第四話 醜悪なる夜会
ロジーさんは僕の腕にしがみついたまま、寄り添う様に歩いている。
只でさえ乏しい彼女の表情には、この先に起こる事を思ってか、昏い翳が落ちていた。
入り口から、真っ直ぐに伸びる豪奢な赤絨毯の廊下。その突き当りの大きな扉の前に辿り着くと、ロジーさんは声を震わせて言った。
「坊ちゃま……本当によろしいのですか?」
「大丈夫。心配しないで」
僕が微笑みかけると、ロジーさんは静かに目を閉じた後、意を決するように扉を押し開ける。
途端に、廊下へと様々な音が溢れ出てきた。
それは、人々の笑いさざめく声と、華やかなチェンバロの音色。
扉の向こう側には、御婦人方の色とりどりのドレスが華やぎ、豪奢な調度品の数々が、シャンデリアの光を反射して、キラキラと光っている。
扉を隔てて此方と向こうでは、別世界のようだ。
僕は自分の恰好の見すぼらしさに、気後れしそうになるのを堪えながら、意を決して扉の向こう側へと足を踏み入れた。
僕は、ホールの奥へと歩みを進めながら、周囲を見回す。
どこもかしこも、貴族らしい華やかな姿の男女で溢れている。
僕の姿を目にした貴族達は、好奇の視線を向けた後、決まって眉を顰める。
場違いなのは、分かっている。
もし僕が貴族のままであったならば、同じような顔をしたのだろうか? 分からない。分からないけど、「そんな事はない!」などと断言できるほど、自分が善い人間だとも思っていない。
ホールの中央では、男女が手を取り合って踊っていた。
その周囲で談笑する人々の中には、何人か、ロジーさんのようにメイド服姿の女性の姿もある。彼女達は話の輪には加わらず、主と思われる者の傍に、静かに控えている。
右も左も同じような光景。だが、その中で一人。明らかに浮いたいで立ちの女性が、壁際に立っているのが見えた。
歳の頃はおそらく十七か十八。燃えるような赤毛を後ろで一つに纏めた背の高い女性。この国では赤毛は珍しいけれど、それ以上に目を引いたのは、彼女の恰好。
男物のような浅葱色の短衣に、銀の胸甲。腰には緩やかに湾曲した剣を佩いている。
僕と彼女は、同じように不思議そうな顔をして、互いの事を見ていた。
彼女にすれば不本意かもしれないが、場違い仲間である。
ロジーさんは僕の手を曳いて、ホールの一番奥に集まっている人の群れ、その中にいるエルフリーデの元へと歩み寄る。
そして、「連れて参りました」。ロジーさんがそう声を掛けると、エルフリーデは僕を一瞥して、こう言った。
「なにをぼうっと突っ立ってますの! 国王陛下の御前ですわよ!」
目の前にいる豪奢な椅子に座っている小太りの男性。その姿に気付いて、僕は慌てて跪く。
無論、国王陛下のお姿を拝見したことなど無いが、間違いないだろう。
「エルフリーデ・ラッツエル。貴女が申しておった者とは、この少年のことかな?」
「はい、左様にございます」
「ふむ、少年。面をあげよ」
「は、はい」
僕が顔を上げた途端、国王陛下の周囲に侍っている貴族の間に、風に揺れる笹の葉のようなザワッという声が広がった。
「あれが……虹彩異色」
「ワタクシ、初めて拝見しましたわ」
周囲の貴族達が口々に囁き合う声を気に掛ける様子も無く、国王陛下は、「ふむ」と一つ頷いて、エルフリーデへと問いかけた。
「虹彩異色を持つ者は、『神の恩寵を得る者』。そう言われておるはずだったな」
「左様でございます。我が国の歴史において、虹彩異色の者に恩寵を発現させた際には、常に等級A、それも他の者とは異なる、希少な恩寵が発現しております」
「ふむ」
「ですが! この男に発現したのは最低等級のE。正確にはそれにも届かぬほどの下らない恩寵でございます!」
エルフリーデの芝居がかった物言い。それを境に、周囲の貴族達のざわめきに、どこか嘲るような笑い声が混じり始めた。
――大丈夫。今更こんなぐらいじゃ何とも思わない。
僕が心配げに見つめているロジーさんの方へと微笑むと、エルフリーデが、不愉快げに睨みつけてきた。
「ふむ」
国王陛下は一つ頷くと、不思議そうな顔で僕の方へと問いかけた。
「少年。お前はなぜ、高等級の恩寵を得なかったのだ?」
「……え?」
この時僕は、多分、かなり間抜けな顔をしたのだと思う。
だって仕方ないじゃないか。
正直、「何言ってんの?」としか言いようがない。
僕だって、好き好んで最低等級の『恩寵』を発現させた訳では無いのだから。
だが、
「無礼者! さっさと王の御下問にお答えせぬか!」
背後にいた貴族に背中を蹴り飛ばされて、僕は大理石の床に額をぶつける。
「坊ちゃま!」
「ロジー! 引っ込んでなさい!」
頭上からはロジーさんの悲鳴染みた声と、それを怒鳴りつけるエルフリーデの声が聞こえる。
いけない。このままじゃロジーさんを巻き込んでしまう。
僕は慌てて、身を起こそうとした。だが、その頭を誰かが足で踏みつけにする。グリグリと踏みにじられる痛みに、思わず呻き声が洩れた。
「まったく、クズみたいな『恩寵』だけでは飽き足らず、真面な受け答えも出来ないなんて、どれだけ我がラッツエル家の家名に泥を塗れば気が済むのでしょうね。このクズは! 一時のこととはいえ、こんな出来損ないをお義兄さまなどと呼んでいたかと思うと、虫酸が走りますわ」
頭上から聞こえてくるのはエルフリーデの声。周りからは貴族達のせせら笑う声が聞こえてくる。その中に、ロジーさんのしゃくり上げるようなか細い声が聞こえてきた。
――大丈夫、大丈夫だよ。僕は平気だから。
胸の内でそう唱えながら、僕は身を固くして必死に耐える。
ちらりと顔を上げると、先ほどの赤毛の女性の姿が目に映った。彼女はなぜか怒ったような顔をして、こちらを凝視していた。
「あはは! どう? 自分がどれだけ惨めな存在か身に染みたかしら? 生きてる価値なんて無い。そう思うでしょ? 死にたくなってきたわよね? ねぇ、そうでしょう?」
エルフリーデの声が更に楽しげな響きを帯びて、僕を踏みつけにするヒールの踵に、更に体重が掛かりはじめた。
いくらエルフリーデの体重が軽いとは言っても、尖ったヒールで踏みつけられては堪ったものではない。ミシミシという自分の頭蓋骨が軋む音を聞きながら、僕は唇を噛みしめる。
だが、その時、
「おやめなさい!」
周りを取り囲む貴族達の間から、凛とした少女の声が響き渡った。
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