと僕は少し慌てた。
「ちょ、ちょっと待ってください。交通網の話はもう少し先の話なんです。西クロイデルまで交通網を繋げようというのですから、こちらだけの都合という訳にはいきません。幸いにも、サッキが西クロイデルの王族と面談する機会を手に入れてくれましたので、そこで話をしてきます」
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