第五十二話 お馬鹿さん
突然現れた不遜な少女の罵倒に、クラウリ子爵は只でさえ陰気な顔を不愉快げに歪めた。
「なんだね? あのガラの悪い小娘は?」
「あれは……」
ジョルジュが答えるより先に、レナさんがいかにも面倒くさそうに口を開く。
「あーあ。……ったく、やっとたどり着いたと思ったら、鶏ガラみたいなおっさんが調子に乗って、いきがってやがる。リンツ、お人よしもいい加減にしろよ。誰にでもいい顔しようとすっから、そんなのが調子に乗んだよ」
レナさんは僕らが建国した事を伝えに、西クロイデル王国へ向かってくれた。
ここを出る時には「戻ってくるとしても、何年か後になるんじゃねぇかな」と、そう言っていた筈なのだけど……。
「レナさん、どうして……?」
僕が戸惑いながら宿舎の屋根の上へと声を投げかけると、彼女はわずかに唇を尖らせて、愚痴でも零すかのように応じる。
「どうしても、へったくれもあるかよ。ウチの弟子どもの中にゃ、宮廷でそこそこの地位のヤツもいるんだが、そいつが言うにゃ、宮廷の人間関係をしっちゃかめっちゃかにして逃げたクソ野郎がいるんだとよ。そんなややこしいヤツが、荒野を南へ向かったと聞いちゃ、追わねぇ訳にはいかねぇだろうが。ったく……。こんどこそ師匠をぶっ倒すまで、居座るつもりだったのによ」
「なるほど、追手という訳ですか……しかし、言いがかりも甚だしいですな。宮廷の人間関係がどうこうと言われても、私にはまったく覚えのないこと。自分達のゴタゴタの原因を他人に押し付けようというあたりは、粗暴な西クロイデルの者らしいですがねぇ」
クラウリ子爵が呆れたとばかりに肩を竦めると、レナさんは鼻で笑った。
「はっ! 良く言うぜ。ネタは上がってるんだ、ボケ! 『亡命貴族』が手土産替わりにチクったんだとよ。その場の空気を毒して争いごとを産みだすって、はた迷惑な『恩寵』を持ってるヤツがいるってな。おかげで西の貴族どもは今も角突き合わせて罵りあってやがる。そいつらが師匠を味方につけようって、引っ切り無しに押し掛けてくんだぞ、面倒くせえ。どう落とし前つけてくれんだ、このタコ!」
「……何を言っているのかはよくわかりませんが。なるほど、私を売ったものがいると……そういうことですな。しかしまあ、舐められたものです。小娘一人よこしたところで何ができる訳でもあるまいに」
「小娘、小娘うるせぇぞ、鶏がら野郎。西にいたんならハイネマンの名を知らねぇ訳じゃねぇだろ?」
――ハイネマン。
レナさんがそう口にした途端、クラウリ子爵の目が驚きに見開かれる。
子爵が慌てて周囲を見回せば、兵士たちはとっくに二歩三歩と後ずさって、クラウリ子爵とジョルジュ、二人の周りにぽっかりと空間が空いていた。
彼らは、レナさんが生身で東の機動甲冑を何機もぶったおしていく姿を目にしているのだ。軍人の癖に情けないと言う無かれ、命あっての物種だ。
たじろぐクラウリ子爵に、苦笑いを浮かべたジョルジュが問い掛けた。
「これは参りましたね、子爵殿。こうなったらやるしかありません。段取りは大きく変わりますけど……」
「う、うむ」
クラウリ子爵が頷き、僕達は身構える。
だがその途端、ジョルジュは思いもよらない行動をとった。
「な!? き、貴様、この期に及んで裏切る気かッ!」
何を思ったか、彼は子爵の喉元へと剣を突きつけたのだ。
「はい、そうですよ。というか、裏切るも何も、私が忠誠を捧げるのは最初からマグダレナ様ただお一人ですので」
「だ、だからこそ、あの女が見限ったこの少年をどうにかしたいと、貴様は私に擦り寄って来たのではないのか!」
「まあ、そう申しましたけど、もし本当にマグダレナ様が見限って出て行かれたなら、私は一も二もなく追いかけて、ここにはいないと思いますけどね」
「ジョルジュ殿! それはつまり……」
キップリングさんが驚きの声を上げると、ジョルジュはにこりと微笑んだ。
「本当はもう少し泳がせて、子爵夫人の恩寵の正体を探る予定だったのですけれど、それもレナ殿が全て種明かしされたようですし……」
ジョルジュは子爵の喉元に剣を突きつけながら、首だけで背後を振り返った。
「段取りは大きく変わりますけど……問題ありませんよね?」
兵士達がジョルジュの視線の先、自分達の背後を振り返る。すると、兵士宿舎の扉が開いて、女性が一人ゆっくりとした足取りで歩み出てくるのが見えた。
「ええ、かまいませんとも。よくやってくれました、ジョルジュ。御褒美はまた改めて」
それは、紫色のローブと、腰を覆う程の長い黒髪。口元の黒子が艶っぽい女性だった。
「マグダレナ……さん?」
僕もキップリングさんもバルマンさんも、そして周囲の兵士達もぽかんと呆気に取られたような顔で立ち尽くす。
見間違えようもない。それは出て行った筈のマグダレナさんだった。
彼女は、「くっ……」と歯噛みするような声を洩らすクラウリ子爵を、悪戯に成功した子供みたいな顔で眺めた後、レナさんへと視線を向けて唇を尖らせた。
「……それにしてもレナ殿。酷いじゃありませんか。折角、恰好良く登場するつもりで準備していたというのに、最後の最後で、良いところを全部もっていってしまうのですから……」
「……知らねぇっての」
レナさんは苦笑しながら、指先で頬を掻いた。
「貴様ァ! この私を罠に嵌めたのか! 小汚い性悪女め」
「性悪女とは心外です。罠というほどのものでもありません。あなたが尻尾を出すのを、少し前倒しにして差し上げただけの話ですよ、子爵。時間をかけて不和を産み出し、この国を乗っ取るつもりだったようですけれど、私もそんなに長い間隠れているのは辛いですし」
頬を引き攣らせて声を荒げる子爵に、マグダレナさんが肩を竦めてみせる。
「奥方の『恩寵』はCかDというところでしょうから、意のままに誰かを操るほどの力はないと思っておりましたけれど……そうですか。雰囲気を悪くするだけの『恩寵』ですか。しかも散歩と称してあれだけ歩き回っておられたということは、効果範囲はご自分の周囲だけなのでしょうね。効果はかなり持続するようですけれど……」
マグダレナさんのその発言で気が付いた。
丁度今、彼女がいるあたり。
つい先ほどまで、そこにいた筈の子爵夫人の姿が見当たらない。
慌てて周囲を見回すと、こちらへ向かって行進してくる私兵達の方へと、ドレスのスカートを押さえながら走っていく子爵夫人の姿が見えた。
「そういう訳です、子爵殿。抵抗して無駄な犠牲を出す必要はありますまい」
ジョルジュがそう言い放つと、子爵は静かに瞼を閉じた。
観念したか……。
誰もがそう思ったのだと思う。
張り詰めていた空気がわずかに緩んだその瞬間――
『剣舞!』
目を見開いた子爵の瞳に妖しげな光が宿る。次の瞬間、ジョルジュが弾かれたように剣を振り上げた。いや、振り上げたように見えた。
だが、その剣が子爵の上へと振り下ろされることはなかった。それどころか、僕の方へと向けて真っ直ぐに突っ込んできたのだ。
「な、な、なんだァ!?」
剣を握ったジョルジュは驚愕の声を上げて目を見開く。どう見ても彼の意志で剣を振るっているようには見えない。むしろ、暴れる剣に引き摺られているといった有り様である。
突然のことに僕は反応できなかった。慌てた時にはもう遅い。切っ先は既にすぐそこまで迫っている。
「坊主ッ!」
ジョルジュの剣が僕の胸元を貫こうというまさにその時、バルマンさんが僕へと飛びついてきた。縺れるように倒れ込む僕とバルマンさん。剣はバルマンさんの背中を掠めて、そのままジョルジュの手を振り払うように、宙へと舞い上がっていく。
「バルマンさん!」
「かすり傷だ……油断すんじゃねぇ!」
地面へと転がった僕らを眺めて、クラウリ子爵の陰気な口元が歪んだ。
「ふ、ふふふ……いやぁ、惜しい。惜しい。私はこれでも等級Bの『恩寵所持者』です。甘くみないでもらいたいものですな」
その途端、
「な、なんだ! 俺の剣が!」
「我がショーテルが勝手に……!」
兵士や砂猫族の間から、次々と慌てふためくような声が上った。
見れば、兵士達や砂猫族の間から、まるで生き物のように次々と剣が舞い上がり、空中でくるくると円を描き始めていた。
「どうですかな。我が『恩寵』、『剣舞』は。なかなか壮観でありましょう。降参するなら命だけは助けて差し上げないこともありませんが……いかがですかな?」
子爵の『恩寵』は、ゴーレムを使役する系統だと、マグダレナさんはそう聞いたことがあると言っていた。
この状況を見るかぎり、恐らく剣をゴーレムとして自在に操るということなのだろう。
僕は周囲に視線を走らせる。
一人や二人なら『生命の樹』を駆使すれば守る事はできるだろう。だが、これだけの人間を守るとなると話は変わってくる。
使える素材は、道に敷かれた日干し煉瓦ぐらいのもの。どうやって皆を守るのか、僕は必死に思考を巡らせる。じわりと額に汗が滲み、焦燥が僕の胸を焼いた。
だが僕が何かを思いつくより先に、マグダレナさんがざわめく兵士達をかき分けて子爵の前へと歩み出た。
そして、彼女は子爵に微笑みかけながら、こう言ったのだ。
「等級Aの人間の前で、等級Bを誇る滑稽さにお気づきですか? お馬鹿さん」
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