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第五十四話 王の資質

 マグダレナさんが手を握った途端、子爵は「ヒッ!」としゃくりあげるような声を上げて、頬を引き攣らせた。


 訪れる静寂。


 午後の日差しが日干し煉瓦の地面に丸い(かげ)を落し、誰のものかは分からないけれど、ゴクリと喉を鳴らす音が、やたらと大きく響き渡った。


 次の瞬間、子爵の腕の先から、まるで群がった蛍が一斉に飛び去るかのように光の粒が舞い上がって、午後の陽ざしの中へと溶けていく。


 子爵は頬を引き攣らせてマグダレナさんを見据え、彼女は静かに(まぶた)を閉じる。


 やがて子爵の、その全身を光が覆い尽くすと、最後に彼は「あ」というどこか気の抜けたような一声だけを残して――


 ――消滅した。


 それは、あまりにもあっけない出来事だった。


 宙に浮かんでいた数本の剣が、日干し煉瓦の地面を叩いて、カランカランと乾いた音をたてる。


 動くものは居なかった。


 誰もが言葉も無く、ただ子爵がいた辺りを呆然と眺めていた。


 マグダレナさんは静かに手を引っ込めると、「はぁ……」と小さく息をついて、子爵の私兵達の方へと向き直る。


 そして、決して大きな声では無かったけれど、有無を言わさぬような口調でこう言った。


「降伏なさい。今、武器を捨てて降伏すれば、命は保証します」


 子爵の消滅する様子を呆然と眺めていた私兵達は、戸惑うような表情で互いに顔を見合わせた後、一人、また一人と槍を投げ出して、その場に座り込んでいく。


 その光景を見回しながら、


「んだよ、折角、これからだってのによぉ……」


 と、レナさんが肩に槍を担いで、つまらなさそうに唇を尖らせた。


 良く見れば、レナさんの身体にもところどころ血が滲んでいる。そりゃ傷だって負うだろう。むくつけき男達相手に、数十対一の大立ち回り。しかも得物は使い慣れない槍なのだ。


 にもかかわらず、かすり傷程度で済んでいる。


 ……本当に存在自体が、冗談みたいな人だ。


 兵士達が皆座り込んでしまうと、その背後に隠れていた一人の女性の姿が、風景の中に浮かび上がった。


 クラウリ子爵夫人である。


 彼女は夫の死に涙を流す訳でもなく、ただ、不貞腐(ふてくさ)れた表情でその場に立ち尽くしていた。


「ジョルジュ、後はお願いします。決して乱暴してはいけませんよ」


「ハッ! お任せください!」


 マグダレナさんが指示を出すと、ジョルジュさんは嬉々とした表情で立ち上がり、兵士達を率いて、私兵達の方へと歩み寄っていく。


 そして、マグダレナさんは僕の方へと向き直ると、此方へ向かってゆっくりと歩み寄ってくる。僕の周囲を取り囲んでいた兵士達が道を開け、やがて彼女は僕の前で立ち止まった。


「我が王、勝手なことをして申し訳ございませんでした」


「やめてくださいよ……。僕の方こそ、マグダレナさんの考えていることも分からずに随分失礼なことを言ってしまいました。本当にごめんなさい」


「ここへ詰めかけた兵士達の大半は、子爵夫人の『恩寵(ギフト)』に煽られた結果です。幾人か本当に不満を持っている者もいたようですが、その者達については、私の方で不満を解消できるよう取り計らいますので、彼らの処罰はご容赦いただけるようお願いいたします」


「いや、あの……お願いも何も……。今回のことでよく分かりました。やっぱり僕は王様なんて器じゃなかったみたいです」


 僕のその一言に、マグダレナさんがスッと目を細めた。


「……投げ出すおつもりですか?」


「だって仕方ないじゃありませんか。子爵のいう通り血が貴い訳でも無ければ、あなたのように上手く問題を処理していくこともできない。正しいと思ったことを頑張ってやってみようと思いましたけど……理想と現実は違いました。お陰で皆を危ない目に合わせてしまったんですから……」


 マグダレナさんは僕を見据えたまま、静かに首を振った。


「我が王よ、あなたは王の資質というものを誤解されています」


「王の資質?」


「血の貴さで国が収まるのなら、中央はどうしてああなったのです? 問題をうまく処理できない? そもそも我が王、あなたに私と同じことができると思われるのは心外です。私がいくつ年上かは絶対言いませんけど、私が研鑽(けんさん)してきた年月を(ないがし)ろにするおつもりですか?」


「そ、そんなつもりはありませんけど……。あの、いくつ年上なんですか?」


 僕の問いかけを完全に聞き流して、マグダレナさんは口を開く。


「では、言い方を変えましょう。これまでの世界の歴史に於いて、幾つもの国が滅んで参りました。その原因の(さい)たるものは何だとお思いですか?」


「それは……力が足りなかったから」


「違います。……思い込みです」


「思い込み?」


「誰よりも優れた人間などいません。ある一面では秀でていたとしても、他の一面では劣るものです。にもかかわらず、国の頂点にいるのだから、王は最も貴く、最も優れている。そうでなくてはならない。……その思い込みが国を亡ぼすのです」


 マグダレナさんはじっと僕を見つめる。


「ふむ……。今一つ理解できておられないようですね。よいですか? 自分は誰よりも優れていなくてはならない。その思い込みは、自分より優れた者への(ねた)みや(そね)みに変わります。結果として国にとって有益な人材は遠ざけられ、報われない有益な人材は王の下から去って行きます。そして気が付けば、周囲には顔色を窺うだけの無益な人間が(はべ)ることになります。今度は本当に自分より劣った者を集めて、自分が誰より優れているのだと、そう錯覚するのです」


 彼女は僕の反応を窺うように、ずっと僕の目を見つめてくる。僕は今どんな顔をしているのだろう。それはわからないけれど、僕は彼女の目から目を()らせずにいた。


「優秀な人材が去り、つまらない人間が権力を握ることで秩序は乱れ、民は疲弊し、国は力を失っていきます。どんな問題が起きていたとしても、王は気付く事すら出来ません。王の機嫌を損ねるようなことを口にする者は無く、仮に口にする者がいたとしても、自分より劣っている。そう信じている者の話など、王は気にも留めないことでしょう。そして、いよいよ国が亡びるという段になって、王は決まってこう言うのです。『どうして誰も教えてくれなかったのだ』と……」


「じゃあ、王様は無力な方が良いと、そう仰るのですか?」


 マグダレナさんは肩を竦める。


「無力な善人には何も為すことは出来ません。私はこう申しましたよ? 誰よりも優れた人間などいません。ある一面では秀でていたとしても、他の一面では劣るものです、と」


 そして、彼女は僕の胸元に指を突きつけて言った。


「私はあなたの弓矢です。我が王、あなたの為に敵を打ち滅ぼし、糧を得るために獲物を狩る道具です。では、あらためて問います。果たして矢を放つ者は、矢と同じ速さで飛べなくてはならないものですか?」


「……わかりました」


 僕は良い弓を見定め、上手に矢を射る狩人になれば良い。つまり、そういうことなのだ。


 僕が微笑みかけると、彼女は静かに頷いた。


「じゃあ、さしずめ俺は坊主の(くわ)ってとこだな」


 バルマンさんが厳つい顔を愉快げに崩してカラカラと笑い、それに釣られるように周囲の兵士達、砂猫族の皆も相好を崩して笑い始める。


 そして、笑いさざめく人々の中で、マグダレナさんは静かに微笑んでこう言った。


「あなたがディートとともにこの城砦に来た時から、私はあなたの事を観察してまいりました。善人なのは最初から分かっておりましたけれど、『神の恩寵(ギフト)』の力に溺れるでもなく、王と言う地位を悦ぶでもなく、あなたはただ王に相応しくあろうとした。そして何より、あなたは庶民でありながら貴族でもあった。本来貴族は生まれた時から貴族で、庶民は死ぬまで庶民なのです。その両方を偏見の無い目で見定められるあなたには、他の者にはない『王の資質』が備わっている。私はそう思っております」

ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。

これにて第4章終了となります。

姫様はどうなったの? 子爵夫人はどうすんの? 等々気になることはあると思いますが、そのあたりは次章をお待ちいただければありがたいです。

引き続き反転の創造主を、どうぞよろしくお願いいたします!

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