第四十七話 なんで気付かなかった?
「陛下、クラウリ子爵には、こちらでお待ちいただいております」
この城砦には、玉座の間なんて気の利いたものはない。そもそもが左遷先だったのだから、王族が滞在することなど考慮に入っていないのだ。
そんな訳で、パーシュさんがクラウリ子爵夫妻を待たせているのは、いつもの兵士用の食堂である。
ちなみにクラウリ子爵の私兵達は、食事を与えて、城砦の外で待機させ、建築部の兵士達に監視させている。
用心するに越したことはないのだ。
「我が王、よろしいですか?」
ドアノブに手を掛けて振り向くマグダレナさん。
僕がコクリと頷くと彼女は扉を開き、僕と姫様は彼女の後について食堂へと足を踏み入れる。
扉が開いたのに気付くと、クラウリ子爵とその妻は立ち上がって、僕らを迎え入れた。
「ご無沙汰しております。クラウリ子爵」
「……やはり貴女か、ジーベル伯爵家のマグダレナ殿。貴女も健やかなご様子で結構なことだ」
「ふふふ」
「ははは」
二人とも穏やかな微笑みを浮かべているが、恐ろしい事にどちらも目は笑っていない。
そして、クラウリ子爵は姫様の方へと目を向けて、怪訝そうな顔をした。
「ディートリンデ姫……そのお姿は一体」
姫様は今も男装のままだ。
一介の兵士達と変わらない短衣とズボンに短い髪。以前の姫様の姿しか知らなければ、戸惑いもするだろう。
「これは……」
「あ、いや、結構です。姫」
クラウリ子爵は姫様の言葉を遮ると、僕の方へと目を向けて「分かっている」とばかりに、にんまりとした笑いを口元に貼り付ける。
……絶対、何か誤解してる。僕の趣味じゃないから!
しかし、頬のこけた、只でさえ陰気な顔立ちに痩せた身体。そんな男がにんまりと笑うと、完全に何かを企んでいるようにしか見えない。
離反工作の専門家だと聞いているが、何かあれば真っ先に怪しまれるんじゃないだろうか?
一方の奥方の方へと目を向けると、派手なドレス姿。ファーのついた扇で口元を隠しながら、じっと僕の方を見ている。
目つきは悪く、見るからに傲岸不遜。カマキリの腕みたいな細い眉の間に皺をよせていた。
歳はずいぶん離れているが、似た者夫婦とでも言うべきか、ただ顔を合わせているだけで、思わず顔が引き攣る。
だが、そんな僕の様子を気にもかけずに、子爵はマジマジと僕の目を眺めて口を開いた。
「なるほど虹彩異色でいらっしゃったか……。それならば『神の恩寵』をお持ちだというのも納得がいく。……して、リンツ陛下はどの家の方か?」
「……僕は商家の生まれで、平民ですけど?」
「なっ!?」
「一応、ラッツエル男爵家に養子として入りましたが……」
僕がそう言うと、クラウリ子爵は、まるで安心したとでもいう様に大きく息を吐いた。
「な、なるほど、ラッツエル男爵が認めた人間であれば、間違いはないでしょう。私も彼とは親交が深い。その虹彩異色といい、おそらく数代前は貴族の家柄に違いない」
子爵は、自分に言い聞かせる様にそう言って、一人でうんうんと頷いている。
だが、目的は彼を怒らせて出て行かせることなのだ。ここまでは計算通り、この後「すぐに下男に落とされたけどね」そう言ってやろう。僕はそう思っていた。
だが――
「ラッツエル男爵とは、出立前に西クロイデルでも酒を酌み交わしたが、相変わらずの慧眼の持ち主であった」
その一言で、そんなのはどこかへ吹っ飛んでしまった。
ちょっと待って!?
男爵様が西クロイデルにいる。
今、この男はそう言ったのか?
……どうして気付かなかったんだろう。
ラッツエル家の当主である男爵様は、等級AかBの持ち主。
当然、あの舞踏会にいるべき人間だった筈だ。
だが、どれだけ記憶を振り返って見ても、王宮で男爵様を見かけた覚えはない。
エルフリーデからもマルティナ様の話が出ることはあっても、男爵様の話が出た記憶はない。なんでだ?
「どうなさられた? 顔色が優れないようですが……」
「い、いや……男爵様が西クロイデルにいらっしゃったのですか?」
「ええ、西クロイデルの王宮で、たまたま出会ったのですが、中央がこんな状況ゆえ、亡命されたとそう仰られておりましたな」
あの舞踏会から生きて逃げ延びた?
いや、そうじゃない。
男爵様はあの舞踏会に出なかったのだ。
こうなることが分かっていた。そう考えるのが妥当だろう。
黙り込んでしまった僕の顔を覗き込んだ後、姫様が口を開いた。
「クラウリ子爵、それは少しおかしな気がいたしますけど?」
「何がでございますか?」
「ラッツエル男爵が西に亡命した……要は西クロイデルは貴族の亡命を受け入れているというのに、あなたはなぜその西クロイデルを脱出してこられたのです?」
それはそうだ。爵位でいえば男爵よりも子爵の方が上。それがどうして状況もよくわからぬままに、こんな荒野へと逃げてこなくてはならなかったのか?
だがクラウリ子爵は、慌てる様子も無く、小さく肩を竦めて言った。
「姫様、私も王国の為に様々な工作を行って来た人間です。西クロイデルには、常に怪しまれております。王国がある間はともかく、後ろ盾がなくなった今、真っ先に取り調べを受ける人間なのですよ」
怪しまれているのは、工作を行って来たからじゃないと思う。
だってもう、存在が怪しいんだもの。
そして、彼は僕の方へ迫ってくる。
「それに、王国を脱出されたディートリンデ姫が荒野に国を興したと小耳に挟んで、これはお力にならねばならぬと、一も二もなく駆け付けたと、そういう訳です」
近い。顔が近い。
「そ、そうですか……」
「ええ、そうです。君主はディートリンデ姫ではなく、あなただというのには少々驚きましたが、まあ、ご安心ください。この私が参ったからには、国というものの在り方をきっちりと示し、どの国にも劣らぬほどの国家に仕立て上げてみせます」
「いや……そういうのはマグダレナさんで間に合ってるというか……」
「陛下。確かに彼女は優秀でしょう。しかし、まだ若い。理想と現実の違いが分かっておらぬのです。危うい。危ういのです。彼女は自分の理想をあなたに押し付けて、国を誤らせようとしております」
途端にマグダレナさんの表情が、不愉快げに歪むのが見えた。
「……本人を目の前にして、よくもまあそんな事を言えますね」
「事実だからな。貴女の危うさを見かねた王に、辺境へと追いやられたことを忘れてはおるまい?」
すると、
「それは、お父様の方が間違っておられたからです」
姫様が話に割り込んで、クラウリ子爵を睨みつける。
だが、クラウリ子爵は怯む様子もなく、今度は姫様の方へと詰め寄ると、その鼻先に顔を突きつけて、姫様は顔を引き攣らせる。
近い、近い!
この人、距離感がおかしい。
「姫、あなたまで。騙されておられますぞ! 私が一から王妃として、また陛下には王としての振る舞いを、指導して差し上げましょう」
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