第三十八話 おっさんの猫耳をそぎおとせ。
「あれがコフィ達の集落にゃ!」
御者台で手綱を引く僕。コフィは背後からその首にしがみつきながら、前方を指し示した。
小さな指が指し示すその先には、夕陽に燃やされる赤い大地。その赤い風景の中に、長く伸びる幾つもの影が見える。
影を落としているのは、盛られた土の塚のようなものだ。それが見渡す限りの範囲に、無数に点在しているのが見えた。
「あれが?」
「はい。あの一つ一つが我々の住まいです」
クワミがいうには、あの塚の中は空洞になっていて、彼女の部族の者達は、そこで丸くなって眠るらしい。
だが、塚の高さは成人男性の腰ぐらい。丸まって眠るにしても、人が二人も入れば一杯だろう。
家族はバラバラに住むのだろうか?
後で中を見せて貰おう。
これから彼らを僕たちの国に迎え入れようというのだ。その辺りの事もよく知っておく必要があるだろう。
◇ ◇ ◇
あの後、僕は朝を待って、コフィとクワミとともに、彼女達の集落へと向けて出発した。
クワミの願いに応えて、ジャミロを罰する。ただし、コフィに族長を継ぐことは強制しない。
僕がそう宣言すると、最初は二人とも躊躇するような素振りをみせたが、最後には「神様がお決めになったことならば……」と、従ってくれた。
どうやら彼女達は、普通の人間以上に、信心深い部族らしい。
無論、彼女達の信仰する神様が、僕らの想像する神様と同じかどうかは分からないけれど。
というわけで、今回、僕に同行しているのはコフィとクワミの二人だけだ。
大人数であればある程、向こうは警戒する。
部族を相手にして、戦闘する気など更々ないのだ。
これから我が国の民として迎え入れようというのに、わざわざ遺恨をつくるのは、愚の骨頂としか思えない。
ロジーさんとエルフリーデは、絶対についていくと言い張ったのだが、その辺りはマグダレナさんが言い聞かせてくれた。
ただ、僕らを送り出すときに、ロジーさんとエルフリーデがやけにご機嫌だったのは、少々気になるところではある。
一体、マグダレナさんは、彼女達をどんな風に言い聞かせたのだろう?
それはともかく、いざ彼女達の集落へと辿り着いてみれば、馬車なら朝に出れば、夕方には到着するような距離だった。
たしかにマグダレナさんの言う通り、放置するにはあまりにも近すぎる。
そして、集落のすぐ外で馬車を止めると、音で気が付いたのだろうか、塚の中から次々と人が這い出して来る。
男性、女性、子供達もいる。子供達や女性はともかく、髭面の男達の猫耳というのは、なんともシュールな感じがする。ただ、男達は、いずれも疲れ切った表情をしていた。
彼らにとって、馬車は見慣れないものなのだろう。彼らは警戒心を露にして、遠巻きにこちらを眺めている。
「じゃあ、コフィ、クワミ、お願い!」
「はいにゃ!」
「はい!」
二人は力強く頷くと、馬車の荷台から彼らの方へと飛び降りる。
二人が姿を見せた途端、
「コフィさま! コフィさまが戻られたぞ!」
「やっぱりお嬢さまが、俺達を見捨てて逃げたなんて、嘘じゃないか!」
周囲を遠巻きにする人々の間から歓声が巻き起こり、我先にと、コフィ達の方へと駆け寄ってくる。
「にゃ! みんな心配かけたんだにゃ!」
「コフィさまも、よくぞご無事で……」
彼女をとりまく人々の顔には、どこか安堵の表情が浮かんでいる。中には、目に涙を浮かべているものさえいた。
僕らの目にはただの幼女にしか見えない彼女も、集落の者達にとっては、前族長の娘であり、偉大なる呪言術師なのだ。
だが、再会を喜び合う内に、集落の人々の話は現在の窮状へと移っていった。
「お嬢さま! ジャミロを! あいつを何とかしてください!」
「このままじゃ、ワシらは干上がっちまいます」
「ジャミロの奴ぁ、井戸を独り占めして、水が欲しければ蓄えた食糧を全て、年頃の娘のいるものは娘を差し出せと……」
「力の強い呪言術師達は、みんなジャミロに従って、好き放題なんです」
「やはり、こうなったか……」
「にゃぁ……みんな、ごめんにゃ」
クワミは口惜しげに奥歯を噛みしめ、少しは叔父を信じたい気持ちも残っていたのだろう。コフィが、その表情に昏い翳を落とした。
ジャミロが族長になって、まだ数日しか経っていないはずだというのに、この状況である。
いかにジャミロが無茶苦茶なのかが、分かるというものだ。
僕が思わず肩を竦めたその瞬間、
「どけっ! どけぇえい! えーい、邪魔だ! 貴様ら! 族長から勝手に群れることを禁じられているのを忘れたか!」
集まる人達を押し退けて、こちらへ向かってくる連中がいた。
それは頬のこけた病的に青白い顔をした男。顔立ちからすでに陰険な性格が見て取れる。その後をついてくる二人は、取り巻きか何かだろう。
「語り部のオモンディです」
クワミが僕に駆け寄って、そっと僕に囁きかけた。
――あれがそうか。
此処へ来る道すがら、主だった呪言術師については、クワミから話を聞いている。
このオモンディという男の呪言はかなり厄介だが、コフィとクワミとは、念入りに打ち合わせは済んでいる。
オモンディは、コフィの姿を見止めると、眼球が零れんばかりに目を見開いた。
「なっ、お、お嬢!?」
生きているとは、思っていなかったのだろう。オモンディは、信じられないという表情で、彼女達の額を凝視している。
無論、そこにジャミロの付けた呪印は存在しない。
だが、オモンディはどうにか平静を取り繕うと、コフィを睨みつけて、声を上げた。
「コフィ・チュチュメアイ・ンジャメナチノ! 部族を捨てた卑怯者。何をしに戻って来た! ここにはもはや、貴様の居場所などないぞ!」
途端に、クワミがコフィを背中に隠すように歩み出て、オモンディを睨みつけた。
「オモンディ・チャンガラ・ムッタロア! 嘘つき! 語り部のお役目に泥を塗った愚か者! ジャミロ・アニャンゴ・ンジャメナチノに組みして、甘い汁を吸うつもりだろうが、そんなことを神がお許しになる訳がないだろう! 貴様の方こそ、今すぐここを出て行くのなら、命だけは助けてやる!」
「こざかしいぞ! クワミ・チュチュアメイ・ジャランジャラン。愚かな小娘! 何が嘘つきか! 先代は確かに、このオモンディ・チャンガラ・ムッタロアに、次の族長はジャミロ・アニャンゴ・ンジャメナチノだと、そう仰られたのだ!」
どうやら彼らの間では、人に聞かせるような会話は、フルネームで人の名を告げなければならないらしい。
「それが嘘だと言っているのだ。あの賢明な族長がジャミロ・アニャンゴ・ンジャメナチノを指名するはずなど無い! 剰え、宵闇に乗じて、お嬢を襲うなど言語道断だ」
人々の間にざわめきが大きくなる。
ジャミロ達がコフィを追放した、クワミはそう糾弾したのだ。
オモンディは、慌てて大声を上げた。
「貴様の方こそ嘘つきだ! なにより語り部の言葉を疑うのは、神の言葉を疑うのと同じ! その罪は死で贖わねばならぬ。皆の者、この者は今、許されざる罪を犯した! 捕らえて罪を償わせよ!」
周囲の人々は戸惑いの表情を浮かべて、顔を見合わせた。
誰の目にも、クワミのいう事の方が真実のように思える。だが、語り部の言葉を疑うのもまた、彼らにとっての禁忌なのだろう。
周囲の戸惑いをよそに、クワミは明らかに芝居がかった挙動で、僕の前で片膝をついて、祈りを捧げる素振りを見せた。
「な、何のつもりだ?」
クワミは、戸惑うオモンディを一瞥して口を開く。
「感謝しろ。お前の罪に許しを請うてやったのだ。神の前で神の名を騙る、お前の許しがたい罪をな」
「あぁん? 神? 神だと! うははは、まさか耳も尻尾も持たぬその貧相なガキが神だとでもいうつもりか? どうやら頭がおかしくなったらしいな」
オモンディとその取り巻きは、腹を抱えて笑い始める。
「神よ。私が彼らに罰を与えます。それをもって我が部族の罪を贖うことをお許しください」
「許そう」
クワミのその言葉に、僕が大仰に頷くと、彼女は曲刀を手に取って、オモンディ達の方へと向き直る。
途端に、ざわめきとともに周囲の人々はあとずさり、オモンディと取り巻き、それと僕らを遠巻きに眺める形となった。
「うはは、我が呪言を知らぬ訳ではあるまい! 愚かな小娘! クワミ・チュチュアメイ・ジャランジャランよ! 出来るものならやってみろ! 語り部を傷つけたものは辺獄へ落ち……っ!?」
オモンディが最後まで言い切る前に、クワミは恐ろしい速さで彼の懐へ飛び込むと、その胸倉を掴んで彼を引き吊り回し、最後には僕の足下へと投げ出した。
「貴様! なんという罰あたりな!」
「うるさい」
オモンディが声を上げると同時に、クワミはその頭を踏みつけにして、曲刀にひっかけ、左の猫耳を斬り飛ばした。
「ぎゃああああああ! い、痛い、痛ぁああい!」
だが、クワミは容赦しない。次は右の耳。悲鳴を上げて足下で暴れるオモンディに、冷たい視線を投げかけて、クワミは酷く低い声で告げる。
「おい、まだ、こんなもので済ませるつもりはないぞ。ボクとお嬢が味わった苦しみには、まだまだ足りないからな」
「ク、クワミ! き、貴様ぁ! こんなことが許されるとでも思っているのか!」
「大丈夫だ。神がお許しくださる」
だが、その瞬間、オモンディが宙を掻く様な不可解な動きを見せた。それは、呪言を発動させるための動作。
「こ、後悔するがいい!」
オモンディの呪言。それは自分に与えられた傷を与えた者にそのまま返す術。
だが、
「ん? なにかしたか?」
クワミは、平然としている。
「な、なじぇぇええええ!?」
オモンディは涙と鼻水で顔をぐちゃぐちゃにしながら、目を見開いた。
「わ、私の耳を斬り飛ばしたのだ! き、貴様の耳も斬り飛ばされる筈じゃないかぁああ!」
「ん? お前の耳ならちゃんとあるぞ?」
クワミの言葉に、オモンディは自分の耳へと触れる。それはどういうわけか、斬り飛ばされる前同様にそこにあった。
無論、幻覚や勘違いなどではない。
彼が呪言を発動する前に、僕が『生命の樹』で修復したのだ。
「そんなに斬り飛ばされたいなら、望み通りに斬り飛ばしてやろうじゃないか」
「あ、いや、やめて、やめ……」
この後、左右それぞれ三回づつ耳を斬り飛ばされて、オモンディは遂に失神した。
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