第四十 話 王として
東の空が白む。
僕らは朝の訪れを待って、城砦へと移動を開始した。
コフィとクワミが、皆を良く言い聞かせてくれたお陰で、特に移住に反対する者は無く、僕が手綱を曳く馬車を先頭に、砂猫族の人々は一斉に北へと歩き始める。
この集落へ来る時には、わずか半日の行程だったが、老人や子供を含む数百人での移動となると、そうはいかない。
なにせ、馬車は一台しかないのだ。
身動きの取れない老人、小さな子供や妊婦を荷台に乗せ、他の者はクワミやコフィを含めて徒歩での移動。およそ、三日間の行程である。
正確な数は分からないが、砂猫族全体で四百人ほどだろうか。ざっと見た限り、男の方が多少多いように思えた。
気になったのは、子どもの数は多く、老人の数が極端に少ないこと。
その数の差は、彼らの暮らすあの環境の過酷さを思わせた。
昼間は出来るだけ移動して、夜になれば大地を枕に、星を見上げての野宿である。
砂猫族の人々は皆、家族で身を寄せ合って眠る。
僕が近くにいると怖くて眠れない、万一そんなことでもあれば、翌日の移動に差しさわりが出るかもしれない。
気にし過ぎかもしれないけれど、僕は少し離れた場所に、馬車で移動して、地面に杭を打って馬を繋ぎ、その荷台に横になった。
「ああ、独りというのは良いなー」
口に出して言ってみる。白々しい響き。もちろん嘘だ。
ここしばらく、独りになる機会なんてほとんど無かったから、独りになりたい。そう思うこともあったけれど、荒野の真ん中で、実際にそうなってみると、正直、心細い気がした。
だが、目を瞑って、うつらうつらしかけた頃、僕の身体の両脇に、柔らかいものが触れる感触がある。
寝惚け眼を向けると、そこには、僕の身体にしがみ付くように身を寄せる、コフィとクワミの姿があった。
「……どうしたの? 二人とも」
「どうしたの? じゃないにゃ。ひとりぼっちは良くないにゃ!」
「そうですよ、神様。御身になにかあってはいけません。ボクが傍でお守りします」
僕は思わず苦笑する。
「うん……じゃあ頼むよ」
コフィはまだまだ子供なので微笑ましいが、髪が短くて男の子みたいだけれど、クワミはかわいい顔立ちをした、同じ年頃の女の子だ。
ドキドキしないといえば嘘になる。だけど、今は二人の気遣いがありがたかった。
――翌朝。
「ううぅ……ん」
僕は、あまりのくすぐったさに目を覚ました。
うなされながら瞼を開けると、コフィとクワミの顔が目の前にある。寝惚け眼に映る桃色の唇。柔らかな舌の感触。二人は僕の顔を、ペロペロと嘗め回していた。
「うわっ!? ちょ、ちょっと!」
僕は大慌てで飛び起きる。
そんな僕を不思議そうに見上げた後、
「起きたにゃ!」
「神様、おはようございます!」
二人は、屈託のない微笑を浮かべた。
「な、な、何やってんの!? 二人とも!」
「顔を洗ってたにゃ!」
「神様には、身だしなみはきちんとしていただかないと」
よくよく聞いてみると、顔を嘗め回すのは、砂猫族の習慣らしい。
ビックリしたというのが本音だけれど、これは彼女達にとっては当たり前の行動なのだろう。
女の子に顔を舐められて、平然としてろと言われても正直困るのだけれど、彼女達もこれから僕らの国の一員となるのだ。
一方的に否定したり、辞めさせたりするのはよくないような気がした。
とはいえ……城砦で誰彼無しに同じようなことをすれば、良くない間違いが起こりかねない。
どうしようか……。
この辺りの事は、一度マグダレナさんに相談してみたほうが良さそうだ。
顔を嘗め回されて、飛び起きること三回。
三日目の昼過ぎには、遠くに城砦が見えてきた。
「にゃー! みんな! もうすぐにゃ! がんばるにゃ!」
そう言って、コフィが城砦の方を指差すと、砂猫族の人々の間に、ざわめきが伝播していく。
漏れ聞こえてくる声に耳を傾けると、城砦そのものよりも、その背後。砂猫族の人たちは、以前の集落からたった三日の位置に、これだけ大きな湖があったことに驚いているようだった。
やがて、僕らが城砦のすぐ傍まで辿り着くと、そこには出迎えの人々が待っていた。
マグダレナさんと姫様、そしてミュリエ。ロジーさんとエルフリーデの姿が無いのは少し意外な気がしたが、後は多くの兵士達が城砦の外にまで迎えにきてくれていた。
僕が馬車を降りると、マグダレナさんが歩み寄ってくる。
「お帰りなさいませ、我が王」
「ただいま戻りました」
「……がんばりましたね。満点です」
砂猫族の人々を、満足そうに見回す彼女の姿に、僕は自分の顔が自然に綻ぶのが分かった。
「それにしても……」
僕は周囲を見回して、感嘆の溜め息を吐く。
たった四日間留守にしていただけなのに、城砦の正面には日干し煉瓦を敷き詰めた広い道が出来ていて、その左側の土地には、二階建ての長屋のような建物が四棟も立ち並んでいた。
「すごい。僕らが出かける時には、まだ土台しか無かったのに……」
これには素直に驚いた。
すると、マグダレナさんの背後から、姫様が顔を覗かせて、楽しげに微笑む。
「うふふ。リンツさまが出かけられた後、皆さんを集めて、先生が「我が王が新たに臣民となる方々を連れてくる」、そう仰ったんです。それで、皆さん大張り切りで、夜を徹して作業されておられたんですよ」
「そう……なんだ」
「ええ、王様に恥をかかせる訳にはいかないと仰って」
胸の奥からなにか温かい物がこみあげてきて、思わず口籠ると、ミュリエが僕の服の裾を引っ張った。
「私も……手伝った」
「そうかー。ありがとうね」
僕が頭を撫でると、ミュリエは恥ずかしそうにはにかんだ。
「しかし我が王、想像以上の成果です。城砦の空き部屋を開放して、新たに立てた住居に振り分けたとしても、まだまだ足りませんね……どうしましょう」
マグダレナさんがそう言うと、コフィとクワミが応じる。
「大丈夫にゃ。コフィ達は、身を丸めて眠るスペースがあればいいんだにゃ。この家なら、一部屋に六人は住めるにゃ。広いと眠れ無いんだにゃ!」
「それでも足りない分は、空いてる土地にこれまでの住居を作って住めば問題ありません」
「じゃあ、とりあえずは家の数が足りるようになるまで、我慢してもらうことになるけど……。コフィ、クワミ。誰にどこに住んでもらうか、振り分けを頼めるかい?」
「わかったにゃ!」
「お任せ下さい!」
二人が頷くと同時に、兵士達の背後から大きな声が響き渡った。
「がはは! よしお前らみんな腹減ったろ! パンとスープ! それに焼きトウキビだ! 腐る程あるからな! 好きなだけ食え! この先食う事に困る事なんてないぞ!」
「バルマンさん!」
バルマンさんを先頭に、手に鍋や籠を抱えた兵士達の一団がこちらに向かって来るのが見えた。
砂猫族の人たちは互いに顔を見合わせた後、わっと歓声を上げる。そして、パンや焼きトウキビを配る兵士達のところに殺到しはじめた。
「がはは、こらこら! 慌てるな! 全員腹いっぱい食えるだけ用意してるからな! ちゃんと並べ!」
食料を渡された猫人族の人たちは、その場に座り込んで、嬉しそうに頬張っている。バルマンさんもとても嬉しそう。こんなにニコニコした彼を目にしたのは、初めてかもしれない。
そして、その相方とも言うべき、キップリングさんは砂猫族の人々の周りを歩き回りながら、
「いいか、キミ達! これは我らの王の! リンツ様のご厚意だぞ! いいな、絶対忘れるなよ!」
言い聞かせるように、そう叫んでいた。
「あはは……あれは、マグダレナさんの差し金ですか?」
そのあざとさに、僕は思わず苦笑する。
「私が指示するなら、もっとスマートなやり方をします。キップリングもバルマンも、彼らなりにアナタの力になりたい。そう思っているのだと思いますよ」
僕は静かに目を閉じる。
言い様も無い感情が溢れて来て、正直戸惑っていた。
「我が王、彼らだけではありません。レヴォ達は家を建て、シモネ達は煉瓦を焼き、彼らの家には、モルドバ達が作った麦藁を詰めた麻の寝具を用意しています。あなたは胸を張ってよいのです。彼らを動かしたのは我が王、あなたなのですから」
「……はい」
――民に認められて、王は王となりえる。
王宮で姫様が王様を諭していた言葉が、脳裏をかすめた。
ああ、こういうことなんだ。
そんなことを考えていると、いつのまにやら砂猫族の人たちの中で、一緒になってトウキビに噛り付いていたキップリングさんが声を上げた。
「リンツ陛下、陛下もこちらで召し上がってください!」
すると、砂猫族の人々が次々に声を上げて、輪唱のように荒野に彼らの声が広がっていく。
「神様、一緒に食べましょう!」
「神様、こっち! こっちに来てください!」
照れくさいとは思いながらも、勝手に顔が綻ぶ。
砂猫族のみんなが、喜んでくれているのが伝わって来たから。
兵士のみんなが、僕を支えようとしてくれているのが分かったから。
この国はまだ小さいけれど、彼らのこれからの未来を僕は守っていかなければならない。この笑顔を絶やさないように。
それは、とても、とても、とても重いことだけれど、今の僕には、心地よい重さだと思えた。
ここまでお読みいただいて、本当にありがとうございます。
これにて第3章終了となります。
第4章もひきつづき、国造りとなります。
更に発展していく、彼らの姿をお楽しみいただければとても嬉しいです。
引き続き反転の創造主を、どうぞよろしくお願いいたします!