第四十五話 おうちむし
マグダレナさんが連れてきたのは、若い男だった。
年の頃は十八か十九。たぶん二十歳は超えていない。背は高いがレヴォさんのような巨体ではなく、ひょろっとした細身で、頭に水色のターバンを巻いた、穏やかな顔つきの男だ。
「アルニマ商会の三男坊で、サッキと申します」
「アルニマって……あの?」
「ええ、たぶん、お考えのアルニマで合ってると思いますね」
アルニマ商会といえば、王都に幾つもの店を構える大店だ。
僕の亡くなった父も商人だったが、その父の口からアルニマ商会の名は何度も聞いたことがある。
「意外そうな顔ですねぇ」
「それは……まあ」
これまでこの城砦に辿り着いた人々の多くは、どちらかと言えば貧しい人々が多い。
マグダレナさんが言うように、中央クロイデルが個人の資産を取り上げるような方策を取るのであれば、商人達は当然、国外に流出することだろう。
だが、下手な貴族よりも財力のあるアルニマ商会が国外に移るとしても、普通に考えれば、その移転先は海のものとも山のものともわからない新しい国ではなく、東クロイデルか西クロイデルになるはずだ。
「まぁ、そうでしょう。うん、そういう反応になりますよね。少なくともアルニマの人間が逃げてくるような場所じゃない。うん、アタシもそう思いますよ。ただねぇ……ウチの親父殿の方針でしてね。リスク分散。わかります? 中央があんな状況ですからね、アタシら兄弟はそれぞれ、東、西の支店にバラけましてね。で、三男のアタシは貧乏くじ……失礼。ここに送り込まれたってわけです」
つまり、どこの国が滅亡しようが衰退しようが関係ない。アルニマ商会は生き残る。どうやら、そういうことらしい。
「まあ、失礼だとは思いますけどね。貧乏くじってのは、正直な感想です。なにせ、貨幣も発行されてないし、店一つないこんな集落を国といわれてもね。ましてや、こんな人の良さそうな坊っちゃんが王様じゃ、将来だってろくに期待できません」
サッキは、そう言って肩を竦める。
普通なら怒るところかもしれないけれど、余りにも正論すぎて反論する気も失せる。
そして、名ばかりとはいえ、地位の差を恐れる訳でもなく、これだけのことをズケズケと言い放つサッキという男に、僕は好感すら覚え始めていた。
だが、周囲の者達にとっては、そうではなかったらしい。
真っ先に反応したのは、エルフリーデ。
彼女は眉を跳ね上げて、サッキに突っかかった。
「たかが商人風情が! か、神にも等しいお義兄……坊ちゃまに、なんという口の利き方を!」
だが、サッキは小さく肩を竦めただけ。
「いやいや、お嬢さん、そこは神にも等しい方だからですよ。こんな商人の戯言に目くじらたてるような、心の狭い神様なんて聞いたことありませんからね」
「ぐっ……!」
おお、すごい。たった一言でエルフリーデをやりこめてしまった。
なるほど、これ以上の反論は、僕の心が狭いと言っているようなものだ。
もしかしたら、このサッキという男は、僕が思っている以上に、やり手なのかもしれない。
そして、サッキは勝ち誇るような素振りを見せるでもなく、商人らしいと言えばよいのか、品定めするような目をエルフリーデに向けた。
「しかし……お嬢さん、美しいですね。メイドにしておくには勿体ない。どうです。陛下、このお嬢さんをアタシに譲っていただくことはできませんか? 言い値でお支払いしますよ?」
「な!? しょ、商人風情が、貴族の、わ、私を!?」
「へぇ……お嬢さんは元貴族ですか。ますます良い。中央にはもう貴族なんてのは居ませんが、なんだかんだ言ったって、貴族の看板にゃ弱いヤツが居ますからね。妻に迎えれば、商人として箔が付くってもんです」
「ぼ、坊ちゃまぁ!」
エルフリーデが、不安げな目を僕の方へと向ける。
「悪いけど、それは無理。そもそも人をお金でどうこうしようって発想がおかしいと思うけど?」
「坊ちゃま……」
僕のその言葉に、エルフリーデが嬉しそうに頷いた。
違うから。
エルフリーデだから、断ったって訳じゃないからね。
「なるほど……陛下はそういう考え方ですか。ふむ、じゃあ、アタシが誠意をもって、彼女を口説く分には構いませんね?」
「それは……まあ、本人が良ければ……」
確かに僕がどうこう言うことではないはずなんだけど、それはそれで……なんだかモヤっとする。
「天地が引っ繰り返ったって、わ、私は、あ、あなたなんかに口説かれたりしませんわよ!! べーーーだ!」
エルフリーデが不快感も露わに、舌を出してサッキを拒絶する。
すると彼は、なにか微笑ましいものでも眺めるように、クスクスと笑った。
うん、なんだろう。やっぱり何だかモヤッとする。
その時――
多分、僕の表情が曇っているのを見かねたのだろう。いや、単純に話がちっとも進まないことに、しびれを切らしただけかもしれない。マグダレナさんが、話に割り込んで来た。
「なるほど、なるほど。そういうことなら、あなたがデキる男だというところを、彼女に見せつけるというのはいかがでしょう?」
「ははは。そう来ましたか。で、ずいぶん遠回りになりましたけど、ここへアタシを連れてきたのは、何かやらせたいことがあるのでしょう?」
「ええ、単刀直入に申しますけど、西クロイデルと我が国の間に交易ルートを開いていただきたいのです。我々にはあらゆるものが足りていませんからね」
「なるほど、買い付けですか……失礼ですが、資金はいかほど?」
「ありませんよ?」
「は? 冗談言っちゃいけませんよ」
「冗談を言っているつもりはありません。お金はありませんから、まずは、農作物を売りさばいていただきたいのです」
◇ ◇ ◇
その後、マグダレナさんと僕は、サッキを食糧庫へと連れて行って、彼を絶句させた。
蓄えられている麦の量は一気に流通させれば、西クロイデルの麦農家を全滅させられるだけの規模。その他の農作物もバルマンさん謹製の最高品質だ。西ではどうか知らないけれど、少なくとも中央では、中々お目に掛かれるものではないだろう。
結局、売り買いは全て、サッキに任せることになった。
手数料は五分。
二割を主張するサッキを、マグダレナさんがやりこめて、ここまで抑えた。やり手の商人とはいえ、マグダレナさんに掛かれば形無しである。
だが、たとえ五分でも上手く売りさばけば、これだけで彼は莫大な富を手にすることになるはずだ。
「さて、問題は輸送ですけど……。中央の本店に荷馬車を差し向けてもらえるように頼みますかねぇ……そうなると出発は二か月後ぐらいになりますけど」
サッキが腕組みしながら考え込む。
だが、僕の方には、二か月も待つ気は無かった。
「それなら問題ありませんよ。あなたには、明日出発してもらいます」
「は?」
「夜が明けたら、城砦の正面に来てください」
◇ ◇ ◇
「おはようございます」
翌日早朝、僕とマグダレナさんは、怪訝そうな表情のまま、城砦の正面へと出てきたサッキとその部下三名を出迎えて、にこりと微笑んだ。
「おはようございます……ってのは、ともかく……なんです、これ? 昨日までは無かったと思いますけど……?」
サッキは、僕のすぐ隣に建っている建物を指さす。
それは日干し煉瓦で造った家。
入り口には扉はなく、三方に大きめの窓がついた正方形の家である。
サイズで言えば、長屋の一部屋ぐらいの小さな家だ。
「レヴォさんにちょっと無理を言って、夜の間に建ててもらったんです」
「はあ……?」
「まあ、見ててください」
訳が分からないと言わんばかりに、眉を顰めるサッキに微笑みかけると、僕はその小さな家の壁面に手を当てて、『恩寵』を発動させた。
「生命の樹!」
途端に、その小さな家が小刻みに震えだして、土台から徐々に浮かび上がっていく。
「な、なんです? 何をしたんです?」
戸惑うサッキとその部下たち。その目の前で、小さな家の下から、ズボッ! ズボッ! と音を立てて、昆虫のような節の付いた脚が無数に生えだしてきた。
「ひぃいっ!」
サッキの背後にいた男達は、声を喉に詰めて尻餅をつき、サッキは呆然と立ち尽くしている。
それは城砦蟲の小型版。
言うならば、お家蟲と言ったところだろうか。
「これに乗っていけば、たぶん数日で西クロイデルに辿り着ける筈です」
「乗る!? これに乗るんですか? あ、あの? か、噛みついたりは、し、しませんよね?」
「ははっ、大丈夫ですよ」
「……なるほど、これが神にも等しい力ってヤツですか……。いやぁ……おったまげた。すみません。正直舐めてました。謝罪します」
うんうん。自分の過ちを認められる人は好きですよ、僕。
「ですが……この大きさじゃ、大して物は運べませんね。このお家蟲ってのに、荷車を曳かせるってことですか?」
「いえいえ、そんな必要はありません」
「いや、でも……」
戸惑いまくっているサッキを他所に、僕はお家蟲の中へと声を掛ける。
「コフィ、クワミ。出ておいで」
「にゃ!」
「はい、神様!」
お家蟲の中から、ぴょんと飛び出てきた二人を目にして、サッキは益々眉間を曇らせた。
「なんです? 猫人? この子たちを見世物小屋にでも売って、資金に当てろってことですかい?」
「……冗談でも、次にそんなことを言ったら、お家蟲のエサにしますよ? とにかく、売りさばく農作物は、コフィが呪言で運んでくれます。あとクワミは、コフィの護衛です」
「は? ムガ? なんですって?」
「呪言」
「はぁ?」
僕らがコフィ達を発見した時、彼女は城砦の壁面に空間を作って隠れていた。
あれはコフィの呪言の一つ、『白い部屋』だ。
それは、垂直の壁面に無限の空間を作ることが出来る能力。しかもその中では、時間は止まったままになる。
あの時は、そのおかげでクワミの怪我が悪化せずにすんでいた訳だけれど、農作物を輸送するにあたって、これ以上有効な能力は無いだろう。
そのことをサッキに説明すると、彼は再び絶句した後、コフィの方を熱っぽい視線で眺め始めた。
確かに商人にとっては、喉から手が出る程欲しい能力に違いない。
……あげないよ、絶対。
まあ、クワミが護衛してくれれば、大丈夫だろう。
「頼んだよ、コフィ」
「にゃー! まかせるにゃ!」
僕がコフィの頭を撫でると、彼女は気持ちよさげに目を細める。
そして、クワミは羨ましげに僕の周りをウロウロした末に、自分から、グイっと僕の目の前に頭を差し出した。
「か、神様、ボクもお嬢の護衛、がんばります! ……だから」
「うん、お願いクワミ。頼りにしてる」
僕は思わず苦笑して、クワミの頭を、わしゃわしゃと撫でた。
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