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第四十九話 兄として

「なんで……あんなことを言った?」


 口を衝いて出たその言葉は、誰かに感銘を与える訳でもなく、ただ宙を漂って、居心地悪そうに消えた。


 ロジーさんは、いつもにも増して無表情。


 弱音を吐けば慰めてくれるものだと、そう思い込んでいた僕自身の、彼女への依存っぷりにちょっと驚いた。


 結局、姫様は朝になっても部屋に戻って来なかった。


 戻ってきたら、謝って、少し甘えさせてあげれば、元の関係に戻るものだと、そう思い込んでいた自分の傲慢さに、ただ羞恥(しゅうち)する。


 王様という地位と、僕の未熟さとの間には、埋めがたい溝があった。


 僕はそれに気付かなかった。


 いや、目を背けていただけかもしれない。


 部屋の中を見回しても、只でさえ少ない姫様の荷物は、何一つ無くなっていない。


 姫様が使っていたベッドを見ても、シーツに乱れ一つ見当たらなかった。


 彼女は身一つで出て行ったのだ。


 姫様の帰りを待っているうちに寝落ちした僕を、揺り起こしたロジーさんの第一声は、問い質すような硬い声音(こわね)


「坊ちゃま。一体、お二人に何をされたのです?」


 そして、彼女の口から、姫様とマグダレナさんが、この城砦を出て行ったことを教えられた。


「い、今からでも追いかければ……」


「どちらへ向かわれたか、お判りなのですか?」


「……それは」


 ロジーさんは肩を竦めるでもなく、溜息をつくでもなく、微笑む訳でもなく、怒る訳でも無かった。彼女は、ただ僕をじっと見つめていた。


 僕には、その視線が僕を責めているように思えた。


「姫様達が出て行くのを目撃した兵士達には口止めいたしましたが、秘密はいずれ漏れるものです。どうなさるおつもりですか?」


「知りませんよ! そんなこと!」


 僕は思わず声を荒げる。


 どうしろというのだ。自分が未熟な事ぐらい分かっている。未熟な人間が未熟なままに拙い悪あがきをしたところで、相応の結果しか生む訳無いじゃないか。


 イラ立ちが収まらない。


 今度はロジーさんを理不尽に怒鳴りつけようとしている自分自身に気付いて、僕は慌てて背を向ける。


 僕はそのまま、廊下と部屋を隔てる扉へと足を向けた。


「坊ちゃま! どちらへ」


「散歩ですよ! エルフリーデに、お風呂の用意をさせておいてください!」


 振り返りもせずに扉を閉じる。階段を一つ降りたところで、クラウリ子爵夫妻に出くわした。


 相変わらず陰気な顔に引き攣った様な微笑みを浮かべている。夫人の方は相変わらず、にこりともしない。正直、あまり顔を合わせていたい相手ではない。


「これは、陛下。本日もご機嫌麗しゅうございますな」


 どのあたりをどうみたら、機嫌よく見えるんだか……。


 とりあえず微笑もうとはしているが、上手く微笑むことが出来ているかどうかは分からない。


「クラウリ子爵、こんなところで何を?」


「散歩でございますよ。この歳になりますと、毎日の運動は欠かせませんので。とはいえ、勝手に外を出歩けば、あらぬ疑いを受けかねませんからな。お与えいただいた部屋の周囲を、ぐるぐると歩き回っておるという次第です」


「外を出歩いていただいても問題ありませんよ。なんなら護衛を一人つけましょう」


「それは、ありがとうございます。陛下のお慈悲に、こころからの感謝を」


 大袈裟に頭を下げる子爵を尻目に僕は階段を降りていく。途中、兵士達が何やら言い争っているのを見かけた。僕が顔を出せば、争いを止めるぐらいのことは出来るのだろうが、今はそんなものに係わりあっている気分じゃない。


 いつも通り、僕は城壁の上に登って周囲をぐるりと見回す。


 無論、姫様達の姿を見つけることなど、出来はしない。


 僕はしばらくそこで、何をするでもなく遠くを眺め、そして浴場へと向かった。


「坊ちゃま。お風呂のご用意は出来ております」


「ああ……えーと、ありがとう」


 エルフリーデは、いつもの白い水着姿で僕を待ってくれていた。


 浴槽に浸かってしばらくすると、まるでお湯に溶けていくかのようにイラ立ちが収まっていくのを感じた。何をあんなにイライラしてたんだろう。


「坊ちゃま、お湯加減はいかがでございますか?」


「うん、ありがとう。丁度いいよ」


 エルフリーデと背中合わせに湯船に浸かり、彼女にもたれ掛かるように目を(つぶ)る。


「エルフリーデは、姫様達のこと……知ってるの?」


「……存じ上げてはおります。何があったかまでは伺っておりませんけれど」


「そうか……。あれは……僕が悪いんだよ。姫様を怒鳴りつけて、ロジーさんと比べるような事を言った」


「左様でございますか」


 そして一呼吸の沈黙の後、エルフリーデは静かにこう言った。


「おめでとうございます。お義兄(にい)さま」


「は?」


「だってそうでしょう? 打算や恩寵(ギフト)目当てなら、メイド長様と比べられたとしてもきっと平然とされておられる筈です。ですから、お義兄(にい)さまの妻となる方は、確かに……お義兄さまに愛されたいと、そう思っておられるということですもの」


 エルフリーデがこんな事を口にするなんて……正直驚いた。


 彼女も着実に成長している。


 もはや、あのわがままなエルフリーデでは、ないのかもしれない。


 僕は、成長しているのだろうか?


「探し出して謝りたい……けど」


「それなら、きっと大丈夫ですわよ。マグダレナ様がご一緒なのでしょう? あの方のことです。きっと、なにかお考えがあるのではないかと……」


「考え?」


「え? あっ、な、何かはわかりませんけれど……えーと、女の勘ですわ」


「勘か……」


 僕が思わずため息を吐くと、エルフリーデは振り返って、背後から僕の首を抱きかかえる。お湯の温かさとは違う素肌の温かさが背中に触れた。


「お義兄さま、過ちを償うことの難しさを一番知っているのは、たぶん私だと思うのです。その私が申し上げるのですよ? きっと大丈夫です」


 そして、エルフリーデは僕の耳元で囁く。


「私はお義兄さまを……信じておりますから」


 その一言は、僕の心の一番柔らかな部分に触れた。


 僕は思わず湯船に顔を沈める。こんな顔を見られたくはなかったから。


 それからしばらくの間、エルフリーデは無言のまま、背後から僕を抱きしめていてくれた。


 浴場を立ち去ろうとする間際に、僕はエルフリーデに問いかけた。


「ねぇ、エルフリーデ。僕の義妹(いもうと)に戻りたい?」


 すると、彼女は少し考えた末に、ふるふると首を振った。


「お義兄さまとはお呼びしたいですけれど……今は、もっと成りたいものがありますので」


「……そうか」


「はい!」


 僕の義妹だった少女は、僕が気付かなかい内に、確実に成長している。


 みんなと触れ合って、思う所があったのかもしれない。


 彼女が何を目指すのかはわからないけれど、応援しようと思う。


 義兄として。



 ◇ ◇ ◇



 深夜、私は一人、城砦を抜けだして、オアシスの対岸。粘土の採掘場所に建てられた掘っ立て小屋へと向かった。


 道なき道を歩いていると時折、ぽちゃん! と、何かが湖へと飛び込む音が響く。


 深夜の水辺は恐ろしいけれど、お義兄さまのためだと思えば我慢できる。


「マグダレナさま、開けてください。エルフリーデでございます」


 扉の向こう側には、照度を下げたカンテラの薄灯り。その下には、マグダレナ様とひどく落ち込んだ表情の姫様、それに資材部の長であるシモネ様が(たたず)んでいた。


「ご苦労様です。エルフリーデさん。我が王の様子はいかがですか?」


「はい、随分落ち込んではいらっしゃいましたが、お()……坊ちゃまは大丈夫です」


「他に異常は?」


「はい! (おおむ)ねマグダレナ様の仰った通りです。兵士達の一部に、他人に対してやけに攻撃的になる者が出ておりますわ」


「ふむ……」


「あの……マグダレナ様。子爵が怪しいということなら、早く手を打った方が……」


「慌ててはいけません。証拠も無しに子爵を断罪すれば、この先、誰も我が国に帰順しようというものはいなくなります」


「でも……」


「ですので、一気に事態を悪化させます」


「え!? 悪化!? 悪化ですか?」


 私は思わず目を見開いた。


「ええ。荒療治ですが、じわじわと時間をかけて浸食されるより、調子に乗らせて、一気に尻尾を出させます」


 マグダレナ様はそう仰ると、シモネ様へと、こう指示を出した。


「明日から兵士達に、私とディートが城砦を見捨てて逃げたという情報を流してください」

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