第三十九話 神様らしさは理不尽さ。
「ハッ! 口ほどにもない」
クワミが、泡を吹いてぶっ倒れているオモンディの身体を蹴り上げると、取り巻きの二人は「ひぃーー!」と、情けない声を上げて、集落の外へと逃げ出していく。
『与えられたダメージを、そのまま相手に返す』という、オモンディのやっかいな呪言も、事前に分かっていれば、対処するのはそう難しいことでは無かった。
「ところで……ジャミロはどこだい?」
僕はぐるりと周囲を見回す。
呆気に取られた表情で、僕らを遠巻きにしている集落の人々、その人垣の向こう側を見回してみても、特に動きはない。
軽く騒ぎを起こせば、当然、ジャミロが出てくるだろう。そう思っていたのだけれど……。
「いるとすれば、おそらく族長の住居ではないかと」
クワミがそう応じると、コフィが、
「あれにゃ! あそこがコフィ達の住居にゃ!」
と、塚の一つを指さした。
それはこの集落の中央の塚。ただし、見た目には他と何一つ変わらない、何の特徴もない小さな塚だ。
「あれが?」
僕は思わず眉根を寄せる。族長の住処というからには、相応に大きな物を想像していたからだ。
「ええ、ここから見る分には分かりませんけれど、あの住居の中には、土の下へ続く穴があります」
「土の下? 地下ってこと?」
「そうにゃ! 広くて涼しいんだにゃ!」
「ボクら……砂猫族がこの地に留まっているのも、先々代の族長が、あの穴を見つけたからです。あの住居の中には縦穴。それを下りると階段。それをさらに下っていくと、城があります」
「城!? それって、何かの遺跡ってこと?」
「たぶん……そうなんだと」
どんな形であれ、この荒野に人の手によって作られた物があるというのは、かなり意外な気がした。
「でも正直、ボクらにとっては、城なんてどうでも良いんです。大事なのはその城の中に、枯れることなく湧き出る井戸があるということだけです」
なるほど。この荒野では、水は金貨よりも貴重だ。
ジャミロが井戸を独り占めして、『水が欲しかったら食糧と年頃の娘をよこせ』、そう要求していると、さっきも誰かが言っていた。
水が重要なのはよくわかる。だが、それ以上に、もし女の子が連れ込まれているのだとしたら、急いだ方が良いだろう。
僕は、集落の人々の方へと目を向ける。
そして、
「ジャミロに連れていかれた人は?」
手近なところにいた男の人に、そう問い掛けた。
だがその途端、呆然と立ち尽くしていたその男の人は「ひっ!」と声を上げると、尻尾を丸めて跪き、その周囲の人達も、強風になぎ倒される麦の穂のように、次々と跪いていく。
「え? あの? ちょ! ちょっと!?」
慌てたのは僕の方だ。
「か、神よ! わ、私は悪い事は何もしていません! お、お許しください! おゆるしくださぃいい!」
「いや、あの、許すも何も……」
だが、男の人は完全に怯えきっていて、顔を上げる気配もない。
どうやら、クワミが幾度も僕のことを、神と呼んでいたことと、オモンディの耳を何度も再生したこと。それを見ていた彼らは、完全に、僕の事を神様だと思い込んだらしい。
「参った……な」
「にゃはは!」
「神の御威光に触れれば、当然のことです」
僕が思わず溜息を吐くと、コフィが楽しげに笑い、クワミはなぜか満足そうな顔をして、尻尾をピンと立てた。
みんなに傅かれれば、気分が良い。そう感じる人もいるのだろうけど、生憎僕は、そういうタイプではない。
自分の身の丈を越えた扱いを受けると、居心地の悪さを感じる。そういうタイプ。いやどうだろう? 下男に落とされる前は、そうでもなかったような気がするから、そうなってしまったという方が正しいのかもしれない。
反面、この状況は目論見通りではある。
『彼らも人の王に従うのは抵抗があるでしょうが、それが神様であれば、話は違うはずです』
神様だと思い込んで貰えれば、彼らを僕らの国に迎え入れるのも容易いはず、それがマグダレナさんの計画だ。
ただ彼らが、僕らの想像する以上に、信心深い人たちだったというだけの話だ。
だから、居心地の悪さは我慢して、ここから先は神様を演じ切ることの方が重要だろう。
さて、どんな行動をするのが、神様らしいんだろう?
「もう一度聞きますね。誰か、ジャミロに連れていかれた人はいますか?」
だが、しーんと静まり返って、誰も答えるものはいない。
いや、ビビりすぎでしょ……きみたち。
流石にこのままではマズいと思ったのだろう。コフィが口を開いた。
「しかたないにゃ……えーと、ニュモ・ウフィトゥ・ゲマ! お答えするにゃ!」
「え!? あ、あたし!?」
コフィが指を差したのは、小太りのご婦人。彼女は目を真ん丸に見開いて、慌てて顔を上げる。
「あ、あわわ……。ま、まだ誰も、はい! 今夜、まとめて地下まで連れてこいって、ジャミロが!」
言い終わるや否や、彼女は再び、突っ伏してしまう。
神様だと信じ込んでくれたのはいいけれど、完全にコミュニケーション不全状態である。
これはもう、コフィとクワミに間に入って貰いながら、時間をかけて慣れてもらうしかなさそうだ。
だが、誰もまだ犠牲にはなっていないというのは朗報だ。
僕がそう思った途端、クワミが「あっ!?」と声を上げた。
彼女の視線を追うと、泡を食ってぶっ倒れていたはずのオモンディが、いつの間にやら起き出して、集落の中央、族長の住居の方へと駆けていくのが見えた。
そして、オモンディは、塚の前で振り返ると、
「やい! 神の名を騙る愚か者! 私は認めない! 貴様が神だなどと、断じて認めないぞ!」
そう大声を上げる。
途端に、
「許さんぞ! 不信心者め!」
と、クワミが尻尾の毛を逆立てて、曲刀を振り回しながら駆け出し始めた。
マズい。あの勢いじゃ、一人で地下へと突っ込んで行きかねない。
「クワミ! 待って!」
「待つにゃ!」
僕とコフィは慌てて、クワミの後を追いかける。
僕の脚では全然追いつけなかったけれど、コフィが地下に降りようとするクワミを、なんとか寸前で捕まえてくれた。
「お嬢! お放しください! 神を冒涜する者を許しては、部族全体に神の罰が下されかねません!」
クワミがそう声を上げると、背後に取り残された人たちの方から「ひぃーーーー!」と、悲鳴のような声が上がる。
やめてー!?
クワミ、なんで怖がらせるようなこと言うの!
神様っていうか、扱いがもう邪神みたいになってんじゃん!
「クワミ! 勝手なことはしないで!」
僕がそう声を上げると、クワミがピタリと動きを止めた。
そして、あわあわと宙を掻いたかと思うと、尻尾を股間に挟むように丸めて、身を縮める。目尻には薄らと涙が浮かんでいた。
「ああぁ……神よ。お許しを……い、命だけは……」
僕は思わず、ガクリと肩を落とす。
「お願いだから、いちいち『殺される』みたいな顔しないで。頼むよ。別に怒ってるわけじゃないし、罰を与えたりもしないから」
「ほ、本当ですか?」
「うん、クワミを心配しただけだから。地下にはジャミロだけじゃなくて、その取り巻きもいるんでしょう? そんなところに独りで突っ込んだら、命がいくつあっても足りないよ」
「し、しんぱ……い?」
「うん、クワミに何かあったら困るでしょ?」
途端に、クワミがボン! と、頭から湯気が立ちそうなほどに、顔を火照らせた。
「お、お嬢! たたた、大変です! お、お嬢を差し置いて、ボ、ボクが神の寵愛をう、うけてしまいました」
「うんうん、良かったにゃ!」
「えへへ……」
なんだか、ニュアンスがおかしいような気がするけど、まあ……深くは考えないようにしよう。
実際、クワミ一人で突っ込むのは、あまりにも危険すぎる。
ここへ来るまでの道すがら、二人からは、ジャミロの取り巻きの呪言術師達についても、詳しく話を聞いている。
正直、随分厄介な連中だ。
相手に付けた傷口に致死性の毒を発現させるキャバレロと、自分の血を相手の目に吹き掛けることで、幻覚を見せるムトゥ、死後一日以内の死体なら、操ることが出来るという墓守のケケモット、指先で触れるだけで、相手の骨を砕くトトスワミ。
しかも最初に挙げたキャバレロは、呪言も厄介だが、剣の腕だけでもクワミの上をいくという、部族一番の戦士だというのだ。
僕は、穴の中を覗き込む。
穴は深く、奥は真っ暗。
おそらくこの部族の人たちは、猫のように夜目が利くのだろう。だとすれば、僕一人で突入するのは死にに行くようなものだ。
暗闇からの一撃で即死。そんな光景が目に浮かぶ。
だからと言って、コフィやクワミを危険に晒して良いはずもない。
うん、なんだか……すごく面倒臭くなってきた。
こうなったら、僕のイメージする神様らしくやってみるか。
「よしっ!」
僕は一つ頷くと、大地に指を押し当て、『恩寵』を発動させる。
『生命の樹!』
僕が腕を振り上げるのと同時に、その指に引っ張り上げられるように、ボコッ! と土が盛り上がって、何かを形作り始める。
それは蛇。
土で出来た巨大な蛇が、鎌首を持ち上げた。
その途端、
「あ、あは……あはは、へ、蛇、こんな、お、大きな……」
「にゃーーーー!?」
クワミは、目と口を大きく開いたまま、ぺたんとその場に座り込み、コフィは脱兎のごとくに逃げ出した。
背後からは、「うわぁあああああ!」と、この部族の人々の逃げ惑う声と足音が聞こえてくる。
これは、ますます怖がられるな……。
と、胸の内で苦笑しながら、
「行けっ!」
僕は、腕を振り下ろした。
同時に、土の大蛇は、穴の中へと頭から突っこむ。
穴の大きさと、蛇の太さはほぼ同じ。大蛇はずるずると音を立てて鱗を削りながら、穴の中へと自らの身体を押し込んでいく。
だが、蛇の身体が途中まで入ったところで、地面から、ズドン! と、何かがぶつかるような衝撃が伝わって来た。
「なんだ?」
僕が思わず首を傾げると、どうにか気を取り直したらしいクワミが、口を開いた。
「し、下の方は通路が細くなっていますので、この大きさでは、それ以上、先へ進めないのではないかと……」
「じゃあ、ここが頃合いだね」
「は?」
僕がニコリと微笑みかけると、今度はクワミが首を傾げる。
「この蛇も、所詮は土だからね。噛みつかれても大して痛くないし……」
「は? そ、そうなんですか? じゃ、じゃあ、なんで……?」
「神様って、大体理不尽なものでしょう?」
僕のその言葉に、クワミは戸惑いの表情を浮かべる。
「いや……ボクの口からは、そんなことは……」
「人のことを勝手に上げたり、落としたりしてさ……。そんな神様なら、こうするんじゃないかなって……」
「な、なにを仰っているのか、ボ、ボクには……?」
「だから、神様なら、めんどくさくなってきたら、もう埋めちゃおう。そう思うんだろうなって」
僕は『恩寵』を解除する。
途端に蛇は土に戻って崩れ落ち、その土で縦穴は、もはや、そこに穴があったという痕跡すら残らないほどに埋まりきった。
「えぇーーーーーーーーっ!?」
思わず、クワミが声を上げる。
「か、神よ! な、な、なんてことを! い、井戸を埋められてしまったら、ボ、ボクらは生活していけません!」
狼狽するクワミ。
だが、そんな彼女の肩をポンと叩いて、僕はニコリと微笑む。
そして、
「ああ、それもそうだね。うん、責任はとるよ。部族まとめて、僕らの国に移って来ればいい」
そう告げた。
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