第四十八話 崩壊
姫様へと顔を突きつけるクラウリ子爵。
その無遠慮さに、僕は正直ムッとした。
独占欲が強いと言われても仕方がないけれど、他の男が姫様にあれだけ近づくのは、なんとなくイヤだ。
それに、彼はマグダレナさんと姫様、そして僕のことを知識も経験もない若造どもだと、甘く見ている。いや、見下している。
たぶん今、僕の表情は相当渋いものになっていることだろう。胸の内のイラ立ちを、次第に隠せなくなってきていた。
クラウリ子爵の妻と目が合って、僕は慌てて愛想笑いを浮かべる。
すると、その愛想笑いが自分に向けられたものだとでも思ったのか、彼は、まるで演説でもするかのように両手を広げて、声高に語り始めた。
「そもそも! 街中で見かけましたが、あの半人半獣の輩、ああいうのはいけません。あんなのと人間を同列に扱うという事は、人間の尊厳を損なうものです!」
半人半獣の輩――おそらく砂猫族のことだろう。
腹立たしい物言いではあるが、王国の人間としては、それほど個性的な考え方ではない。
「更に! 更にいうならば、平民と貴族の序列は明確に分けねばなりませんよ。一緒になって働くのが尊い? 馬鹿なことを言ってはいけません。それは神が与えたもうた役割を損なうものです。貴族には貴族の! 平民には平民の! それぞれの分というものがあるのです」
完全に自分の言葉に酔っている様子のクラウリ子爵。
マグダレナさんは僕と目が合うと、苦笑いを浮かべた。
どうしようもないおっさんだと、呆れた表情を浮かべている。
だが、僕の胸の内のイラ立ちは、もはや臨界点。
このおっさんに、思い知らせてやりたい。
さっきから胸の内に、そんな思いが湧き出していた。
僕は、クラウリ子爵に問いかける。
「貴族と平民が同列というのは、あり得ませんか?」
「フッ……ありえませんな」
僕のその問いかけを、子爵は一笑に付す。
くっそー……腹立つおっさんだなぁ。
「じゃあ、平民が貴族の上に立つことは?」
「国を滅ぼす暴挙。そうとしか言い様がありません」
「……じゃあ子爵。滅びる前に、逃げた方がよいでしょうね」
僕のその一言に子爵は、怪訝そうな顔をして、片方の眉を跳ね上げた。
「それは……どういう意味ですかな? 陛下」
「僕、貴族じゃないんですよね」
「それは先程伺いました。確かに出自はそうかもしれませんが、ラッツエル男爵に認められて、養子になられたのですから、何も問題はありますまい。陛下には、きっと貴族の血が流れておられる」
「いや、そうじゃなくて……その話には続きがあるんですよ」
「続き?」
「確かに養子には入ったんですけど……ね。ラッツエル家を追い出されて、最後は下男に落とされたんですよね、僕」
「は?」
「いや、今、言った通りですよ。僕が貴族だったのは、わずか半年だけ。この国の王になった時には、僕、下男でしたし」
クラウリ子爵の青白い顔、そのこめかみに青筋が走る。
「陛下……っ、私を謀ったのですか?」
「やめてください。人聞きの悪い。単にあなたが僕の話を、最後まで聞こうとしなかっただけです」
僕は胸の内で舌を出しながら、クラウリ子爵の様子を窺う。
子爵はこめかみをピクピクさせながら、身体を小刻みに振るわせている。だが、その隣の彼の妻は顔色一つ変えずに、扇で口元を隠したまま、じっと僕の方を見つめていた。
……なんだろう。
やり込めてやったというのに、どうにもすっきりしない。むしろ胸の内のイラ立ちが、さらに膨らんで行くような気さえした。
「子爵……あなたには分からないかもしれませんが、血がその人間の価値を決めることなど有り得ない。僕はそう思っています。よくできた庶民もいれば、どうしようもない貴族もいます」
「……皆を平等に扱うなど、夢物語ですぞ。腐った果実は他の果実を腐らせる。底辺のものに引きずられて、全体が不幸になるのは目に見えております」
「底を上げていくことは出来るでしょう? とはいえ、僕も全員が全員、幸せになれるなんて思っていませんし、頑張れば、必ず報われるとも思っていません」
「無責任ではありませんか!」
「無責任? ……血によって地位が決まるような、頑張っても報われない国よりも、頑張れば報われる可能性がある。そんな国の方が、僕には良い国だと思える。ただそれだけです」
「ぐっ……」
クラウリ子爵は、下唇を噛みしめて、プルプルと拳を震わせる。
激昂して、出て行くだろうか?
僕がそう思ったのと同時に、子爵の妻が彼の肩を叩いた。
そして、目を血走らせた子爵の顔を覗き込むと、彼女は小さく首を振る。
その途端のことである。
クラウリ子爵は、まるで、そこで命の灯が途切れたかのように、だらりと肩を落とした。
そして、彼は妻の方へと顔を向けて、寂しげな微笑みを浮かべると、弱々しくこう呟いたのだ。
「どうやら……私達の時代は、もう終わっていたらしい」
その瞬間、マグダレナさん、姫様、僕、三人揃って思わず同じ顔になった。
それは困惑と驚きの入り混じった微妙な表情。
それほどに、彼の態度は意外だったのだ。
クラウリ子爵は弱々しい足取りで僕の方へ歩み寄ると、やっぱり弱弱しい挙動で、僕の鼻先へとぬっと顔を突きつけてくる。
うん……こんなに弱弱しくても、距離感がおかしいのは変わらないらしい。
「わかりました。ですが、陛下……私も既に齢五十を数え、これ以上、長旅に耐えるのは難しい。さりとて、いまさら考えをあらため、若者たちの中に混じって、共に労働に歓びを見出すのもまた難しいのです。願わくば、この町の片隅に小さな家を建てさせていただいて、妻と二人、静かに余生を過ごさせていただきたい。それをお許しくださいますかな? 私が連れて参った私兵達は、他の兵士達同様に、陛下にお仕えさせていただければありがたい。彼らもきっと喜びましょう」
その態度の変化に、僕は正直戸惑った。
ちらりと目を向けると、彼の妻はやっぱり口元を扇で隠したままじっと僕を見つめている。
僕と目が合うと、彼女は静かに目を伏せた。
ダメだ。イラ立ちが収まらない。
何を勝手なことを言っているのだ、このおっさんは。
僕が怒鳴りつけてやろうとした、その瞬間――
「クラウリ子爵。それは少し虫が良すぎるのでは?」
マグダレナさんが口を開くと、今度は彼女のその物言いに、言い様も無いイラ立ちが湧き上がる。
……僕を差し置いて、口を挟むなよ。
彼女の嫌がることをしてやりたくてしかたが無い。
「分かりました。子爵。いいでしょう。お二人の部屋を城砦内に用意させます。家が出来るまでは、当面、そちらでお過ごしください」
僕のその言葉に、マグダレナさんが、不快げに眉を顰める。ざまあみろ。
そして、僕は兵士を呼んで、子爵夫妻を部屋に案内させた。
二人が食堂から出て行くとすぐに、マグダレナさんは僕の方へと歩み寄ってきた。
「我が王、騙されてはなりません。クラウリ子爵は……彼は、何かを企んでいます。今からでも遅くはありません。すぐに追放すべきです」
どこか非難めいた、マグダレナさんの声音。
イライラする。
彼女の声が金属に爪を立てるような不快な音に思えて、僕は思わず眉間に皺を寄せる。
「考え過ぎじゃないですか? あんなに弱々しい人が、何か企んでいるなんて思えませんよ。酷く疲れたような顔してましたし……」
「彼はもともと、ああいう顔なのです」
「それに、何かを企んだとしても、彼一人で何ができるっていうんです? 彼の兵士は、全て僕に仕えさせるって言ってるぐらいですし……」
「お忘れですか? 我が王。彼は等級Bの『恩寵所持者』なのですよ。それに、兵をさしだしたのも彼の策かも知れません。彼の息のかかった工作員が、兵士の中に紛れ込むことになりかねません」
……この人は、あんな弱々しい男を追いやることに、どうしてこんなに必死なんだ?
この女の方こそ、なにかを企んでいるんじゃないのか?
「マグダレナさん。過去はどうあれ、僕は弱い者いじめはしたくないし、年寄りには優しくしたいし、自分を頼ってきた人の手を払いのけるのは良くないことだと思うし……」
僕がそう口にしながら、マグダレナさんの方に目を向けると、彼女は表情のない顔で、じっと僕の方を見ていた。
なんだよ。その目は。
まるで僕のことを見限ったみたいな、その目は。
どういう訳か。たまらなくいら立つ。
文句があるならいくらでも聞くのに、なんで、そんな言っても意味がないみたいな態度なんだ?
僕が思わず下唇を噛むと、姫様が恐る恐る口を開いた。
「リンツさま、私も先生の仰る通りだと思うのです。あの方は疑ってかかるべきだと……離反工作の専門家ですし」
「姫様まで……」
「我が王、あなたが優しい方だというのは、存じあげています。さもなくば、ディートを守って城砦まで連れて来てくださるようなことは無かったでしょう。ですが、優しさと、情に流されるのは似て非なるものです」
情に流される? 僕が? 馬鹿馬鹿しい。
僕は、貴女に腹が立っただけだ。
「マグダレナさん、あなたの方こそ、クラウリ子爵に若造よばわりされて、面白くないだけなんじゃないですか?」
「リンツさま!? それはいくらなんでも……」
声を上げる姫様。
マグダレナさんは彼女の肩を掴んで押しとどめると、声を震わせた。
「……なるほど、そう思われますか?」
「僕は王様なんですよね? すこしぐらい僕の言うことを聞いてくれてもいいじゃありませんか!」
僕が声を荒げると、姫様が「ひっ」と声を喉に詰める。マグダレナさんは真剣な顔をして、じっと僕の目を見つめた。
「我が王……残念ながら、私達は既に子爵の策にはまってしまったのかもしれません」
「策?」
「現に我々は今、言い争っているではありませんか」
なにが策だ、馬鹿馬鹿しい。
自分の勝手な態度を、僕をいら立たせた責任を、あの弱々しい男に押し付けるつもりか?
もう我慢の限界だ。
その時、姫様が口を開いた。
「リンツさま、正気に戻ってください!」
姫様は、マグダレナさんの肩を持つんだ?
そう思った途端に、感情が爆発した。
「わかりました! 姫様も結局、大事なのは、僕じゃなくて、僕の『恩寵』なんですよ! 僕のことを大切にしてくれるのは、やっぱりロジーさんしかいないんだ!」
その瞬間、パンッ! と破裂するような音が響き渡って、僕の頬に鈍い痛みが走る。
姫様に頬をぶたれたのだ。
「リンツさまなんて……きらい! 大嫌いですっ!」
姫様は涙を浮かべて僕を睨みつけると、振り返りもせずに扉の向こう側へと駆け出していく。
呆然とする僕を、マグダレナさんがじっと見つめている。
感情の無い目。全てを見透かしているみたいなその目が、僕の中で渦巻いているイラ立ちを、更に煽った。
「出て行って……ください」
僕がそう言うと、マグダレナさんは静かに目を閉じる。
そして、彼女は僕に背を向けた。
扉の閉じられる音を聞きながら、僕は力なく立ち尽くす。
いら立ちは、尚も収まる気配はない。
「なんだよ……ちくしょう!」
僕は手近な椅子を蹴り上げると、そのままその場に座り込んだ。
――マグダレナさんと姫様が城砦から出ていった。
僕が、ロジーさんからそう聞かされたのは、翌朝のことである。
お読みいただいてありがとうございます!
逆転の為の屈伸ですので、この一話は我慢してやっていただけると助かります。
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