第四十三話 特に何も起こらない日
荒野の天候は、全く変わりがない。
今日も晴れ。
抜けるような青空が、見渡す限りに広がっている。
昼食を終えた後、僕は独り、城壁の上に腰掛けて、北の方角を眺めていた。
もはや習慣と言っても良いだろう。
レナさん達が出発してから、既にひと月以上が経過している。そろそろ、中央クロイデルから、ここへと辿り着く人々がいてもおかしくはないのだけれど……。
だが、地平線の辺りにも、今日も何一つとして変化は見られない。
思わず、ため息が零れ落ちる。
考えてみれば、この一ヵ月の間には、色んな事があった。
とりわけ、一週間前の、あのお風呂騒ぎのことを思い出すと、乾いた笑いしか出てこない。
あれは、フラれたということになるんだろうか?
いや、でもロジーさん自身は、ハーレム筆頭と名乗っているんだから、嫌われてしまった訳ではないのだろうけれど……なんだか、モヤモヤする。
しかし、いくらロジーさんがずっとそばに居てくれるとは言っても、このまま姫様を娶ってしまって、本当にいいのだろうか?
それは、姫様に対して、あまりにも失礼な事なんじゃないだろうか……。
僕は、ブンブンと頭をふって考えるのをやめた。
どうせ、いくら考えても、今の時点では、答えなんて出てこないのだ。
姫様が成人を迎える半年後までに、ゆっくりと考えれば良いことだ。
それはともかく、あのお風呂そのものについては、ありがたく毎日、利用させてもらっている。
無論、マグダレナさん達には、僕がお風呂に入る時は、一人で入るということを強く宣言して、僕の入浴中に許可なく入って来た者は死刑! とまで言い切ってやった。
だが、実に残念なことに、湖の水をそのまま沸かすと、藻の焦げる臭いが酷いのだ。
結局、エルフリーデに、一緒に入ってもらう必要が出て来たので、モルドバさんにお願いして、彼女専用の水着を作ってもらった。
これで問題解決! そう思ったのだが、さにあらず。
どうやら、エルフリーデが僕と一緒にお風呂に入っていることを、いたるところで惚気まくっているらしい。
果たして、どんな噂になって広がっているのかと思うと、軽い頭痛がする。
一度、釘をさしておく必要がありそうだ。
いずれは、この浴場もみんなに開放して、公衆浴場として使ってもらいたいとは思っているのだけれど、今のところはエルフリーデに頼らないと使えないのだから、それも随分先のことになりそうだ。
僕はまたも溜め息を吐いて、下の方へと目を向ける。
そこには、城砦正面から伸びる日干し煉瓦の道。そして、その左側には、正方形の大きな建物が一つと、二十棟の長屋が整然と並んでいる。
この一週間の間に、砂猫族の居住区が完成した。
建設部の兵士達に加えて、砂猫族の男達全員に作業に従事してもらうことで、想定よりもずっと早く、彼ら全員を収容できるものが出来たのだ。
一棟辺り五世帯。平均二十人ほどが住まう長屋である。
元々が狭い土のドームに住んでいた砂猫族の人々にとっては、とんでもなく贅沢な住居のように思えるらしく、みんな大喜びしていると聞いている。
実際、その辺を歩いていると、砂猫族の人達が駆け寄ってきて、礼を言われることも多い。
階級に縛られない彼らは、今や兵士達よりも気軽に僕に接してくれる。ここしばらく、彼らの話の内容は、大体住居の住みやすさと、それを与えてくれたお礼だ。
頑張ったのは、兵士のみんなや砂猫族の人達であって、僕はお礼を言われるような立場ではないとは思うのだけれども、それでも嬉しくなってくる。
今も財務部の兵士達は、砂猫族の各部屋を回って名簿を作成しているそうだ。名前の長さと血縁関係の複雑さもあって、中々難しいのだとか。パーシュさんによれば、砂猫族の人数はコフィとクワミを入れて全部で四百二十一名。
これで我が国の人口は、計五百三十四名になった。
たぶん、大きめの村ぐらいじゃないだろうか。
さて、人数が増えれば、それなりに考えないといけないことも増えてくる。
いつかは国民それぞれに土地を分け与えて、各自に自立して貰う事になるだろうけれど、今は全ての土地を国が所有して、仕事を割り振り、食事や必要な物を供給する形をとっている。
だが、流石にこの人数になってしまえば、元々いた食堂のおばちゃんたちだけでは、食事の用意を賄いきれる筈が無い。
そこで居住区の真ん中に大きな食堂を設置し、砂猫族の女性たちに、砂猫族みんなの分の食事の用意を任せることにした。
ところが、そこで大きな問題が発覚する。
砂猫族には、調理という概念がほとんど無かったのだ。
最初にパンを差し出した時、コフィとクワミが顔を見合わせていたのは、つまりそういうことだ。
オックスやガゼルの肉や植物の根をそのまま食べる。砂猫族の食生活はそんな感じだったらしい。
そこで食堂のおばちゃんの一人に、しばらくの間、砂猫族の食堂で調理を指導してもらう事にした。
数日経って、僕が様子を見に行くと、おばちゃんは苦笑しながら言った。
「この子たち、スープの味見が出来ないのよ。猫舌だから」
ああ、なるほど……。
結局、おばちゃんに、常駐してもらうことになった。
さて、一通り住むところが整ったので、砂猫族のみんなにも仕事を割り振ることにした。コフィとクワミに人選を頼んで、男達は農営部と資材部、それと建築部に多く割り振る。
居住地は分けるが、仕事を人と砂猫族では分けない。それがマグダレナさんと一緒に決めた方針だ。仕事は仲間を造るのだ。同じ国の民として、これから生活していくのだから、みんなにも互いのことを理解して、尊重しあえるようになっていってもらわねばならない。
当然、ぶつかる事もあるだろう。そして、それを解決していくのは、その業務の長、すなわち農営部ならキップリングさん、資材部ならシモネさん、建築部ならレヴォさんの役目である。
それでも、どうしてもうまくいかなければ、僕とマグダレナさんに相談してもらう。そういう形にした。
仕事は分けない。とはいえ、砂猫族には砂猫族だけの特技があるのも事実である。
彼らは肉食だけに、狩りが得意なのだ。
そこで、特に狩りが上手いという人達を集めて、新たに狩猟部を設けた。
意外にも女性が半数以上に上ったのだが、コフィの推薦でその長に就いたのは五十代の男性。
ボタ・トロックビナ・ジャランジャラン。
部族一番の狩人で、クワミの父方の叔父にあたる人物なのだそうだ。
いずれは、捕らえたオックスを飼育して、牧畜が出来ればいいなと、夢は膨らむ一方だ。
こんな夢を共有できる人が、もっと増えればいいな。
そんな事を考えながら、僕は再び、北の方角へと目を向ける。
だが、地平線はあい変わらず、ただ真っ直ぐに横たわっているだけだった。
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