第五十 話 芋虫の延長線
姫様とマグダレナさんが姿を消してから、既に五日が経過した。
各部門の長には状況を説明し、名乗りを上げてくれた資材部のシモネさんが、少数の信用できる部下と共に、二人の行方を追ってくれている。
だが、その足取りは一向に掴めていない。
僕自身について言えば、ここ数日はロジーさんにも出来るだけ、傍に近寄らないようにして貰っていた。
姫様もロジーさんも居ない独りの部屋はとても静かで、両親が亡くなって夜露をしのぐ家をも失い、貧民街の路地裏で膝を抱えていた時期を思い出す。
死を間近に迎えた老犬の目のような絶望に満ちた風景。
あの時、男爵様が偶々通りかかって、僕に声を掛けてくれなければ、今頃僕は名も無い孤児の死体として、共同墓地の隅の冷たい土の下にいたことだろう。
寂しいとは思うけれど、自分自身が招いたことだ。
僕は自分が信用できなくなっていた。
またあの苛立ちに囚われて、彼女に大人げない言葉をぶつけてしまうのではないか、そう思うと怖くて仕方が無い。姫様を失い、その上ロジーさんまで失ってしまったらと思うと、怖くて仕方が無いのだ。
苛立ち混じりに怒鳴りつけるだなんて、幼児性の発露でしかないのは分かっている。
たぶん僕は、まだ大人になり切れていないのだろう。
思えば幼い頃には、ある日を境に『大人』になるのだと、漠然とそう思っていたような気がする。
芋虫と蝶に類似性を見いだせないように、子どもから大人へと、全く別のものになるのだと、そう思っていた。
だが、実際成人してみても、なにも変わらない。
相変わらず、僕は幼い頃から続く延長線の上にいる。
僕が目指すべき立派な王様は、この延長線上にあるのだろうか?
今の僕には、それがとても疑わしいように思えた。
心の内側の事は自分一人の苦悩でしかないが、実務面はそうはいかない。
マグダレナさんの不在は様々な問題となって、僕の前に立ちはだかった。
日々の細かい実務はパーシュさんが対応してくれているので、それほどでも無かったが、問題は彼では対応できない事。
すなわち、前例に則して処理できない出来事だ。
それは僕の元へと持ち込まれ、一つ一つ判断を求められることになる。
食堂のテーブルを挟んで疲れた顔をしているパーシュさん。彼が今、持ち込んで来たのは、まさにそういうものだった。
「砂猫族と建設部の兵との小競り合いの件ですが……負傷者は陛下が治療してくださったので大事には至っておりませんが、剣を持ち出した兵の処罰を巡って、建設部のレヴォ殿から嘆願が入っています」
「嘆願? 抗議ではなくて?」
「はい。レヴォ殿は陛下の苦しいご状況を理解されていますので……」
パーシュさんはとても言い難そうに口籠り、一呼吸の間を置いて、おずおずと口を開いた。
「兵士達の不満が高まっていて、これ以上抑えるのは難しい状況なのだと、そう仰られておりました。確かに剣を持ち出したのは建設部の兵ですが、最初に声を荒げたのは砂猫族の方なのだから、いくら負傷したとはいえ、砂猫族に何の罰もないのは納得できない。そう部下たちに詰め寄られているのだとか……」
僕は思わず、頭を抱える。
実際、この数日の間に砂猫族と兵士達の関係は、著しく悪化していた。
その最大の原因は、マグダレナさんと姫様が城砦を出たという噂が流れたことだ。
兵士達の多くは、元々はマグダレナさんの部下なのだ。
いくら僕が『神の恩寵』を所持しているとは言っても、僕を王様として推戴してくれているのは、マグダレナさんがそう指示したからという事が大きい。
兵士達の中には、マグダレナさんが僕を見限ったのであれば、自分達もこの国を出て、彼女の後を追うべきではないかと言い出している者もいるらしい。
一方で、砂猫族の忠誠心は、僕だけに向けられている。
彼らにとって僕は神様であり、マグダレナさんや姫様はその付属物でしかない。
むしろ姫様が居なくなったのであれば、彼らの長であるコフィを神様の伴侶として迎えてもらえるのではないかと、期待を露にする者までいるそうだ。
これだけ考え方が違えば、そこには当然、軋轢も生まれる。
「あの……陛下?」
「あ、すみません。ちょっと考え事をしてしまって」
気が付けば、パーシュさんがじっと僕を見ていた。
人生は選択の繰り返しだとはいうけれど、日々、これほど選択と判断を求められることになろうとは想像もしていなかった。
これまで余程重要な事項でなければ、マグダレナさんが処理してくれていたのだろう。
とはいえ、今は僕が判断しなければならない。本当にどうしたものか……。
正直、パーシュさんの視線には、僕が下す判断を心配しているような雰囲気を感じる。
僕は王様なのだ。正しい判断を下さなくてはならない。
だが、気が付けばいつのまにか、『マグダレナさんならどう判断するんだろう』、そう考えている自分に気付いて、僕は思わず唇を噛んだ。
◇ ◇ ◇
午後になって、キップリングさんとバルマンさんが面会を求めてきた。
食堂でテーブルの向かいに座った二人の表情は優れない。
パーシュさんのように疲れ切っている訳ではないが、キップリングさんの表情は不安げで、バルマンさんの表情には、腹立たしさのようなものが見て取れた。
「おい、坊主……貴族上がりの連中が、反乱を企ててやがるぞ」
バルマンさんがそう口にすると、キップリングさんが慌てて口を開いた。
「お、おい! バルム! 誤解を招くような言い方はやめてくれたまえ! 私やレヴォ殿も貴族出身だが、そんなことは毛ほども考えていないぞ。むろんシモネ殿もそうだろう」
兵士の中で貴族出身者は十一名。
そのうち今名前が出た三名を除いた八名は、キップリングさん達と違って、役職を与えられていない。
迂闊としか言いようが無かった。マグダレナさんという重しがなくなった以上、真っ先に暴発する可能性があるのは、その八人ではないか。
「誰か……反乱を起こしそうな人がいるんですね?」
「ああ、そうだ。建設部のジョルジュってヤツが、周りを焚きつけてやがる。ウチの連中にも好き放題なことを吹き込んでやがったから怒鳴りつけてやったが、内心アイツに共感してるヤツもいるだろう」
「レヴォ殿は準男爵家、ジョルジュ殿は傍流とはいえ伯爵家の血筋。従来の中央の軍制に従えば、ジョルジュ殿がレヴォ殿の下につく事はありえない訳ですが、彼はマグダレナ様に異常なほど心酔しておりましたから、これまで不満を見せることも無かったのですが……」
キップリングさんが溜息を吐くと、バルマンさんは鋭い目つきを僕に向けた。
「こりゃあ、俺の勘だがやっこさん、ほっといたらあのクラウリって野郎を担ぎ上げるぞ」
だが、キップリングさんは首を振る。
「私はそうは思わないがね」
「そうなんですか?」
「ええ、クラウリ子爵にその気がなければ、担ぎ上げようもありません。先日もクラウリ子爵は農地の見学に起こしになられたのですが、隠居の身ゆえ自給自足の生活をするのも悪くない。そう仰られて、ずいぶん熱心にご質問を受けました」
「だからお前はお坊ちゃんだと言ってるんだ、キップ。あの子爵はお前の他には誰とも目を合わそうともしなかったんだぞ。貴族以外は眼中にねぇ。そんなヤツが農業なんてする訳ねぇだろ」
「キップリングさん、子爵はどんな質問を?」
「は、はい。いつかご自分でも農地を持ちたいと思っている。この土を他に移しても同じような収穫量を得られるのかどうかと……」
キップリングさんがそう口にしたのとほぼ同時に、けたたましい音を立てて扉が開いて、パーシュさんが食堂へと飛び込んで来た。
「陛下! た、大変です! 砂猫族と兵士達が睨みあっています。今にも衝突しそうな状況です!」
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